長文 10.1週
1. 【1】「泣きながらごはん食べると、おいしくない」。小さいとき、どこかでそんな歌を聞いた。
2. 歌の
内容は、もうすっかり
忘れてしまったのだが、そのワンフレーズだけはよく覚えている。きっとその当時から、「それはそうだなあ」と実感し、
納得していたのだろう。
3. 【2】両親にしかられたり、友達とけんかをしたり、先生にお説教をされたりしたあとに食べるご飯は、
確かにおいしくない。悲しいとかくやしいとか、そんな重苦しいものが
お腹にズウンとつまっているようで、
食欲すらわいてこないこともある。
4. 【3】もしかしたら、どんなに
嫌な気分でいても、ご飯を食べているうちに
忘れていって、
満腹になったらケロッとしてしまう明るい
性格の人もいるのかもしれないが、大多数の人はそうではないだろう。【4】つまり「おいしい」とか「まずい」というのは、食べ物そのものより、自分の心の持ちようで変わるものなのかもしれない。
5. そういえば、こんなこともあった。前、
沖縄へ旅行をして、海辺でゴーヤチャンプルーを食べたときのことだ。【5】
新鮮な感じがして、とてもおいしかった。それをもう一度味わいたくて、帰ってから母にゴーヤチャンプルーを作ってほしいと
頼んだ。
6. しかし、いざそれが
我が家の
食卓に乗り、一口食べてみたら、なぜかそれほどおいしくは感じられなかった。【6】いや、はっきり言うと変な味だと思ってしまった。
7. せっかく作ってくれた母に悪かったので、全部食べたが、「こんな味だったっけ?」と首をかしげたくなったものだ。
8. 【7】今思うと、
沖縄の海で思いきり泳ぎ、
お腹を空かせて、美しい海を
眺めながら食べた、という
雰囲気が、おいしさを
倍増させたのだろう。
9. やはり、よい気分で食べるご飯はおいしい。楽しい気持ちでいると、不思議と
お腹も空く。∵
10. 【8】この間の給食のとき、友達が面白い話を連発して、大笑いをした。まるで
お腹がよじれるようで、
絶対に
吹き出してしまうから、
牛乳を飲むことができなかったほどだ。
11. ただし、そのとき食べたものの
肝心の味がどうだったかということは、実はあまり覚えていない。【9】というより、友達とのおしゃべりが面白すぎて、何を食べたかも思い出せないのである。
12. 「笑いながらごはん食べても、おいしいとは
限らない」。ふと、そんな言葉が頭に
浮かんだ。でも、笑いながらごはんを食べれば、
お腹も心も
満腹になる。これからも、そんな楽しい食事をしていきたい。【0】
13.(言葉の森長文作成委員会 ι)
長文 10.2週
1. 【1】子どものころ、わたしは「ノーの一語」という見出しの文を読んだことがある。それは、あるイギリス人の書いた本から
訳したものだということで、「ノー」ということばは、ときとしてたいへん言いにくいことばであるが、言いにくいからといって、言うべきときに、言わないでいると、相手に思いもよらない
迷惑をかけることがある、というものであった。【2】これは、おそらく、人間という人間が、生きていくあいだにいくどとなくぶつかる問題であると思う。わたしもこの問題について考えてきたことを書いてみたい。
2. ことばの生活には、ときどき、言いにくいことばがあらわれて、わたしたちのことばを、にごらせたり、くもらせたり、ゆがませたりする。
3. 【3】「
忘れました。」もそのひとつである。このことばを言うとき、知らないあいだに、わたしたちの声は小さくなったり、
不明確になったりしやすい。ことに、
忘れてはならないだいじな用事を
忘れたときなど、「
忘れました。」は、いっそう言いにくいことばになって、なぜ
忘れたかという言いわけのほうが、それよりもさきに口をついて出てくる。【4】しかし、そういう言いわけは、じっさいには
責任転嫁にきこえるだけで、なんのききめもない。「
忘れました。すみません。」という、
責任感から出たことばだけが、相手の心をほぐす力がある。それを言ったあとで、
忘れるようになった
事情をのべれば、それは
責任のがれではなく
誠意のこもったことばとして、相手の心に通じるものである。
4. 【5】
一般に、「ください。」とか「おねがいいたします。」とかいう
依頼のことばや、「すみません。」とか「ゆるしてください。」とかいうようなわびのことばも、言いにくいものである。【6】ことに、まだことばの生活にじゅうぶんなれていない少年や青年のころには言いにくい。そのために、つい、言うのをためらったり、ことばをあいまいにしたりして、
卑屈な
態度になりやすい。【7】あるいはまた、まともに「申しわけありません。」と言うかわりに、「おわびに来ました。」というような言い方になりやすい。それではおわびの真実はあらわれない。言いにくさを
押しきって言う声やすがたこそ、おわびの真実があらわれて、相手の心を動かすのである。∵【8】そのようにだいじな、しかも、ことばとしてみればほんのかんたんなひとことが、どうしてそんなに言いにくいのであろうか。それは、こういうことばは、自分の失敗や、欠点や、無力さを、みずからみとめる
自己否定のことばだからである。
5. 【9】しかし、自分を
否定するとは、自分の全体をだめだとしてしまうことではない。
6. 自分のここがまちがっていたとか、この点がたりなかったのだとか、自分からはっきりみとめてそれを
否定することであり、そうすることで、わたしたちは明るくなり、つよくなる。【0】とはいっても、自分の全部を
肯定して、自分だけは完全なもののように思っていたいのが
人情である。だから、だれでも、自分の欠点をみとめたり、みとめられたりすることは、
本能的にさけようとするのである。
7. こういう
類の言いにくいことばをほんとうに
征服することができたとき、人間としての真実が開けてくる。また、人間としての真実があらわれるとき、言いにくいことばも
