長文 12.4週
1. 普通ふつうに日本的性格、従って日本文化の特色として挙げられることは、日本人の同化力に基づいて外来文化を受容し集大成して文化が複質性または重層性を示してゐるといふのである。なるほどそれも一つの特色として挙げられるかも知れない。しかしどこの国の文化をとつて見ても外来文化の影響えいきょうを受けてゐないところはなく、そしてまた大抵たいていの場合にはそれを同化して独自の文化を発展させそして複質的または重層的文化を形成してゐるのである。また仮にそれが日本文化の特色であるとしてもそれは単に形式的な原理であつて、日本文化の内容そのものを具体的にへてゐるものではない。それならば何がいつたい日本的性格であるか。何がいつたい日本文化の内容上の特色であるか。日本的性格又はまた 日本文化にはどういふ諸契機けいきが見られるか。それをはつきりへることは甚だはなは 困難なことであるが、一つの試みを提出するのも必ずしも無意義ではなからうと思ふ。大体に於いお て日本的性格、従つて日本文化に三つの主要な契機けいきが見られるやうに私は思ふ。自然、意気、諦念ていねんの三つである。
2. その三つはひにどういふ関係に立つてゐるか。先づ外面的には自然、意気、諦念ていねんの三つは神、、仏の三教にほぼ該当がいとうしてゐるとふやうにも見ることができる。従つて発生的見地からは神道の自然主義が質料となつて儒教じゅきょう的な理想主義と仏教的な非現実主義とに形相化されたとふやうにも考へられる。さうしてそこに神儒仏じゅぶつ三教の融合ゆうごう基礎きそとして国民精神が涵養かんようされ日本文化の特色を発揮したと見られるのである。
3. 今、質料とか形相とかつたが、この二つを内面的関連に於いお て見ることが必要である。形相といふものは外部から質料に加へられるといふ様なものではない。質料の中にもともと形相が潜んひそ でゐてそれがおのづから発展し自己創造して行くと共に自己に適合したものを外部から摂取せっしゅするのである。理想主義のあらはれの意気といふことと、非現実主義のあらはれの諦念ていねんといふこととは外来的な文化によつてはじめて新たに付け加へられた性質ではなく、既にすで 神道の自然主義の中に萌芽ほうがとして含まふく れてゐたものが次第次第に明瞭めいりょうにあらはれて来て、それと同時に外来的ではあるが自己に適合した要∵素として儒教じゅきょうや仏教の契機けいきをも摂取せっしゅし同化したのであると考ふべきである。
4. (中略)
5. 以上に於いお て、自然といふ質料の中に意気とか諦念ていねんとかいふ形相が内的におのづから含まふく れてゐてそれが次第にあらはに大きく成長して来る可能性が見られたと思ふ。自然主義からおのづから理想主義や非現実主義が発展して来るのである。理想主義や非現実主義を外来的のものとして大和民族の本来性と相容れないやうに考へる機械的歴史観に賛意を表するわけには私はゆかぬ。然るになほここに問題が残されてゐる。それは意気と諦念ていねんとは果たして相容れるものであらうかといふことである。意気とは武士道に於いお て見られる自力精進の精神である。諦念ていねんは他力本願の宗教の本質をなしてゐる。この両者は果たして相容れるであらうか。一体、気節のために動く意気は動の方面である。物に動じない諦念ていねんは静の方面である。そして動の中に静があり、静の中に動があるといふ可能性が見られる限り意気と諦念ていねんとの結合の可能性も目撃もくげきされなければならぬ。武士道でも命に安んずるといふことをふ。武士道が死を顧みかえり ないといふ裏面には死をあつさり諦めあきら てゐるといふ知見がうかがはれる。一般いっぱんに死への存在といふやうなものは諦念ていねん基礎きそに有つた意気といふ形で明瞭めいりょうにあらはれてゐる。死は生を殺すものではない。死が生を本当の意味で生かしてゐるのである。無力とちょう力とは唯一ゆいいつ不二のものとなつてゐる。諦念ていねんは意気の中に見られる否定的契機けいきとして欠くことのできないものである。意気と諦念ていねんとはひに相容れないやうなものではなく、むしろ両者は相関的に成立するものである。

6. (九鬼くき周造「日本的性格について」(一九三七年)による)