長文集  12月3週  ★一連の関連情報に(感)  nnzu2-12-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】一連の関連情報に熟知しているはず
の情報科学の担当者でも、二、三ヵ月単位で
入れ替わる最先端の機器のことはすぐにわか
らなくなるという。【2】理科系学部の出身
者でも、わからないと音を上げる先端機器の
扱い方は、いまでは一握りの人間だけが専門
家として熟知しているのだという。機能がよ
くなるたびに使い捨てにするのは、ソフトや
機器類だけではない。
 【3】みかけの明るさのなかにある、この
不気味な闇はいったいどう解釈すればいいの
か。専門の医師さえ知らない最新の病気の症
状もインターネットで手に入るし、あやしげ
な薬も核兵器までもがインターネットで手に
入る時代になったのである。
 【4】迷惑メールやヴィールスのあつかい
を今後どうするのか も、これからの共同の
課題であろう。しかし、それと同時に、いま
なお外国の放送が自由に受信できず、外から
の情報が遮断されている国がすぐ近くにもあ
ることを忘れないでいたい。【5】そうし 
て、いまこの瞬間にも、われわれの貴重な文
書が、時代遅れでもう要らないとみなされて
、大量のごみとして、どしどし抹殺される新
しい焚書の時代がいま進行していることを忘
れてはならない。
 【6】今後、われわれは、あまたの情報機
器をどう使いこなしていけばいいのか。その
知恵が共通の知恵として、われわれの社会に
根づくには、まだだいぶ時間がかかりそうで
ある。そのときが来るまで、この私が、はた
して無事に生きていられるという保障はな 
い。【7】とすれば、私はやはり、自分のメ
モやノートのたぐい は、ある程度は手書き
のまま残しておくのがいいのではないか。フ
ァイルなども、すべて抹殺して自己の責任を
帳消しにしたがる文化は、自分史の痕跡すら
抹殺する文化であることを忘れないでいたい
ものである。
 【8】情報化時代は、いくら言われ聞かさ
れても、自分の利害に直接関わりがないと、
知らぬ存ぜぬという顔をする厚顔無恥な傾向
を助長するところがある。【9】またいま、
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われわれ現代人がどれほど誠実に現代社会の
諸問題に対して処方箋を考えてみたところ 
で、それが後代の日本人に対する処方箋には
なりえないだろうということがある。そうい
う言説は、それを発する当人の世代に対する
処方箋でし∵かないということも真実なのだ

 【0】そう考えると、二十一世紀の人間に
は、この先の二十年、三十年先のことまでは
、とても予測できないだろうという悲観論 
も、引きうけなくてはならなくなる。
 私という人間が、せまく「われ」という殻
に閉じこもって「ひとり」になるのと、せま
い「われわれ」のなかに逃げ込むのは、別で
はなく、どこかでつながっている。あえて孤
立化することと、みかけの連帯を志向するの
は、逆方向にむかう別の動きではあるもの 
の、結果としてせまいかたちでひとつになっ
ている、というのが日本的な「われ」と「わ
れわれ」のかかえる、むずかしい問題のあり
かを象徴的に示している。
 こうして、せまく小さいi−()weが密
接に関わりあい、お互いになりかわりあい、
支えあうが、他の者はすべてtheyとして
突き放し、目をやらないというのが日本人の
「日本人らしさ」になっている。
 そこにある問題をこのまま放置しておいて
いいのか、というのが私の問いかけたい問い
である。今後、より開かれた国際社会のなか
で、よりひろい生き方を選びとろうとするな
ら、たとえ自分とは異質であっても、協力し
共生していくために、新たな連帯の道を模索
することがあってもいいのではないか。そう
いう方向に自らを認識させようとする生き方
を、さらに模索していくことがいまわれわれ
に求められているのではないか。
 「われ」が「われわれ」と同じものを求め
あい、「われ」が他の「われ」と容易になり
かわりあう社会。そういう慣例が国民レベル
ですでに浸透しきっている日本という社会は
、どこまでも同質であることに価値をおき、
そのなかで、似通った人材の再生産をめざす
社会になっている。
 国の内外に見られる「平和」というものも
、そのせまい生ぬるい排他的な社会のあり方
から来ている。そのなかにあるかぎり、とく
にめだった反抗をしないでいれば、痛くもか
ゆくもない安全と平和が保障されている。だ
が、それが見えないところでどれだけ絶望に
充ちたあり方になっているか、何もしなくて
いい問題であるかはまた別の問題である。
(小原信「iモード社会の「われとわれわれ
」)