a 長文 10.1週 nu
 「泣きながらごはん食べると、おいしくない」。小さいとき、どこかでそんな歌を聞いた。 
 歌の内容ないようは、もうすっかり忘れわす てしまったのだが、そのワンフレーズだけはよく覚えている。きっとその当時から、「それはそうだなあ」と実感し、納得なっとくしていたのだろう。 
 両親にしかられたり、友達とけんかをしたり、先生にお説教をされたりしたあとに食べるご飯は、確かたし においしくない。悲しいとかくやしいとか、そんな重苦しいものがお腹 なかにズウンとつまっているようで、食欲しょくよくすらわいてこないこともある。
 もしかしたら、どんなにいやな気分でいても、ご飯を食べているうちに忘れわす ていって、満腹まんぷくになったらケロッとしてしまう明るい性格せいかくの人もいるのかもしれないが、大多数の人はそうではないだろう。つまり「おいしい」とか「まずい」というのは、食べ物そのものより、自分の心の持ちようで変わるものなのかもしれない。 
 そういえば、こんなこともあった。前、沖縄おきなわへ旅行をして、海辺でゴーヤチャンプルーを食べたときのことだ。新鮮しんせんな感じがして、とてもおいしかった。それをもう一度味わいたくて、帰ってから母にゴーヤチャンプルーを作ってほしいと頼んたの だ。 
 しかし、いざそれが我が家わ や食卓しょくたくに乗り、一口食べてみたら、なぜかそれほどおいしくは感じられなかった。いや、はっきり言うと変な味だと思ってしまった。
 せっかく作ってくれた母に悪かったので、全部食べたが、「こんな味だったっけ?」と首をかしげたくなったものだ。 
 今思うと、沖縄おきなわの海で思いきり泳ぎ、お腹 なかを空かせて、美しい海を眺めなが ながら食べた、という雰囲気ふんいきが、おいしさを倍増ばいぞうさせたのだろう。
 やはり、よい気分で食べるご飯はおいしい。楽しい気持ちでいると、不思議とお腹 なかも空く。
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 この間の給食のとき、友達が面白い話を連発して、大笑いをした。まるでお腹 なかがよじれるようで、絶対ぜったい吹き出しふ だ てしまうから、牛乳ぎゅうにゅうを飲むことができなかったほどだ。 
 ただし、そのとき食べたものの肝心かんじんの味がどうだったかということは、実はあまり覚えていない。というより、友達とのおしゃべりが面白すぎて、何を食べたかも思い出せないのである。 
 「笑いながらごはん食べても、おいしいとは限らかぎ ない」。ふと、そんな言葉が頭に浮かんう  だ。でも、笑いながらごはんを食べれば、お腹 なかも心も満腹まんぷくになる。これからも、そんな楽しい食事をしていきたい。

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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a 長文 10.2週 nu
 子どものころ、わたしは「ノーの一語」という見出しの文を読んだことがある。それは、あるイギリス人の書いた本から訳しやく たものだということで、「ノー」ということばは、ときとしてたいへん言いにくいことばであるが、言いにくいからといって、言うべきときに、言わないでいると、相手に思いもよらない迷惑めいわくをかけることがある、というものであった。これは、おそらく、人間という人間が、生きていくあいだにいくどとなくぶつかる問題であると思う。わたしもこの問題について考えてきたことを書いてみたい。
 ことばの生活には、ときどき、言いにくいことばがあらわれて、わたしたちのことばを、にごらせたり、くもらせたり、ゆがませたりする。
 忘れわす ました。」もそのひとつである。このことばを言うとき、知らないあいだに、わたしたちの声は小さくなったり、不明確ふめいかくになったりしやすい。ことに、忘れわす てはならないだいじな用事を忘れわす たときなど、「忘れわす ました。」は、いっそう言いにくいことばになって、なぜ忘れわす たかという言いわけのほうが、それよりもさきに口をついて出てくる。しかし、そういう言いわけは、じっさいには責任せきにん転嫁てんかにきこえるだけで、なんのききめもない。「忘れわす ました。すみません。」という、責任せきにん感から出たことばだけが、相手の心をほぐす力がある。それを言ったあとで、忘れるわす  ようになった事情じじょうをのべれば、それは責任せきにんのがれではなく誠意せいいのこもったことばとして、相手の心に通じるものである。