征服される。そういう真実になってものを言うとき、そのことばはよく相手に通じるだけでなく、ことばのひびきもすがたもすっきりしてくるのである。
長文 10.3週
1. 【1】あなたがたはとくと考えたことがあるでしょうか、今も日本がすばらしい手仕事の国であることを。西洋では機械の働きがあまりにさかんで、手仕事の方はおとろえてしまいました。しかし、それにあまりかたよりすぎてはいろいろの害が
現れます。【2】だから、各国とも手の
技をもり返そうと努めています。なぜ機械仕事とともに手仕事が必要なのでしょうか。機械によらなければできない品物があるとともに、機械では生まれないものがかずかずあるわけです。【3】すべてを機械に
任せてしまうと、第一に国民的な特色あるものがとぼしくなってきます。機械は世界のものを共通にしてしまうかたむきがあります。それは、残念なことに、機械はとかく利得のために用いられるので、できる品物がそまつになりがちです。【4】それに人間が機械に使われてしまうためか、働く人からとかくよろこびをうばってしまいます。こういうことがわざわいして、機械
製品にはよいものが少なくなってきました。これらの欠点を
補うためには、どうしても手仕事が守られねばなりません。【5】そのすぐれた点は多くの場合
民俗的な特色がこく
現れてくることと、品物がてがたく親切に作られることです。そこには自由と
責任とが
保たれます。そのため仕事によろこびがともなったり、また新しいものをつくる力が
現れたりします。【6】だから手仕事をもっとも人間的な仕事と見てよいでしょう。ここにそのもっとも大きな
特性があると思われます。
2. かりにこういう人間的な働きがなくなったら、この世に美しいものは、どんなに少なくなってくるでしょう。【7】各国で機械の発達をはかるとともに手仕事を大切にするのは当然な理由があるといわねばなりません。西洋では「手で作ったもの」というとただちに「よい品」を意味するようにさえなってきました。人間の手には信らいすべき
性質が宿ります。
3. 【8】
欧米の
事情にくらべますと、日本ははるかにまだ手仕事に
恵まれた国なのに気づきます。各地方にはそれぞれ特色のある品物が今も手で作られつつあります。たとえば
手漉きの紙や、手
轆轤の焼き物などが、日本ほど今もさかんに作り続けられている国は、ほかにはまれではないかと思われます。
4. 【9】しかし、残念なことに日本では、かえってそういう手の
技が大切なものだという反省が
ゆき渡っていません。それどころか手仕事∵などは時代にとり残されたものだという考えが強まってきました。そのため多くは投げやりにしてあります。【0】このままですと手仕事はだんだんおとろえて機械生産のみさかんになるときがくるでしょう。しかし、
私どもは西洋でなした
過失をくり返したくありません。日本の固有な美しさを守るために手仕事の歴史をさらに育てるべきだと思います。
5. さて、
興味深いことには、ほうぼうでめぐり合った手仕事による品物は、それがどんなに美しい場合でも、一つとして作った人の名をしるしたものはありません。時として何地方名産とか、何何堂
製などとはり紙のついている場合もありますが、
個人の名はどこにもしるしてありません。ところが近世の「
美術品」と
呼ばれているものを見ますと、どこにもみな
銘が書き入れてあります。または
落款がおしてあります。
銘というのは作り手の名であり、
落款というのはその名をしるした
印形です。たとえばどんなつまらない作品にも
何某の作ということがしるしてあります。
6. ここにおもしろい
対比が見られます。一方では名などしるす気持ちがなく、一方は名を書くのを
忘れたことがありません。なぜこんな
相違が起こるのでしょうか。要するに一方は
職人が作るものであり、一方は
美術家が生むものだからであるといわれます。前者は多くの人たちの作りうるものであり、後者はある
個人だけが作りうる作品だからです。しかしこのことは、とかく前者をいやしみ、後者をのみ
尊ぶ風習を生みました。なぜなら
職人の作ったものは
平凡であり、
美術家の作るものは
非凡であると思われるからです。どんな品物も
銘がない場合に、その
市価が落ちるのはつねに見られる
現象です。ですがこういう見方ははたして当をえたものでしょうか。(中略)
7. じつに多くの
職人たちはその名をとどめずにこの世を去っていきます。しかし、かれらが親切にこしらえた品物のなかに、かれらがこの世に生きていた意味が宿ります。かれらは品物で勝負しているのです。物で残ろうとするので、名で残ろうとするのではありません。
長文 10.4週
1. はじかれたように、ぼくはふすまに手をかけた。一気にひきあけると、
廊下にとびだした。
2. でも、やっぱりそこには、だれもいないのだ。それなのに、だれもいない
廊下を、小さな足音だけが、ゆっくりと遠ざかっていく。
3. ぼくの体の中に、大きな
恐怖がふくれあがってきた。その
恐怖が、悲鳴になって口からあふれでそうになったとき、
表座敷に通じる
廊下の角を曲がって、ひょいと、いとこの
昌一が
姿をあらわした。
4.「よお。しげちゃん。」
5. もし、
昌一のそういう声をきかなかったら、まちがいなくぼくは
叫んでいただろう。だって、中学生の
昌一の頭は
坊主刈りで、おまけにその日
昌一は、中学校の
制服の白い
開襟シャツと黒い学生ズボンをはいていたものだから、ぼくにはまるで、さっきの男の子が急に大きくなって、またそこにあらわれたような気がしたのだ。
6.「よお。」
7. 立ちすくむぼくに向かってもう一度声をかけながら、
昌一が近づいてきた。いつも無愛想な顔にせいいっぱい愛想のいい、照れたような笑いを
浮かべている。
8.「
昌……ちゃん。」
9. ぼくは、かすれたような声で、いとこの名を
呼んだ。
10.「い……今、だれかと、すれちがわなかった? 小さい……
坊主頭の男の子と……。」
11.
