1. 【1】数年前のことになるが、
私は米国人の言語学者T氏と東京で親しくなった。
彼はもともとアメリカ・インディアンの言語を
専門に研究していたが、終戦後の日本に軍人として
駐留していたこともあって、最近では日本語の歴史や方言にも
興味を
示しはじめ、
遂に奥さんと三人の
娘をつれて東京にやって来たのである。【2】
奥さんはイタリア
系の人で、小学校の先生をしている。
2.
彼は古い日本家屋を一
軒借り、
畳に
座蒲団、冬は
炬燵に
懐炉、そして三人の
娘を日本の学校に入れるという、一家あげての見事な日本式生活への
適応ぶりだった。
3. 【3】ある日、アメリカの学者の
習慣として、
彼は多くの言語学関係の友人、知人を家に
招待した。まずイタリア風のイカのおつまみなどで、カクテルを
済ませた後、別室で夕飯ということになった。【4】一同が
座につくと、テーブルには肉料理やサラダなどが
並べられ、面白いことに、白い
御飯が日本のドンブリに
盛りつけて出されたのである。
4. 【5】
畳の上に
座っていること、白い
御飯であること、T氏たちが日本式生活を実行していることなどが重なり合って、
一瞬私は、この
御飯を主食にして、おかずを
併せて食べるのだという風に思ったらしい。【6】目の前の肉の皿を取り上げて、
隣の人に回そうとしかけた時、
私はT夫人のかすかにとまどったような気配を感じた。
5.
間違ったかなと思った
私は、
御飯は肉と
一緒に食べるのか、それとも
御飯だけで食べるのかと
尋ねると、夫人は笑いながら、まず
御飯を食べて下さいと言う。
6. 【7】
私はその時、はっと気が付いた。この
御飯は、イタリア料理ではマカロニやスパゲッティと同じくスープに相当する部分なのだと。
7. はたして、それは油と
香辛料で料理した、一種のピラフのような∵ものだった。
8. 【8】食事というものは、いろいろな
条件に
制約された文化という
構造体の重要な部分である。何をいつ食べるか、それをどう食べるか、食べていけないものは何か、といったことに関して、どの国の食事にも、さまざまな
制限や
規則が
習慣として
存在する。
9. 【9】カトリック教徒は金曜日には
獣肉を食べないし、イスラム教徒は
豚肉を
不浄なものとして決して食べないというようなことは
誰でも知っている有名な事実であろう。
10. 【0】しかしこのように、何かを食べてはいけないという
明示的な
規則は、外国人にも
比較的判りやすい。ところが自分の国の食物と同じものが、外国の食事の中にありながら、その食物と他の食物との関係が、自国の食事の場合と
違うという、つまり同一の食物の食事全体における
価値が、文化によって
異なるときに、
難しい問題がおきるのである。
11. 白い米の
御飯は、日本食の場合には、食事の始めから終わりまで食べられる。というよりは、米の飯だけを集中的に食べることは、むしろいけないこととされている。おかずから
御飯、
御飯からお
汁と、あちこち飛び回らなければ、
行儀が良いとは言えないのである。
12. そこで米の飯と他の食物との日本食における関係は、
並列的・同時的であると言えよう。お
汁に始まり、
香の物に
至るまで、米を食べてよいのである。
13. ところが、食事の一
段階ごとに一品ずつの食物を
片付けていく、通時的
展開方式の
性格の強い食事文化もある。西洋
諸国ではこの
傾向が強く、イタリアの食事も例外ではない。ここでは
麺類や米の料理などは、ミネストラと
称して、
本格的な肉料理が始まる前に
済ませてしまうのだ。
14.
私がドンブリに
盛られた白い
御飯を見て、おかずも
一緒に食べようと思った失敗は、日本の食事文化に
存在するある
項目を、別の∵食事文化の中に見出したため、これを自分の文化に
内在する
構造に従って位置づけ、日本的な
価値を
与えようとしたことが
原因なのであった。
15. 文化の単位をなしている
個々の
項目(事物や行動)というものは、一つ一つが、他の
項目から
独立した、それ自体で完結した
存在ではなく、他のさまざまな
項目との間で、一種の
引張り合い、
押し合いの対立をしながら、相対的に
価値が決まっていくものなのである。
16. 自分の文化にある文化
項目(たとえばある種の食物)が、他の文化の中に見出されたからといって、直ちにそれを同じものだと考えることが
誤りなのは、その
項目に
価値(意味)を
与える全体の
構造が、多くの場合
違っているからである。
17. (
中略)
18.
私たちが、外国語を学習する
際にも、いま
述べたような具合に、自国語の
構造を自分ではそれと気づかずに、まず対象に
投影して
理解するという方法をとりやすい。
従っていろいろと
食い違いが生じてくるのも当然である。
19.(
鈴木孝夫『ことばと文化』による)