 一般いっぱんに、「ください。」とか「おねがいいたします。」とかいう依頼いらいのことばや、「すみません。」とか「ゆるしてください。」とかいうようなわびのことばも、言いにくいものである。ことに、まだことばの生活にじゅうぶんなれていない少年や青年のころには言いにくい。そのために、つい、言うのをためらったり、ことばをあいまいにしたりして、卑屈ひくつ態度たいどになりやすい。あるいはまた、まともに「申しわけありません。」と言うかわりに、「おわびに来ました。」というような言い方になりやすい。それではおわびの真実はあらわれない。言いにくさを押しきっお   て言う声やすがたこそ、おわびの真実があらわれて、相手の心を動かすのである。
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そのようにだいじな、しかも、ことばとしてみればほんのかんたんなひとことが、どうしてそんなに言いにくいのであろうか。それは、こういうことばは、自分の失敗や、欠点や、無力さを、みずからみとめる自己じこ否定ひていのことばだからである。
 しかし、自分を否定ひていするとは、自分の全体をだめだとしてしまうことではない。
 自分のここがまちがっていたとか、この点がたりなかったのだとか、自分からはっきりみとめてそれを否定ひていすることであり、そうすることで、わたしたちは明るくなり、つよくなる。とはいっても、自分の全部を肯定こうていして、自分だけは完全なもののように思っていたいのが人情にんじょうである。だから、だれでも、自分の欠点をみとめたり、みとめられたりすることは、本能ほんのう的にさけようとするのである。
 こういうたぐいの言いにくいことばをほんとうに征服せいふくすることができたとき、人間としての真実が開けてくる。また、人間としての真実があらわれるとき、言いにくいことばも征服せいふくされる。そういう真実になってものを言うとき、そのことばはよく相手に通じるだけでなく、ことばのひびきもすがたもすっきりしてくるのである。
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a 長文 10.3週 nu
 あなたがたはとくと考えたことがあるでしょうか、今も日本がすばらしい手仕事の国であることを。西洋では機械の働きがあまりにさかんで、手仕事の方はおとろえてしまいました。しかし、それにあまりかたよりすぎてはいろいろの害が現れあらわ ます。だから、各国とも手のわざをもり返そうと努めています。なぜ機械仕事とともに手仕事が必要なのでしょうか。機械によらなければできない品物があるとともに、機械では生まれないものがかずかずあるわけです。すべてを機械に任せまか てしまうと、第一に国民的な特色あるものがとぼしくなってきます。機械は世界のものを共通にしてしまうかたむきがあります。それは、残念なことに、機械はとかく利得のために用いられるので、できる品物がそまつになりがちです。それに人間が機械に使われてしまうためか、働く人からとかくよろこびをうばってしまいます。こういうことがわざわいして、機械製品せいひんにはよいものが少なくなってきました。これらの欠点を補うおぎな ためには、どうしても手仕事が守られねばなりません。そのすぐれた点は多くの場合民俗みんぞく的な特色がこく現れあらわ てくることと、品物がてがたく親切に作られることです。そこには自由と責任せきにんとが保たたも れます。そのため仕事によろこびがともなったり、また新しいものをつくる力が現れあらわ たりします。だから手仕事をもっとも人間的な仕事と見てよいでしょう。ここにそのもっとも大きな特性とくせいがあると思われます。
 かりにこういう人間的な働きがなくなったら、この世に美しいものは、どんなに少なくなってくるでしょう。各国で機械の発達をはかるとともに手仕事を大切にするのは当然な理由があるといわねばなりません。西洋では「手で作ったもの」というとただちに「よい品」を意味するようにさえなってきました。人間の手には信らいすべき性質せいしつが宿ります。
 欧米おうべい事情じじょうにくらべますと、日本ははるかにまだ手仕事に恵まれめぐ  た国なのに気づきます。各地方にはそれぞれ特色のある品物が今も手で作られつつあります。たとえば手漉きてす の紙や、手轆轤ろくろの焼き物などが、日本ほど今もさかんに作り続けられている国は、ほかにはまれではないかと思われます。
 しかし、残念なことに日本では、かえってそういう手のわざが大切なものだという反省がゆき渡っ  わた ていません。それどころか手仕事
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などは時代にとり残されたものだという考えが強まってきました。そのため多くは投げやりにしてあります。このままですと手仕事はだんだんおとろえて機械生産のみさかんになるときがくるでしょう。しかし、わたしどもは西洋でなした過失かしつをくり返したくありません。日本の固有な美しさを守るために手仕事の歴史をさらに育てるべきだと思います。