昌一は、ぎょっとしたようにうしろをふりむき、それから、きょろきょろとあたりをみまわし、ちょっと
肩をすくめてみせた。
12.「いいや。だれとも……。なんや? それ。」
13. ぼくの全身に、どっと冷たい
汗がふきだした。あの子は、この暗い
廊下から、あとかたもなく消えうせてしまったのだ。
14. それが、ぼくがぼっこにであった最初だった。
15. ぼくは今でも、あの夜のことを思いだす。
裏庭の
闇の中で
降るように花を散らしていた
桜を。長い
廊下の
天井で、
頼りなくゆれて∵いた電灯を。ぼくと
昌一の間を
埋めていた、あのなつかしいおばあちゃんの家のにおいを……。
16. でも、そのときにはぼくはまだ、自分が本当にこの家で
暮らすことになるなんて思ってもいなかった。いつかまた、ぼっことであう日がくるとは考えもしなかった。
17. それなのに、あのぼんやりとした春の夜、ぼくのまわりではもう、新しいなにかがうごきだそうとしていたのだ。
18.(
富安陽子「ぼっこ」)
長文 11.1週
1. 【1】バッシャン。シャッターを
押すと、そんな音がするカメラがあるなんて信じられるだろうか?
2. 今や、カメラといえばみなデジカメである。シャッター音といえば、「ピピピ」、「ピロリロ」、「シャラーン」などという、電子的でオシャレなものを思い出すだろう。
3. 【2】中には気を利かせて、「カシャッ」という機械音を
再現してくれるものもあるが、それでもてのひらに、シャッターが動いた
振動まで伝わってくることはない。
4. 一つ一つの部品を、すべて人の手で組み上げたカメラ。【3】
鉄製の機械じかけのカメラ。そういう古いカメラは、シャッターを切るときに、
確かな音と手ごたえがあるのだ。
5.
私がそのカメラを手にしたきっかけは、ある日の先生の一言だった。
6.【4】「今度の校外学習では、みんなで写真を
撮りにいきます。ただし、デジカメや
携帯ではいけません」
7.
私たちは、はじめ、何を言われたのかよく分からなかった。みんながぽかんとしていると、先生はこう続けた。
8.【5】「フィルム式の古いカメラが、必ず家にあるはずです。ご両親に聞いてみてください。分からなかったら、おじいさんやおばあさんに
確認してもらってください」
9. そんなものあるわけない、と思った。家族旅行に行くときも、いつも写真はデジカメで
撮っている。【6】そんな
骨董品のようなもの、
私は見たことがなかった。
10. しかし意外なことに、そんな「見たこともない古いカメラ」は、
私の家にあったのだ。
11. 話をしたら、父はあっさりとそれを出してきてくれた。おじいちゃんの家からもらってきたものだという。【7】先生の言葉は的中していたわけだ。∵
12.
私はそのカメラを首から下げて、
撮影の練習をしてみた。これが本当にカメラかと思うほど、ズシリと重い。しかもそれを
構えたまま、いろいろな
操作を手動でしなければならないらしい。【8】完全オートが
常識の
私にとって、何もかも信じられないことだった。
13. そして校外学習の当日、
私はさらに
驚かされた。
私の家が特別なのかと思いきや、クラスのほとんど全員が、同じような古めかしい、重そうなカメラを持ってきていたのである。【9】ずらりと
並んだカメラを見て、先生は満足そうに笑っていた。
14. しかし、そんな先生が
突然、ある友達の
机を見て大声を上げた。
15.「それをそんなふうに置いちゃだめ!」
16. なんと、その友達が持ってきたカメラは、一台十万円もする、たいへん歴史ある高級なカメラだったのだ。
17. 【0】それを聞いた
私たちは
度肝を
抜かれて、では自分のカメラはどのくらいの
価値なのかと、先生を
質問ぜめにすることになった。
18.
