長文集  11月2週  ★歴史家の専門の(感)  nnzu-11-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】歴史家の専門の仕事というものは、
それを歴史家がどう理解するにせよ、たんに
人間だけでなく、この地球上のあらゆる生命
に本来的にそなわった限界や欠陥の一つたる
一種の自己中心性を是正しようとする一つの
試みだといえるのである。【2】歴史家がそ
の専門的な見解に到達するためには、なによ
りもまず、みずからも一人の人間として免れ
ることのできないこの自己中心的な観点か 
ら、意識的に、また意図的に、その視角をそ
らそうとつとめなければならないのである。
 【3】自己中心性の地上の生において果す
役割はいわば両面価値的なものである。一方
では、自己中心性はあきらかに現世の生の本
質をなすものと考えられる。【4】生あるも
のは、たとえささやかな付随的なものにせよ
、事実この宇宙を構成する一片の分子だと定
義することもできるのであって、しかもそれ
が、部分的にせよ他のものから解放され、【
5】さらにこの宇宙の他のものをじぶんの利
己的な目的に添わせるように、あらん限りの
努力をはらう一個の自律的な力として独立し
ているというような一種の「はなれわざ」を
演じているものだとも考えられるのである。
【6】つまり、それぞれの生あるものはみな
競ってみずからを宇宙の中心たらしめんとし
ているのであり、その際、他のあらゆる生あ
るものと、またこの宇宙そのものと、さらに
この宇宙を創造し維持している万能の力――
このつかの間の現象下にひそむ実在にほかな
らない万能の力――とも張り合おうとしてい
るのだということになるのである。【7】こ
のような自己中心性は、すべて生あるものの
存在に欠くべからざるものであるために、そ
の生活の必要条件の一つとなっているのであ
るが、もしかりに完全に自己中心性を放棄す
るということにでもなれば、【8】(たとえ
それが生そのものの消滅を意味することには
ならないにしても)およそ生あるいかなるも
のも、まさにこの時、この場所において生を
いとなむためのあの媒介手段をも、同時に完
全に喪失することになるであろう。【9】そ
してこのような心理的な真実への洞察が、仏
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
教の知的な出発点となっているのである。
 このように、自己中心性は生の一つの必要
条件なのであるが、しかしこの必要条件は、
同時にまた一つの罪でもあるのである。【0
】つまり自己中心性は、この世に生をうけた
いかなるものも実は一つとして宇宙の中心た
りえないものだとしてみれば、知的にも一つ
の誤りであり、またみずからが宇宙の中心で
でもあるかのように行動で∵きる権利など、
なに一つとしてもつものがないとしてみれ 
ば、それは道徳的にも誤りなのである。およ
そ生あるいかなるものも、おなじ仲間たる被
造物にしろ、また宇宙にしろ神もしくは実在
にしろ、まるでそれらが一個の自己中心的な
被造物の要求にこたえるためにのみ存在して
でもいるかのようにこれをみなしていい権利
などすこしももたないはずなのである。この
ような誤った信念をもち、これにもとづいた
行動をすることは、(これをギリシアの心理
学の言葉に従えば)倨傲の罪と呼ばれるもの
で、この倨傲とは、(生の悲劇がキリスト教
の神話のなかにあらわれているのに従えば)
大魔王サタンがみずから奈落に墜るにいたっ
たあの法外な、罪深 い、自殺的な驕慢にほ
かならないのである。
 このように自己中心性が生の必要条件であ
るばかりでなく、同時に因果応報を伴う一つ
の罪でもあるとしてみると、すべて生あるも
のは、終生ぬけさることのできない窮境にお
ちいっていることになる。生あるものが、そ
の生命を維持することができるのも、ただそ
れが自己主張のあげくの自殺をも、また自己
放棄からくる安楽死をも、ともにどうにかし
て避けることができる限りにおいてであり、
またその間においてのみなのである。この中
道は、剃刀の刃のように狭い道で、そこを通
ってゆく旅人は、その道の両側の二つの深淵
へとひかれる力によって、たえず極度の緊張
を感じつつ、用心深く平均を保ちつづけなけ
ればならないのである。
 生あるものにその自己中心性の課している
問題は、それゆえ生死の問題となるのであり
、それはあらゆる人間がたえずつきまとわれ
ている問題なのである。歴史家のものの見方
にしても、この恐るべき挑戦に応えようとし
て人間が心に装ういくつかの道具のなかの一
つにほかならないのである。
 
 (A・J・トインビー「歴史家の宗教観」