 さて、興味深いきょうみぶか ことには、ほうぼうでめぐり合った手仕事による品物は、それがどんなに美しい場合でも、一つとして作った人の名をしるしたものはありません。時として何地方名産とか、何何堂せいなどとはり紙のついている場合もありますが、個人こじんの名はどこにもしるしてありません。ところが近世の「美術びじゅつ品」と呼ばよ れているものを見ますと、どこにもみなめいが書き入れてあります。または落款らっかんがおしてあります。めいというのは作り手の名であり、落款らっかんというのはその名をしるした印形いんぎょうです。たとえばどんなつまらない作品にも何某なにがしの作ということがしるしてあります。
 ここにおもしろい対比たいひが見られます。一方では名などしるす気持ちがなく、一方は名を書くのを忘れわす たことがありません。なぜこんな相違そういが起こるのでしょうか。要するに一方は職人しょくにんが作るものであり、一方は美術家びじゅつかが生むものだからであるといわれます。前者は多くの人たちの作りうるものであり、後者はある個人こじんだけが作りうる作品だからです。しかしこのことは、とかく前者をいやしみ、後者をのみ尊ぶたっと 風習を生みました。なぜなら職人しょくにんの作ったものは平凡へいぼんであり、美術家びじゅつかの作るものは非凡ひぼんであると思われるからです。どんな品物もめいがない場合に、その市価しかが落ちるのはつねに見られる現象げんしょうです。ですがこういう見方ははたして当をえたものでしょうか。(中略)
 じつに多くの職人しょくにんたちはその名をとどめずにこの世を去っていきます。しかし、かれらが親切にこしらえた品物のなかに、かれらがこの世に生きていた意味が宿ります。かれらは品物で勝負しているのです。物で残ろうとするので、名で残ろうとするのではありません。
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a 長文 10.4週 nu
 はじかれたように、ぼくはふすまに手をかけた。一気にひきあけると、廊下ろうかにとびだした。
 でも、やっぱりそこには、だれもいないのだ。それなのに、だれもいない廊下ろうかを、小さな足音だけが、ゆっくりと遠ざかっていく。
 ぼくの体の中に、大きな恐怖きょうふがふくれあがってきた。その恐怖きょうふが、悲鳴になって口からあふれでそうになったとき、表座敷おもてざしきに通じる廊下ろうかの角を曲がって、ひょいと、いとこの昌一しょういち姿すがたをあらわした。
「よお。しげちゃん。」
 もし、昌一しょういちのそういう声をきかなかったら、まちがいなくぼくは叫んさけ でいただろう。だって、中学生の昌一しょういちの頭は坊主ぼうず刈りが で、おまけにその日昌一しょういちは、中学校の制服せいふくの白い開襟かいきんシャツと黒い学生ズボンをはいていたものだから、ぼくにはまるで、さっきの男の子が急に大きくなって、またそこにあらわれたような気がしたのだ。
「よお。」
 立ちすくむぼくに向かってもう一度声をかけながら、昌一しょういちが近づいてきた。いつも無愛想な顔にせいいっぱい愛想のいい、照れたような笑いを浮かべう  ている。
しょう……ちゃん。」
 ぼくは、かすれたような声で、いとこの名を呼んよ だ。
「い……今、だれかと、すれちがわなかった? 小さい……坊主ぼうず頭の男の子と……。」
 昌一しょういちは、ぎょっとしたようにうしろをふりむき、それから、きょろきょろとあたりをみまわし、ちょっとかたをすくめてみせた。
「いいや。だれとも……。なんや? それ。」
 ぼくの全身に、どっと冷たいあせがふきだした。あの子は、この暗い廊下ろうかから、あとかたもなく消えうせてしまったのだ。
 それが、ぼくがぼっこにであった最初だった。
 ぼくは今でも、あの夜のことを思いだす。裏庭うらにわやみの中で降るふ ように花を散らしていたさくらを。長い廊下ろうか天井てんじょうで、頼りたよ なくゆれて
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いた電灯を。ぼくと昌一しょういちの間を埋めう ていた、あのなつかしいおばあちゃんの家のにおいを……。
 でも、そのときにはぼくはまだ、自分が本当にこの家で暮らすく  ことになるなんて思ってもいなかった。いつかまた、ぼっことであう日がくるとは考えもしなかった。
 それなのに、あのぼんやりとした春の夜、ぼくのまわりではもう、新しいなにかがうごきだそうとしていたのだ。


富安とみやす陽子「ぼっこ」)
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a 長文 11.1週 nu
 バッシャン。シャッターを押すお と、そんな音がするカメラがあるなんて信じられるだろうか?
