長文集  12月2週  ★ある日、五つになる(感)  nu-12-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】ある日、五つになる孫坊主からはが
きがとどきました。文面は、「おようふく、
ありがとう。そう」とただそれだけでした 
が、この大小さまざまな十幾字かが、思い思
いの方角をむいて、はがきからあふれ出そう
に書かれていました。
 【2】これは、誕生日のお祝いの洋服の礼
状なのです。「そう」というのは、草一郎の
「草」で、「草、そう」と呼ばれているとこ
ろからこう書いたものと思われます。わたし
は、それがうれしくてうれしくて、長いこと
自分の書斎に画びょうでとめておいたもので
す。【3】ところで、考えてみると、手紙と
いうものは、そうやさしいものではありませ
ん。どこがむずかしいかと申しますと、結 
局、手紙にはあて名があるからだと、わたし
は思っています。もっとも、あて名のない手
紙もあります。【4】印刷されたあいさつじ
ょうや通知じょうの類がそれです。わたした
ちは、この砂をかむようなあて名のない手紙
もずいぶん読まされます。
 この事務的な手紙の印刷をわたしたちもす
ることがあります。年賀じょうなどはもっと
もよい例でしょう。【5】これなどは、あて
名のない手紙の代表的なものかもしれません
。いま、この年賀じょうの余白に万年筆でほ
んの一行、「灘から例のが届いている。待っ
ている」と書き添えたとしましょうか。【6
】このふぬけなはがきが、たちまちにして生
き生きと血が通いだすのがわかりましょう。
つまりは、この一行で、あて名が書かれたか
らのことです。これはしかし、あて名と同時
に差出人があるということでもあります。【
7】受け取る側からすれば、差出人のない手
紙などは一向にありがたくありません。歌や
俳句の世界で、作者不在などとよく申します
が、手紙にもずいぶん筆者不在のものを見か
けます。【8】商用文でも、客筋にあてたも
のばかりでなく、商店から商店に出すものに
も、それなりの筆者もあて名もあるべきだと
わたしは思っていま す。
 今日の文章のおおかたは、印刷されるもの
として書かれるとみてよいでしょう。【9】
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ところが、印刷されないということが前提で
書かれる文章があります。日記と手紙です。
この日記と手紙を比べてみると、大分ちがっ
たところがあります。一つ二つひろってみる
と、日記は自分以外の人には見せないたてま
えで書かれるのに、手紙は相手に見せること
がたてまえで書かれます。【0】日記の方 
は、どんな∵文章で書いても自分の心覚えで
すから一向にさしつかえありませんが、手紙
の方はそうはまいりません。もっと困ること
は、日記の方は自分の手元に残っていて、い
つどのようにでも処理できるのに、手紙の方
は、相手に渡してしまわねばなりません。そ
して、相手がこれをどのように読もうと、自
分はそれに関与できないことです。それどこ
ろではありません。いつまでも保存されて、
わたしの「そう」のはがきのように壁にはら
れて、毎日毎日ながめられるような仕儀にも
なりかねません。(中略)
 手紙の妙味の真骨頂は、一対一で認められ
るところにあります。あて名があって差出人
があることです。ユーゴーが、のちの「レ・
ミゼラブル」の売れゆきを心配して出版社に
「?」と書いてやったところ、おりかえし「
!」と返事がきたという有名なお話がありま
す。本屋の返事の「!」は、すごく売れてい
ますという意味です。以心伝心、不立文字(
ふりゅうもんじ)を地でゆくようなやりとり
ではありませんか。
 わたしはこんな返事の書ける、こんな手紙
がほしい。