私のカメラは、とくべつ高級品ではなかったようだ。だが、このとき
私はすでに、このカメラのことがかなり気に入っていた。なぜなら、このカメラを使えば、なんだかいつもより自分らしい写真が
撮れるような気がしていたからだ。
19. 「バッシャン」という音を聞くのが、
私は楽しみになっていた。同時に、このカメラを家族が大事に残していた理由が、少し分かった気がした。
20. 校外学習は、街の歴史
探検だった。重いカメラをそれぞれに首から下げて、
私たちは、
胸を
張って校外学習に出発した。
21.(言葉の森長文作成委員会 ι)
長文 11.2週
1. 【1】これまでの人の観察や考えを利用するという必要から、読書はまず必要である。
現在の学問にとっても必要である。いな、学問がだんだん進歩して、人間のありさまについても、自然のありさまについても、観察や思想が積み重なれば重なるほど、たくさんの本を読むことが必要になってくる。【2】
昆虫の生活を知るには、
昆虫そのものを見ることがまずたいせつである。しかし、ファーブルの
昆虫記を読むことによって
昆虫の生活はよりよくわかる。またわれわれは、すぐれた絵画や音楽や文学に
接したとききっと深い感動を受ける。【3】しかし、これまでの人が、それらの絵や音楽や文学について書いた
批評や
解説を読めば、われわれの感動はより深まる。
2. 本を読むことには、もっと別の
利益がある。それは、いくらわれわれが苦労しても、自分自身では
経験することのできない
経験、それを教えられることである。
3. 【4】たとえば、ロビンソン・クルーソーのように、ただひとり
離れ小島にただよい着いて、不便なひとりぼっちの生活を送るということは、おたがいの一生のうちに、まずありそうにもないことである。【5】しかし、ロビンソン・クルーソー
漂流記という書物を読めば、人間はそうした場合、どういう気持ちになり、どういう行動をするかということがわかる。【6】また、
孫悟空のように、雲に乗って空を飛びまわったり、耳の毛を何本かぬいて、ふっとふけば、それがみな自分と同じさるの形になって、そのへんを走りまわるというようなことは、空想の世界だけにあって
現実の世界にはないことがらである。【7】しかし、西遊記という書物を読めば、そうした場合に、人間はどんな気持ちになるだろうと、
想像することができる。
4. 小説ばかりではない。歴史の本も同じように役にたつ。われわれは、ジョージ・ワシントンのような地位に立つことは、まずあるまい。【8】また、ナポレオンのような地位に立つことは、いっそうあるまい。しかし、ワシントンの伝記を読めば、
誠実に世の中のためにつくそうとした人の喜びと苦しみがわかるし、ナポレオンの伝記を読めば、うぬぼれの
過ぎた人間の得意さと
悩みがよくわかる。
5. 【9】なるほど、われわれはロビンソン・クルーソーそのままの
境涯になることはまずあるまい。つまり、
離れ小島でひとりぼっちの生活を送ることは、まずあるまい。しかし、そうしたときの人間の気持ちを知っておくことは必要である。【0】∵クルーソーは、不便きわまる
境涯の中で、その不便にうち勝つために
奮闘した。考えてみれば、われわれの住んでいる地球もたくさんの不便をもっている。これも大きな
宇宙の中の一つの
離れ小島であるかもしれない。クルーソーの
離れ島は人間が少なすぎて
困り、われわれの地球は人間が多すぎて
困っている。
困っている点では、われわれもクルーソーと同じなのである。
困ったあげく、ときどきは、あの雲に乗って飛びまわれたらと、ふと考えることがないでもない。その点では、われわれも
孫悟空と同じである。しかし、それはむなしい空想だとさとると、やはりワシントンのように、じみちに
誠実に生きようと思うし、ときにはまた、ふと、ナポレオンのように、からいばりをしたくなったりもする。つまり、ワシントンはわれわれの中にいるのであり、ナポレオンもわれわれの中にいるのである。ひとのことを読んでいるのではない。われわれのことを読んでいるのである。
6. 書物を読むことにはこのような
利益がある。ところでわたしが、これから書物を読もうという
若い人たちに
勧めたいことが一つある。それはこういうことである。気に入った書物にでくわしたときには、一度読んだだけでよしにせずに、二度三度とくり返して読んでほしい。二度三度とくり返して読みたくなる書物、それはきっとそれだけのよさをもった書物である。
7.