 今や、カメラといえばみなデジカメである。シャッター音といえば、「ピピピ」、「ピロリロ」、「シャラーン」などという、電子的でオシャレなものを思い出すだろう。
 中には気を利かせて、「カシャッ」という機械音を再現さいげんしてくれるものもあるが、それでもてのひらに、シャッターが動いた振動しんどうまで伝わってくることはない。
 一つ一つの部品を、すべて人の手で組み上げたカメラ。鉄製てつせいの機械じかけのカメラ。そういう古いカメラは、シャッターを切るときに、確かたし な音と手ごたえがあるのだ。
 わたしがそのカメラを手にしたきっかけは、ある日の先生の一言だった。
「今度の校外学習では、みんなで写真を撮りと にいきます。ただし、デジカメや携帯けいたいではいけません」
 わたしたちは、はじめ、何を言われたのかよく分からなかった。みんながぽかんとしていると、先生はこう続けた。
「フィルム式の古いカメラが、必ず家にあるはずです。ご両親に聞いてみてください。分からなかったら、おじいさんやおばあさんに確認かくにんしてもらってください」
 そんなものあるわけない、と思った。家族旅行に行くときも、いつも写真はデジカメで撮っと ている。そんな骨董こっとう品のようなもの、わたしは見たことがなかった。
 しかし意外なことに、そんな「見たこともない古いカメラ」は、わたしの家にあったのだ。
 話をしたら、父はあっさりとそれを出してきてくれた。おじいちゃんの家からもらってきたものだという。先生の言葉は的中していたわけだ。
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 わたしはそのカメラを首から下げて、撮影さつえいの練習をしてみた。これが本当にカメラかと思うほど、ズシリと重い。しかもそれを構えかま たまま、いろいろな操作そうさを手動でしなければならないらしい。完全オートが常識じょうしきわたしにとって、何もかも信じられないことだった。
 そして校外学習の当日、わたしはさらに驚かさおどろ  れた。わたしの家が特別なのかと思いきや、クラスのほとんど全員が、同じような古めかしい、重そうなカメラを持ってきていたのである。ずらりと並んなら だカメラを見て、先生は満足そうに笑っていた。
 しかし、そんな先生が突然とつぜん、ある友達のつくえを見て大声を上げた。
「それをそんなふうに置いちゃだめ!」
 なんと、その友達が持ってきたカメラは、一台十万円もする、たいへん歴史ある高級なカメラだったのだ。
 それを聞いたわたしたちは度肝どぎも抜かぬ れて、では自分のカメラはどのくらいの価値かちなのかと、先生を質問しつもんぜめにすることになった。
 わたしのカメラは、とくべつ高級品ではなかったようだ。だが、このときわたしはすでに、このカメラのことがかなり気に入っていた。なぜなら、このカメラを使えば、なんだかいつもより自分らしい写真が撮れると  ような気がしていたからだ。
 「バッシャン」という音を聞くのが、わたしは楽しみになっていた。同時に、このカメラを家族が大事に残していた理由が、少し分かった気がした。
 校外学習は、街の歴史探検たんけんだった。重いカメラをそれぞれに首から下げて、わたしたちは、むね張っは て校外学習に出発した。

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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a 長文 11.2週 nu
 これまでの人の観察や考えを利用するという必要から、読書はまず必要である。現在げんざいの学問にとっても必要である。いな、学問がだんだん進歩して、人間のありさまについても、自然のありさまについても、観察や思想が積み重なれば重なるほど、たくさんの本を読むことが必要になってくる。昆虫こんちゅうの生活を知るには、昆虫こんちゅうそのものを見ることがまずたいせつである。しかし、ファーブルの昆虫こんちゅう記を読むことによって昆虫こんちゅうの生活はよりよくわかる。またわれわれは、すぐれた絵画や音楽や文学に接しせっ たとききっと深い感動を受ける。しかし、これまでの人が、それらの絵や音楽や文学について書いた批評ひひょう解説かいせつを読めば、われわれの感動はより深まる。
