長文集  10月4週  ○じつは、物理や化学の研究者のあいだでは抄録誌の利用率は、一部の(感)  nnzu2-10-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/09/10 19:44:39
 【1】じつは、物理や化学の研究者のあい
だでは抄録誌の利用率は、一部の化学者を除
いて、それほど高くないのである。
 その一つの理由として、研究者にとっては
論文は要約だけでは役に立たないことがあげ
られる。【2】もっとも要約されたかたちの
抄録は有用であり、必要である。しかし、彼
自身の研究に直接に関連のある研究であれば
、抄録を読んだだけで用がすむということは
あり得ない。本文を読もうと決心した途端に
、彼にとっては著者抄録は意味を失う。【3
】著者抄録は著者の目で見た内容抄録であ 
り、彼は自分の目でその論文を読むのだから
である。論文のなか で、著者は彼の代わり
に実験や計算をやってくれている。彼は、著
者とともに考えを進め、しばしば著者のやり
方に不満をおぼえ、時として著者と反対の結
論に到達する! 【4】それは一種の創造の
過程と言っていいかもしれない。こういう読
者にとっては、要約は単にきっかけを与えて
くれるにすぎず、その集録である抄録誌に目
をさらす時間はどちらかというと空しいもの
と感じられる。
 【5】結果だけを必要とする読者は要約集
で用が足りる。その先をめざす読者にとって
は、第一線の結果の羅列よりも一つ一つの結
果が得られた過程のほうが大切なことが多い
。本論文を通じて著者とともに創造の過程に
参画してはじめて、将来の展望がひらけるか
らである。
 【6】最良の要約は、あるいは、発展の機
縁を生むだけのものを内蔵しているかもしれ
ない。しかし、それを読み解くには、鉛筆を
片手に本論文のなかの計算を追跡する以上の
努力がいるだろう。

 【7】要約精神の権化は教科書である。高
校の物理の教科書は、アルキメデス以来の物
理学者がつみ上げてきたものの要約だ。学問
は日に日に進むから、要約すべき素材は年々
ふえる。教育にあてるべき若年の期間はかぎ
られているから、教科書の厚さはふやせな 
い。【8】何を捨て、何をえらぶか――二千
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
年の物理学をいかに要約・抄録して読者を今
日の視点に近づけるか――は教科書の筆者の
最大の問題である。
 そういう目で見ると、今日の教科書は、ど
れをとってみてもかなりよくできている。【
9】よくまあこんなにつめこめたと思うくら
い∵だ。しかしそれは抄録であるがゆえに「
つまらない」という宿命をもっている。抄録
の集積をよみつづけることができるのは、は
っきりした目的をもって何かを探し求めてい
る人――ロケット技術者――か、たちまち眼
光紙背(がんこうしはい)に徹してその抄録
の秘めているものを見ぬくことのできるえら
い人だけだ。【0】高校生はどちらでもない
から、彼らにとって教科書がつまらないの 
は、石を投げれば下に落ちると同じぐらい自
然な話である。私の知っているある大学生の
話では、彼女の高校の物理の時間は、生徒が
輪番(りんばん)に教科書を音読する、P先
生が「質問はありませんか」と言う、だまっ
ていると「じゃ、次……」という調子だった
そうだ。彼女が文系に進んだのは当然である
。「P先生よ、地獄に落ちろ!」だ。
 教科書が要約集であることは、まあ、仕方
がなかろう。しかし、講義までが要約でいい
という法はない。教科書の一ページの背後に
は厖大な研究があり、それらすべては自然そ
のものとのつき合いから生まれている。その
創造の過程を解き明かし――歴史の話をする
という意味ではない――生徒をその過程に招
待するのが教育というものであろう。そんな
ことをしたら教科書全部はとてもやれない―
―そのとおり。教科書あるいは抄録集という
ものは元来そういうふうに使うべきものなの
だ。

 (木下是雄()『日本語の思考法』より)