孔子は、書物を読むことの
利益を、初めて説き
示した東洋人であるといってよい。ところで、
孔子は
易を読んで、
韋編三
絶したということが、その伝記に見えている。
韋編というのは、皮のひもという意味であって、当時の書物は、竹の札を一
枚ずつ横に
並べ、札と札とを皮のひもでくくりあわせてあったが、そのひもが三度も
絶ち切れるほど、
易の書物を、
孔子はくり返しくり返し読んだというのである。
8. われわれも、何かそれぞれに好きな書物を、とじ糸が三度も切れるほど愛読したいものである。どの書物がそれであるかは、人々によってちがうであろう。しかし、何かそうした愛読書を、一生のうちにはみつけたいものである。
長文 11.3週
1. 【1】科学的
態度などというと、たいへんむずかしいことのように思いがちである。しかし、
日常の生活におけるちょっとした心がけ次第でこの
態度を身につけることができるものである。では、どのようなことを科学的
態度というのであろうか。
2. 【2】まず、ものをよく見るということである。よく見ることができれば、何かふに落ちないことがあったとき「はてな。」「変だな。」と思うことができる。これが、科学的
態度への出発点なのである。
3. 【3】ところで、われわれは、いつでもものをよく見ているようであるが、実は案外よく見ていないのである。たとえば、タイはどんな色をしているかとたずねると、たいていの人は赤いと言う。はたしてそうであろうか。【4】絵にかいたえびす様の持つタイは、
確かに赤い。しかし、ほんとうのタイは、それとは
異なった色をしている。むらさき色に近い色で、生きているときは、さらに緑がかっている。【5】もし、それを見る機会がないとしても、さかな屋の店頭にあるタイなら見ることができるだろう。タイは赤いという
習慣的な考えで赤いと思っているだけである。
4. 自然界に
実際にあるもの、
実際に起こっている
現象は、決して
単純に
判断できるものではない。【6】
習慣や
常識にとらわれていたのでは正しくものを見ることはできない。だから、自分の目を見開いて、しっかりと自分の目でたしかめる
態度が必要である。
5. 【7】それでは、ものをよく見て、「はてな。」と感じさえすれば、それでいいのであろうか。問題は、「はてな。」と感じたとき、それだけで終わらせるかどうかという点にある。そのとき、「どうしてだろう。」と思い、それについて考えてみるようにしなければいけない。【8】その場合、自分の持っている
知識で説明がつかないときにはその
疑問とする点について、すぐ実験したり、調べたりしてみることである。
6. ところが、実験などというと
敬遠されがちである。が、実験を生活に取り入れることは、
興味深いことなのである。【9】たとえば、土をほり起こしているうちに、スコップがみょうに重くなったりする。そこで、草をひとつかみちぎって、こびりついている土をこす∵り取ってみる。すると、軽くなる。
7. そこで、土がこびりつかないようにしたら仕事が楽だろうということに気づく。【0】家に帰ってさびを取り、油を引いておく。
翌日からスコップは軽くなるにちがいない。そんな
簡単な実験でいいのである。
8.
日常の生活では、これと
似たようなことに出合う場合が多いものである。そんなとき、
疑問をいだいたら、そのままにほうっておかないで、実験したり調べたりすることがたいせつである。
9. 科学的
態度とは、
疑問を実験や
調査によって
解決しようとする
態度である。これは、科学を研究する者にとって必要な心がけであるばかりでなく、人間たちだれしもが身につけておく必要のある生活
態度であるといえよう。
長文 11.4週
1. 初七日の終わった夜、
私はふとんを
抜け出し、母屋を出て
離れにある弟の部屋に行った。電灯の
紐をさがしていると高校生特有の、運動部の選手
独特の
汗のしみた
匂いが
漂った。
2. あかりをつけると、そこには受験勉強の最中だった弟の時間が停止したまま
浮かび上がっていた。
私は弟の
机を
掌で
触れた。ひんやりとした木目の
感触から、つい十数日前まで、ここで笑ったり、うたを歌ったり、
悩んだりしていただろう
若いゴツゴツした弟の気持ちのようなものが感じられた。
3. 部屋を見回した。かつて
私も使っていた
本棚があった。『
樽にのって二万キロ』『コンチキ号
漂流記』『
冒険者
×××』、そんな本が
並んでいた。小夜の話は本当であった。
4. してはならないと思ったが、
私は弟の引き出しを開けてみた。大学ノートが一
冊あった。それは弟が高校に入学してからの
日誌で、毎日ではないが日々のこと、サッカーの練習、
小遣いの
出納も記してある
雑記帳のようなものだった。真面目な弟の
性格がよくあらわれていた。
5. 二月のある日、そのページだけが文字がていねいに書いてあった。その日は弟の
誕生日である。
私が父と争って出ていった
翌月だった。
6. 要約すると、――兄が父と争って家にもどらないことになった。母に相談し父に命じられて、自分はこの家を
継ぐことにした。医者になる。父は病院をたてると言った。だが自分はシュバイツァーのような医者になりたい。アフリカに行きたい。しかし
親孝行が終わるまでがんばって、それからアフリカに行き
冒険家になりたい。その時自分は四十
歳だろうか、五十
歳だろうか……。それでも自分はそれを
実現するために、体を
鍛えておくのだ。
私は兄にずっとついてきた。兄が好きだ……――
7. 弟はその冬、北海道大学の医学部
志望を
担任に
提出したという。
8.
