長文集  11月3週  ★ガイドブック等で(感)  nnzu2-11-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】ガイドブック等で、見るべき価値が
あるものとして紹介されたものを読んでいた
のに、実際自分でその場所に出向いてみる 
と、「裏切られた」と失望することもある。
【2】だがその様に失望することが何を意味
するかを考えると、「既知感」に陥ることな
く、自分自身の解釈が加わったと考えられる
。これは少なくとも、自分自身が介在できた
ことを意味している。【3】また事前にある
程度の情報があったとしても、それ程心動か
されないままに出向いて、実際自分の目で見
回してみると、予想外に心に響いた事があれ
ば、この場合も「既知感」に陥らずに、自分
自身が介在して得られた発見であることは間
違いない。
 【4】あくまでも情報で得られた対象に関
心を寄せ、目的と考えたものだけに焦点を当
てる、つまり極小点へ接近し、再確認するこ
とだけで納得する様な状態から、我々は逃れ
る方法がないものなのだろうか。
 【5】それは周囲を見渡す余裕を、積極的
に引き出せるかに掛かっている。というのも
、その余裕を引き出すことができれば、フッ
と肩の力を抜き、周囲に目を向けて見られる
ようになるからだ。そして大切なのは、点へ
接近することだけで終わらず、その点に留意
しながらも、その点を少しでも広げることを
意識することである。
 【6】目的と考えた、その点に辿り着くま
での間に何もない筈がなく、そこで何か拾お
うとすることは、必然的に点的思考から線的
思考へと移行する。つまり点的思考とは、た
とえれば、目的地に辿り着くまで、乗り物の
中で居眠りして、着いた時にようやく目を覚
まし、目的地だけを見てしまうことだ。【7
】線的思考とは、たとえ目的地に向かって乗
り物に乗っていたとしても、その間居眠りす
ることもなく、周囲の風景に目を凝らしなが
ら乗っている状態である。当然、線的思考で
は乗り物を利用しなくても、徒歩でじっくり
周囲に眼差しを注ぎながら目的地に向かうこ
とも含まれる。
 【8】また面的思考とは、点的思考、線的
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
思考よりも、もっと広範囲に眼差しを注ぐこ
とである。点的思考、線的思考における点、
線∵は、目的とする範囲が限定されたものだ
が、面的思考になれ ば、目的地そのものが
限定されない、つまりどこも目的地ではなく
なるのだ。【9】そのことを逆に言えば、周
囲のどこでもが目的地になることだ。さらに
上空に広がる大空間へといった、空間的思考
になればもっと広がり、三次元空間において
、きっと予想を越える発見が舞い降りてくる
、言わば予感に満ちた状態を手に入れること
ができるだろう。
 【0】「既知感」は空間的に捉えた、点的
思考、線的思考、面的思考、更に空間的思考
への関心に留まるものではない。新しく創作
することにおいても「既知感」を持って臨ん
でいるか、臨んでいないかが、創造すること
を考える上で重要になる。
 新しく創作される時に、もし創作者が「既
知感」を持って創作の方向性を決めていたと
したら、その時、創造することから大きく後
退してしまうのではないだろうか。つまりそ
の行為は、事前に見たり知識で得られたもの
に依ってイメージされたものがあり、そこに
向かおうとすることに他ならず、先人達が成
し遂げた形象や形態、あるいは考え方や論考
等に近付こうとすることが、第一義となるか
らだ。確かに行為そのものに依って何がしか
が生み出されたとしても、創造性に関して言
えば何も新しいことが生み出されないことに
なる。それはなぞりにしか過ぎない、あるい
は模倣でしかないと見なされる運命を辿る。
 もしそれ等を一旦脇に置くことができずに
、創作する方向性さえも同じ、つまり「既知
感」を持ちつつ、なぞりや模倣の域で終わる
ものになるなら、それは創作されたものとは
決して見なされないのだ。
 もし「既知感」という手立てに対する意識
から離れることができれば、初めてその人に
とって未知の世界が立ち現われたことを意味
する。創造することとは、やはり未知の世界
の中に自分が飛び込 み、未知の世界の中か
ら自分自身が必要な因子を拾い上げ、構築、
あるいは再構築する作業であることを忘れて
はならないのだ。

 その意味において「既知感」は、事前に得
られた情報、既に世に出た作品等に頼ること
なく、それぞれの局面において、いかに自分
自身で発見できるかを問う、自分自身だけに
与えられたリトマス紙の様な、大切な判断の
手立てと言えるのだろう。

(矢萩()喜従郎()「多中心の思考」より