長文集  10月2週  ★化粧することや(感)  nnzu2-10-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】化粧することや食べることを始めと
する、電車の中での人前での行為については
、すでにいろいろ論じられている。一つは、
若い人々は、他人に対して透明なバリヤのよ
うなものを張り巡らして、自分の空間を遮断
しているから、人中での化粧も食事も平気な
のだという言い方。【2】つまり、彼らの前
には他人はいるのだ が、いないも同然だか
ら見られても平気だというのだ。もう一つ 
は、今の若い人々の間でプライベート空間に
ついての考え方の変化が起こったという言い
方。【3】つまり、自分の部屋が電車の中に
そのまま移動したような感覚をもっているか
ら、座席に坐りながら音楽を聞いたり、漫画
を見たり、勉強をしたり、化粧をしたり、食
事をしたりすることに何の抵抗もないのだそ
うだ。【4】彼らの間では、公的空間と私的
空間の区別はもはや意味をもたない。二つは
溶け合い、境界は不分明になり、自分のいる
ところはいつでもプライベート空間に変貌す
る。
 【5】なるほど、目の前には、隣には、他
人はいるが、しかし彼らは単にそこに居合わ
せただけであって、そのことによって自分た
ちの行為が変わるわけではない。他人に迷惑
さえかけなければ、化粧も食事もウォークマ
ンもいいではないか。【6】自分の坐ってい
る場所は、自分の空間、要するに、プライベ
ート空間なのである。バリヤでもプライベー
ト空間でも、自分たちの周囲には透明な幕が
張り巡らされていて、そこには他人は入るこ
とはできない。【7】だから、そばに他人が
いても、その他人が彼らの関心をひくことは
ない。かくして、実に奇妙な光景が電車の中
に現れることになる。
 だが、本当にそうだろうか。わたしはむし
ろ逆の事態が起こっているのではないかと考
えている。【8】そこにあるのは、他人への
無関心ではなく、逆に他人視線への強い欲望
なのではないか。要するに、他人がいるのに
その他人への心が働かないというのではな 
く、それは今までとは違う、自分を現す一つ
の方なのではないか。【9】実は、彼らは自
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分たちの行為をもっと見てもらいたいではな
いか。あれらの現象は、誰かに見られたい、
人々に注目されたい、みなの中∵で目立ちた
いという欲求が日常の場面にまで及んで、今
や人々の根源的欲求になったということを示
しているのではないだろうか。【0】電車の
中で突飛な行動をしたり奇声を発したりする
ことで、人々の関心を買うといったことなら
ば、別にどうということはない。私が奇妙な
恐さを感じるのは、そこにそういう何か特別
のことで見られたいというのではない欲求が
働いているのではないかと思われる点なのだ

 それは単に、見られたい、注目されたい、
目立ちたいというのではなく、見られること
でしか自分の存在を確認することができない
というあり方、誰かに見てもらわないと何も
できないし、見てもらわないと困るといった
ような欲求の切実さである。しかもそれが反
復的な日常の基本動作にまで及んでいるとい
う事態にこれまでとは違う恐さがある。だか
らこそ、今までは家の中で行われていた日常
のありふれた行為が人前に現れることになっ
たのではないか。私はこの日常のありふれた
行為の出現に気持の悪さを感じる。朝食をと
ることや、化粧をしたりすることは、顔を洗
ったり、歯をみがいたりすることと同様に、
家の中での行為だった。日常を支える基本的
行為は、誰にとってもありふれたもので、そ
れゆえ人目を引くものではない。しかし、だ
からこそ、その行為は自分の生を作る自明な
繰り返しとして家の中の生活習慣であり続け
た。そのような日常の生活習慣は、他人に関
わる行為ではなく、自分自身に関わること、
自分自身の世話をすることとして、自分の生
活の基本になってい る。それは他人に見ら
れるからするのではなく、自分が自分のため
に自らするのである。
 この基本が壊れつつあるのではないか。自
分の世話が自分でできなくなっているのでは
ないか。睡眠、排泄、洗顔、歯磨き、食事な
どを始め、日常生活の細部に渡って、自分が
自分の生活を配慮すること、つまり、自己へ
の配慮が崩れ、それさえも他人による支えが
必要なのだとしたら、これはほとんど親とい
う他人の配慮のもとでしか生存できない子供
の世界ということになるのではないか。
(庭田茂吉()「ミニマ・フィロソフィア」
より)