私は自分の身勝手さ、いいかげんさを思った。
済まないと思っ∵た。長男である
私のわがままが、弟を泣かせ、
孤独にしていた。
9. あの夏の午後、川向こうの
屋敷町に
私は弟と二人で
蝉を
捕りに行った。
私達の町と
違ってそこは
塀の上にまで大きな木々が
茂り、
蝉は
捕り放題にいる。たちまち弟の持つかごは
蝉で
一杯になった。
10. 帰ろうとした時、
屋敷町の
子供達に囲まれた。
蝉を置いて行けといわれた。四、五人の相手は身体も大きかった。弟は
背後で
私の上着を
握りしめていた。
私はだまっていた。すると
背中で急に弟が大声で泣き出した。
子供達は笑った。そして弟の持っていたかごから
蝉をわしづかみにして、何
匹かを道に投げつけた……。
11. 家に帰ってから、
私は弟をなじった。二度とおまえをどこにも連れて行かない、と言った。そういわれても弟は
私のそばを
離れないで、しゃくりあげながら
私を見ていた。そんな弟によけい
腹が立った
私は、弟をなぐりつけた。弟はあやまりながら
私を見つめていた。
12. ふとした時に、あの夏の日の弟の目を思い出し、
日誌の文字が
浮かぶ。あの少年達に立ち向かうこともしなかったひきょうな自分を思う。あやまることのできない自分が生きている。
13.
蝉は
壁にじっとしている。
窓を開けたまま、
私は電灯を消した。どこか他人とは思えぬ一
匹と、自分を
情けないと思っている一人が
暗闇の中にいる。
14. もう秋がそこまで来ている。
15.(
伊集院静「夜半の
蝉」)
長文 12.1週
1. 【1】
天井と
床がひっくり返って、
天井が近づいてきた。一秒、二秒、三秒……、自分で数を数える。八秒。体の力が
抜けた。またひっくり返って、今度は
床が近づいた。同時に
僕は思った。
2.「これで
大丈夫だ。目標を達成したぞ!」
3. 【2】夏休みの課題の中で、
僕の体にいちばん重くのしかかっていたのは「八木節に向けての体力作り」だった。
4. 八木節とは、
団体でやるダンスの
演目だ。その中に、両手と両足を使って
仰向けのまま体を持ち上げ、ブリッジをする場面があった。
5. 【3】
僕は太っていて体が重いので、これは大変な作業だった。なにしろ、これまでやってきたブリッジでは一度も
肩が上がらなかった。そのほかは
確実にやりきる自信があったが、ブリッジは苦手だった。【4】しかも、八木節は、運動会と
三ツ沢競技場での発表会と、二回も
踊らなくてはならない。不安は積もっていくばかりだった。
6. そんなわけで、
僕は母にコツを教えてもらおうと思った。母は
趣味でダンスをやっていたので、体の動かし方というのをよく知っていた。
7. 【5】母によると、重要なのは手のつき方だそうで、
僕は正しいつき方をしていなかったらしい。だが、母に教わった手のつき方をしても、頭はまだ上がらない。なんとか頭をついたままのブリッジだけはできるようになったので、運動会では仕方なく頭つきでやった。【6】成功したが、満足はできなかった。
8.
僕は、
三ツ沢競技場の発表会までに、なんとかブリッジを
完璧にしたいと思った。頭つきだと、どうしても
肩が下がり気味で、「へ」の字型のブリッジになってしまう。
僕は、もっときれいにやりたかった。∵
9. 【7】練習あるのみと思った
僕は、体育のときも頭をつかないブリッジにチャレンジしてみたが、やはり
途中で
倒れてしまうのだった。
10.
僕は、学校から帰るときも、歩きながらどうしたらいいか考えた。
11.「できないわけはない。今度は手と足に全力を
込めてやってみよう。」
12. 【8】こう前向きに考えたのがよかった。
13. 家に帰ってカバンを置くと、さっそく考えたとおりにやってみた。
仰向けに
寝て、手を正しくつく。一度
深呼吸をして、手足にぐっと力を入れ、一気に
伸ばした。
肩がまったく
床から
離れようとしてくれない。【9】手に満身の力を
込めた。それでも
肩は上がらなかった。
14.「できないわけない。」
15. 自分を
励ましながら、必死に体を持ち上げた。だんだん
天井が近づいてくる。そして、ついに
肩が
床から
離れた感じがわかった。目標を達成できたのだ。
16. 【0】起き上がったとき、まるで世界そのものが自分の体とともに一回転して、がらりと変わったような気がした。
17. 人間は、目標を達成することで大きな自信をつけることができる。だが、そのためには、その目標をどうしても達成しようとする
意志の力が必要だ。「
意志のあるところに道がある」。
僕は、英語の先生に教わったことわざを思い出した。
18.(言葉の森長文作成委員会 ι)
長文 12.2週
1. 【1】ある日、五つになる孫
坊主からはがきがとどきました。文面は、「おようふく、ありがとう。そう」とただそれだけでしたが、この大小さまざまな十
幾字かが、思い思いの方角をむいて、はがきからあふれ出そうに書かれていました。
2. 【2】これは、
誕生日のお祝いの洋服の
礼状なのです。「そう」というのは、草
一郎の「草」で、「草、そう」と
呼ばれているところからこう書いたものと思われます。わたしは、それがうれしくてうれしくて、長いこと自分の
書斎に画びょうでとめておいたものです。【3】ところで、考えてみると、手紙というものは、そうやさしいものではありません。どこがむずかしいかと申しますと、結局、手紙にはあて名があるからだと、わたしは思っています。もっとも、あて名のない手紙もあります。【4】印刷されたあいさつじょうや通知じょうの類がそれです。わたしたちは、この
砂をかむようなあて名のない手紙もずいぶん読まされます。
3. この
事務的な手紙の印刷をわたしたちもすることがあります。
年賀じょうなどはもっともよい例でしょう。【5】これなどは、あて名のない手紙の代表的なものかもしれません。いま、この
