長文集  10月3週  ★極東の島国日本(感)  nnzu2-10-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】「極東の島国日本」などとしばしば
いわれるように、日本を孤立した「島国」と
する見方は、おそらく現代日本人の圧倒的多
数の常識であり、これまでの多くの日本人論
、日本文化論もそれを大前提として論じられ
てきたといってよい。
 【2】そして日本の「島国」であることが
強調される場合、そこには対立する二つの文
脈があったと思われる。【3】その一つは、
とくに敗戦後、日本の国際社会への復帰に当
って、それまでの独善的、閉鎖的な日本人の
あり方に対する反省が強く求められたさいな
どに強調された文脈で、「島国根性の打破」
「島国性の克服」がこの中で声高に叫ばれた
のであり、現在もなお同じ方向でこうした主
張が展開されることが多い。
 【4】これに対し、他の一つとして、「島
国」であることに日本人、日本文化の独自性
、均質性の基盤を求める文脈があり、この見
方は海によって周辺の世界から隔てられ、ま
た海に守られることによって他民族による軍
事的な侵略をまぬかれ、【5】政治的な支配
を受けることなく周辺から技術、文化を吸収
、「島国」の中でそれを熟成してきたところ
に、日本文化の特質を見出そうとする。それ
は日本が「島国」であることに積極的な意味
を求めようとする見方で、現在の日本文化論
の中で、こうした立場に立つ見解は多い。
 【6】この二つの見方は、まったく相反す
る方向から日本をとらえており、前者は「近
代化論」につながる志向を持つのに対し、後
者は日本文化の独自性を強調し、ときに天皇
が長期にわたって日本列島の国家に関わりつ
づけてきたことを賛美する方向に進む場合も
見られる。【7】とはいえ、この両者はとも
に共通した「日本は島国」という認識の上に
立っている。そしてたしかに現在の日本国が
島によって構成された国―「島国」であるこ
とはまぎれもない事実であり、この点につい
てはあたかも異論の入る余地のまったくない
「常識」であるかの如くに見えるのである。
 【8】しかし一歩突き放してこの「常識」
を見直してみると、それがしばしばきわめて
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底の浅い、偏った見方であることはただちに
明白になる。
 【9】そもそも日本国が現在の島々から成
り立つようになったのは敗戦後のことで、中
国東北、朝鮮半島を植民地としていた「大日
本帝国」の時代はそうでなかったという自明
な事実――それが∵いかに嫌悪すべき状況で
あったとしても――を想起する必要がある。
【0】この「常識」の基礎がまことに不安定
であることはこれによっても明らかであろう

 それとともに、この「常識」の中では、「
島国」を構成する島は本州・四国・九州を中
心とする島々に限定され、北海道・沖縄がほ
とんど欠落することになっている場合が多い
。そしてそれを意識した議論の場合でも、琉
球、アイヌの問題は「日本文化」の源流、古
層としてとり上げられるにとどまり、日本列
島の人間社会の歴史全体の中で、その独自な
位置づけを与えられることはない、といって
よかろう。
 そしてなによりも不思議なことは、「島国
論」に基づく日本論 が、現在の日本国内の
島々の間の海のみを、人と人とを結びつける
ものとし、他の海のすべてを、人と人とを隔
てる海としている点である。しかし浪荒い玄
界灘を隔てた九州と対馬の間に人びとの文化
の交流が縄文時代以来あったとしながら、ド
ーバー海峡ほどではないにせよ、狭い対馬と
朝鮮半島との間の海―朝鮮海峡が人と人とを
隔離したなどと考える議論の不自然さは、誰
が見ても明らかであろう。また南九州と奄美
、沖縄との間に文化の交流があったとすれ 
ば、宮古、八重山と台湾との間に同じことの
あったのは当然であ り、東北と北海道の間
の海が人と人とを結ぶならば、北海道とサハ
リン、沿海州との間の海が同じ役割をしない
はずはないのである。
 「島国論」が成り立つためには、このあま
りにも当然な事実が無視されなくてはならな
いのである。それゆえ、こうした「日本島国
論」は根本的に、現在の日本国の国境に規定
された俗説、国家そのものをつくりだした「
虚構」であり、その非歴史性、一面性のゆえ
に、たやすく政治的なイデオロギーに転化し
うる議論、と私は考える。

(網野善彦()「日本論の視座」より)