長文集  11月2週  ★労働が私たちの(感)  nnzu2-11-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】労働が私たちの社会的な存在のあり
方そのものによって根源的に規定されてある
ということには、三つの意味が含まれてい 
る。一つは、私たちの労働による生産物やサ
ービス行動が、単に私たち自身に向かって投
与されたものではなく、同時に必ず、「だれ
か他の人のためのもの」という規定を帯びる
ことである。
 【2】自分のためだけの労働もあるのでは
ないか、という反論があるかもしれない。な
るほど、ロビンソン・クルーソー的な一人の
孤立した個人の自給自足的労働を極限として
思い浮かべるならば、どんな他者のためとい
う規定も帯びない生産物やサービス活動を想
定することは可能である。【3】じっさい、
私たちの文明生活においても、一人暮しにお
ける家事活動など、部分的にはこのような自
分の身体の維持のみに当てられたとしか考え
られない労働が存在しうる。
 【4】しかし、そのようにして維持された
自分の身体は、ほとんどの場合、ただその維
持のみを目的として終わることはなく、むし
ろ今度はそれ自身が他の外的な活動のために
使用されることにな る。【5】また自分自
身を直接に養う労働行為といえども、そこに
はそれをなし得る一定の能力と技術が不可欠
であり、それらを私たちは、ロビンソン・ク
ルーソー的な孤立に至るまでの生涯のどこか
で、「人間一般」に施しうるものとして習い
覚えたのである。【6】自分自身を直接に養
う労働行為において、私たちは、「未来の自
分」「いまだ自分ではない自分」を再生産す
るためにそれを行うのであるから、いわば、
自分を「他者」であるかのように見なすこと
によってそれを実行しているのだ。【7】自
分一人のために技巧を凝らした料理を作って
みても、どことなくむなしい感じがつきまと
うのはそのゆえである。
 【8】さらに、私たちは、資本主義的な分
業と交換と流通の体 制、つまり商品経済の
体制のなかで生きているという条件を取り払
って、たとえば原始人は、閉ざされた自給自
足体制をとっていたという「純粋モデル」を
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思い描きがちである。【9】だが、いかなる
小さな孤立した原始的共同体といえども、そ
の内部においては、ある一人の労働行為は、
常に同時にその他の成員一般のためという規
定を帯∵びていたのである。【0】つまり、
ある一人の労働行為 は、彼が属する社会の
なかでの一定の役割を担うという意味から自
由ではあり得なかった。
 労働の意義が、人間の社会存在的本質に宿
っているということの第二の意味は、そもそ
もある労働が可能となるために、人は、他人
の生産物やサービスを必要とするという点で
ある。これもまた、いかなる原始共同体でも
変わらない。実際に協業する場合はいうに及
ばず、一見一人で労働する場合にも、その労
働技術やそれに用いる道具や資材などから、
他人の生産物やサービス活動の関与を排除す
ることは難しい。すっかり排除してしまった
ら、猿が木に登って木の実を採取する以上の
大したことはできないであろう。
 そして第三の意味は、労働こそまさに、社
会的な人間関係それ自体を形成する基礎的な
媒介になっているという事実である。労働は
人間精神の、身体を介してのモノや行動への
外化・表出形態の一つであるから、それはは
じめから関係的な行為であり、他者への呼び
かけという根源的な動機を潜ませている。
 人はそれぞれの置かれた条件を踏まえて、
それぞれの部署で自らの労働行為を社会に向
かって投与するが、それらの諸労働は、およ
そ、ある複数の人間行為の統合への見通しと
目的とを持たずにばらばらに存在するという
ことはあり得ず、だれかのそれへの気づきと
関与と参入とをはじめから「当てにしている
」。そしてできあがった生産物や一定のサー
ビス活動が、だれか他人によって所有された
り消費されたりすることもまた「当てにして
いる」。他人との協業や分業のあり方、また
その成果が他人の手に落ちるあり方は、経済
システムによってさまざまであり得るが、い
ずれにしても、そこには、労働行為というも
のが、社会的な共同性全体の連鎖的関係を通
してその意味と本質を受け取るという原理が
貫かれている。労働 は、一人の人間が社会
的人格としてのアイデンティティを承認され
るための、必須条件なのである。

(小浜逸郎()「人間はなぜ働かなくてはな
らないのか」より)