年賀じょうの
余白に万年筆でほんの一行、「
灘から例のが
届いている。待っている」と
書き添えたとしましょうか。【6】このふぬけなはがきが、たちまちにして生き生きと血が通いだすのがわかりましょう。つまりは、この一行で、あて名が書かれたからのことです。これはしかし、あて名と同時に差出人があるということでもあります。【7】受け取る側からすれば、差出人のない手紙などは一向にありがたくありません。歌や
俳句の世界で、作者
不在などとよく申しますが、手紙にもずいぶん筆者
不在のものを見かけます。【8】商用文でも、
客筋にあてたものばかりでなく、商店から商店に出すものにも、それなりの筆者もあて名もあるべきだとわたしは思っています。
4. 今日の文章のおおかたは、印刷されるものとして書かれるとみてよいでしょう。【9】ところが、印刷されないということが
前提で書かれる文章があります。日記と手紙です。この日記と手紙を
比べてみると、大分ちがったところがあります。一つ二つひろってみると、日記は自分以外の人には見せないたてまえで書かれるのに、手紙は相手に見せることがたてまえで書かれます。【0】日記の方は、どんな∵文章で書いても自分の心覚えですから一向にさしつかえありませんが、手紙の方はそうはまいりません。もっと
困ることは、日記の方は自分の手元に残っていて、いつどのようにでも
処理できるのに、手紙の方は、相手に
渡してしまわねばなりません。そして、相手がこれをどのように読もうと、自分はそれに
関与できないことです。それどころではありません。いつまでも
保存されて、わたしの「そう」のはがきのように
壁にはられて、毎日毎日ながめられるような
仕儀にもなりかねません。(
中略)
5. 手紙の
妙味の
真骨頂は、一対一で
認められるところにあります。あて名があって差出人があることです。ユーゴーが、のちの「
レ・ミゼラブル」の売れゆきを心配して
出版社に「?」と書いてやったところ、おりかえし「!」と返事がきたという有名なお話があります。本屋の返事の「!」は、すごく売れていますという意味です。以心伝心、
不立文字を地でゆくようなやりとりではありませんか。
6. わたしはこんな返事の書ける、こんな手紙がほしい。
長文 12.3週
1. 【1】数年前のことになるが、
私は米国人の言語学者T氏と東京で親しくなった。
彼はもともとアメリカ・インディアンの言語を
専門に研究していたが、終戦後の日本に軍人として
駐留していたこともあって、最近では日本語の歴史や方言にも
興味を
示しはじめ、
遂に奥さんと三人の
娘をつれて東京にやって来たのである。【2】
奥さんはイタリア
系の人で、小学校の先生をしている。
2.
彼は古い日本家屋を一
軒借り、
畳に
座蒲団、冬は
炬燵に
懐炉、そして三人の
娘を日本の学校に入れるという、一家あげての見事な日本式生活への
適応ぶりだった。
3. 【3】ある日、アメリカの学者の
習慣として、
彼は多くの言語学関係の友人、知人を家に
招待した。まずイタリア風のイカのおつまみなどで、カクテルを
済ませた後、別室で夕飯ということになった。【4】一同が
座につくと、テーブルには肉料理やサラダなどが
並べられ、面白いことに、白い
御飯が日本のドンブリに
盛りつけて出されたのである。
4. 【5】
畳の上に
座っていること、白い
御飯であること、T氏たちが日本式生活を実行していることなどが重なり合って、
一瞬私は、この
御飯を主食にして、おかずを
併せて食べるのだという風に思ったらしい。【6】目の前の肉の皿を取り上げて、
隣の人に回そうとしかけた時、
私はT夫人のかすかにとまどったような気配を感じた。
5.
間違ったかなと思った
私は、
御飯は肉と
一緒に食べるのか、それとも
御飯だけで食べるのかと
尋ねると、夫人は笑いながら、まず
御飯を食べて下さいと言う。
6. 【7】
私はその時、はっと気が付いた。この
御飯は、イタリア料理ではマカロニやスパゲッティと同じくスープに相当する部分なのだと。
7. はたして、それは油と
香辛料で料理した、一種のピラフのような∵ものだった。
8. 【8】食事というものは、いろいろな
条件に
制約された文化という
構造体の重要な部分である。何をいつ食べるか、それをどう食べるか、食べていけないものは何か、といったことに関して、どの国の食事にも、さまざまな
制限や
規則が
習慣として
存在する。
9. 【9】カトリック教徒は金曜日には
獣肉を食べないし、イスラム教徒は
豚肉を
不浄なものとして決して食べないというようなことは
誰でも知っている有名な事実であろう。
10. 【0】しかしこのように、何かを食べてはいけないという
明示的な
規則は、外国人にも
比較的判りやすい。ところが自分の国の食物と同じものが、外国の食事の中にありながら、その食物と他の食物との関係が、自国の食事の場合と
違うという、つまり同一の食物の食事全体における
価値が、文化によって
異なるときに、
難しい問題がおきるのである。
11. 白い米の
御飯は、日本食の場合には、食事の始めから終わりまで食べられる。というよりは、米の飯だけを集中的に食べることは、むしろいけないこととされている。おかずから
御飯、
御飯からお
汁と、あちこち飛び回らなければ、
行儀が良いとは言えないのである。
12. そこで米の飯と他の食物との日本食における関係は、
並列的・同時的であると言えよう。お
汁に始まり、
香の物に
至るまで、米を食べてよいのである。
13. ところが、食事の一
段階ごとに一品ずつの食物を
片付けていく、通時的
展開方式の
性格の強い食事文化もある。西洋
諸国ではこの
傾向が強く、イタリアの食事も例外ではない。ここでは
麺類や米の料理などは、ミネストラと
称して、
本格的な肉料理が始まる前に
済ませてしまうのだ。
14.
