長文集  10月2週  ★子どものころ、わたしは(感)  nu-10-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】子どものころ、わたしは「ノーの一
語」という見出しの文を読んだことがある。
それは、あるイギリス人の書いた本から訳し
たものだということで、「ノー」ということ
ばは、ときとしてたいへん言いにくいことば
であるが、言いにくいからといって、言うべ
きときに、言わないでいると、相手に思いも
よらない迷惑をかけることがある、というも
のであった。【2】これは、おそらく、人間
という人間が、生きていくあいだにいくどと
なくぶつかる問題であると思う。わたしもこ
の問題について考えてきたことを書いてみた
い。
 ことばの生活には、ときどき、言いにくい
ことばがあらわれて、わたしたちのことばを
、にごらせたり、くもらせたり、ゆがませた
りする。
 【3】「忘れました。」もそのひとつであ
る。このことばを言うとき、知らないあいだ
に、わたしたちの声は小さくなったり、不明
確になったりしやすい。ことに、忘れてはな
らないだいじな用事を忘れたときなど、「忘
れました。」は、いっそう言いにくいことば
になって、なぜ忘れたかという言いわけのほ
うが、それよりもさきに口をついて出てくる
。【4】しかし、そういう言いわけは、じっ
さいには責任転嫁にきこえるだけで、なんの
ききめもない。「忘れました。すみません。
」という、責任感から出たことばだけが、相
手の心をほぐす力がある。それを言ったあと
で、忘れるようになった事情をのべれば、そ
れは責任のがれではなく誠意のこもったこと
ばとして、相手の心に通じるものである。
 【5】一般に、「ください。」とか「おね
がいいたします。」とかいう依頼のことばや
、「すみません。」とか「ゆるしてくださ 
い。」とかいうようなわびのことばも、言い
にくいものである。【6】ことに、まだこと
ばの生活にじゅうぶんなれていない少年や青
年のころには言いにくい。そのために、つい
、言うのをためらったり、ことばをあいまい
にしたりして、卑屈な態度になりやすい。【
7】あるいはまた、まともに「申しわけあり
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ません。」と言うかわりに、「おわびに来ま
した。」というような言い方になりやすい。
それではおわびの真実はあらわれない。言い
にくさを押しきって言う声やすがたこそ、お
わびの真実があらわれて、相手の心を動かす
のである。∵【8】そのようにだいじな、し
かも、ことばとしてみればほんのかんたんな
ひとことが、どうしてそんなに言いにくいの
であろうか。それは、こういうことばは、自
分の失敗や、欠点や、無力さを、みずからみ
とめる自己否定のことばだからである。
 【9】しかし、自分を否定するとは、自分
の全体をだめだとしてしまうことではない。
 自分のここがまちがっていたとか、この点
がたりなかったのだとか、自分からはっきり
みとめてそれを否定することであり、そうす
ることで、わたしたちは明るくなり、つよく
なる。【0】とはいっても、自分の全部を肯
定して、自分だけは完全なもののように思っ
ていたいのが人情である。だから、だれでも
、自分の欠点をみとめたり、みとめられたり
することは、本能的にさけようとするのであ
る。
 こういう類(たぐい)の言いにくいことば
をほんとうに征服することができたとき、人
間としての真実が開けてくる。また、人間と
しての真実があらわれるとき、言いにくいこ
とばも征服される。そういう真実になっても
のを言うとき、そのことばはよく相手に通じ
るだけでなく、ことばのひびきもすがたもす
っきりしてくるのである。