私がドンブリに
盛られた白い
御飯を見て、おかずも
一緒に食べようと思った失敗は、日本の食事文化に
存在するある
項目を、別の∵食事文化の中に見出したため、これを自分の文化に
内在する
構造に従って位置づけ、日本的な
価値を
与えようとしたことが
原因なのであった。
15. 文化の単位をなしている
個々の
項目(事物や行動)というものは、一つ一つが、他の
項目から
独立した、それ自体で完結した
存在ではなく、他のさまざまな
項目との間で、一種の
引張り合い、
押し合いの対立をしながら、相対的に
価値が決まっていくものなのである。
16. 自分の文化にある文化
項目(たとえばある種の食物)が、他の文化の中に見出されたからといって、直ちにそれを同じものだと考えることが
誤りなのは、その
項目に
価値(意味)を
与える全体の
構造が、多くの場合
違っているからである。
17. (
中略)
18.
私たちが、外国語を学習する
際にも、いま
述べたような具合に、自国語の
構造を自分ではそれと気づかずに、まず対象に
投影して
理解するという方法をとりやすい。
従っていろいろと
食い違いが生じてくるのも当然である。
19.(
鈴木孝夫『ことばと文化』による)
長文 12.4週
1. いちばん運動会らしいのは、やはり、かけっこ。このごろは五十メートル競走、八十メートル競走と
呼ばれる。六人が一組になって走る。一着から三着までが、それぞれの旗のところへ
並ぶ。こういうのは五十年前にわれわれもやったのと同じだからなつかしさもひとしおである。
2.
来賓席はテントの中にある。かけっこのコースは反対側になるから、スタートからゴールまでが一望の中におさまる。ピストルがなると、小さな足が目もとまらぬ速さで前後する。目がチクチクする。どういう
応援をしたらよいのかわからないから、手もちぶさたにながめているより手がない。
3. そのうちに、おもしろいことに気がついて、急に力を入れて見るようになる。というのは、スタートとゴールで、順位が大きく変わるということだ。
4. スタートで出おくれたこどもが、三、四十メートルのところから頭角をあらわし、六、七十メートルではトップに立ち、そのままゴールへ入る。そういう組がいくつもいくつも出てくる。はじめは
偶然かと思っていたが、どうもそうではなさそうである。たいていの組で大なり小なりそういう
傾向がみとめられる。スタートからずっとトップで通すというのは例外である。
5.
途中で
伸びてきた子がよい
成績をあげる。もし、スタート地点から十メートルくらいのところで
優劣をきめれば、ゴールでトップになる子はおそらくおくれた方に入ってしまうに
違いない。早いところで、ゴールの順位を
占うことがいかに
危険であるか、これらのかけっこは、これでもか、これでもかと見せていた。こどもたちにはかけっこの教訓を
汲みとることはできまいが、先生たるものは
見逃す手はない。
6.
傍におられる
温厚な校長先生に
7.「かけっこだけではなく、勉強にも、これと
似たことがおこっているのではありませんか」と言ったら、校長先生も深く
肯かれた。
8. こどもはどこで力を出すかわからない。スタートの近くで、ああだ、こうだと言ってみてもしかたがない。
9. 小学校のかけっこはせいぜい百メートル競走である。それでも出∵おくれた子が
途中からぐんぐん出てくる。ゴールへトップで入った子がいちばん早いのは、百メートルまでのことであるのも
忘れてはならない。ゴールが二百メートルにのびれば、あるいは、ちがう子が出てきてトップに立つかもしらぬ。さらに四百メートル、千五百メートルならまた別のこどもが出てくる。
10. 人生は七十年
余り走りつづける
超大マラソンである。学校教育はそのはじめのうちの二十年くらいにしかかかわらない。そこで、この生徒は
優秀、とか、
劣等だとかきめつけてしまうのは、百メートル競走なのに、スタートから三十メートルくらいのところの順位でものを言っていることになる。
11. その運動会のかけっこを見ていても、本当のレースは半分くらいを走ったところから始まるのがわかる。学校の先生は、この点について、用心の上にも用心をしたい。めいめいのペースというものがある。百メートルではビリでも五千メートルならトップに立つということはある。学校ではいっこうにパッとしなかったのが、世の中へ出て、二十年、三十年すると、目ざましい
快走を見せているという例はいくらでもある。
12. 目先はいけない。重ねて言うが、教育は長い目を要する。
13.(外山
滋比古「空気の教育」)