 本を読むことには、もっと別の利益りえきがある。それは、いくらわれわれが苦労しても、自分自身では経験けいけんすることのできない経験けいけん、それを教えられることである。
 たとえば、ロビンソン・クルーソーのように、ただひとり離れはな 小島にただよい着いて、不便なひとりぼっちの生活を送るということは、おたがいの一生のうちに、まずありそうにもないことである。しかし、ロビンソン・クルーソー漂流ひょうりゅう記という書物を読めば、人間はそうした場合、どういう気持ちになり、どういう行動をするかということがわかる。また、孫悟空そんごくうのように、雲に乗って空を飛びまわったり、耳の毛を何本かぬいて、ふっとふけば、それがみな自分と同じさるの形になって、そのへんを走りまわるというようなことは、空想の世界だけにあって現実げんじつの世界にはないことがらである。しかし、西遊記という書物を読めば、そうした場合に、人間はどんな気持ちになるだろうと、想像そうぞうすることができる。
 小説ばかりではない。歴史の本も同じように役にたつ。われわれは、ジョージ・ワシントンのような地位に立つことは、まずあるまい。また、ナポレオンのような地位に立つことは、いっそうあるまい。しかし、ワシントンの伝記を読めば、誠実せいじつに世の中のためにつくそうとした人の喜びと苦しみがわかるし、ナポレオンの伝記を読めば、うぬぼれの過ぎす た人間の得意さと悩みなや がよくわかる。
 なるほど、われわれはロビンソン・クルーソーそのままの境涯きょうがいになることはまずあるまい。つまり、離れはな 小島でひとりぼっちの生活を送ることは、まずあるまい。しかし、そうしたときの人間の気持ちを知っておくことは必要である。
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クルーソーは、不便きわまる境涯きょうがいの中で、その不便にうち勝つために奮闘ふんとうした。考えてみれば、われわれの住んでいる地球もたくさんの不便をもっている。これも大きな宇宙うちゅうの中の一つの離れはな 小島であるかもしれない。クルーソーの離れ島はな じまは人間が少なすぎて困りこま 、われわれの地球は人間が多すぎて困っこま ている。困っこま ている点では、われわれもクルーソーと同じなのである。困っこま たあげく、ときどきは、あの雲に乗って飛びまわれたらと、ふと考えることがないでもない。その点では、われわれも孫悟空そんごくうと同じである。しかし、それはむなしい空想だとさとると、やはりワシントンのように、じみちに誠実せいじつに生きようと思うし、ときにはまた、ふと、ナポレオンのように、からいばりをしたくなったりもする。つまり、ワシントンはわれわれの中にいるのであり、ナポレオンもわれわれの中にいるのである。ひとのことを読んでいるのではない。われわれのことを読んでいるのである。
 書物を読むことにはこのような利益りえきがある。ところでわたしが、これから書物を読もうという若いわか 人たちに勧めすす たいことが一つある。それはこういうことである。気に入った書物にでくわしたときには、一度読んだだけでよしにせずに、二度三度とくり返して読んでほしい。二度三度とくり返して読みたくなる書物、それはきっとそれだけのよさをもった書物である。
 孔子こうしは、書物を読むことの利益りえきを、初めて説き示ししめ た東洋人であるといってよい。ところで、孔子こうしえきを読んで、へんぜっしたということが、その伝記に見えている。へんというのは、皮のひもという意味であって、当時の書物は、竹の札を一まいずつ横に並べなら 、札と札とを皮のひもでくくりあわせてあったが、そのひもが三度も絶ちた 切れるほど、えきの書物を、孔子こうしはくり返しくり返し読んだというのである。
 われわれも、何かそれぞれに好きな書物を、とじ糸が三度も切れるほど愛読したいものである。どの書物がそれであるかは、人々によってちがうであろう。しかし、何かそうした愛読書を、一生のうちにはみつけたいものである。
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a 長文 11.3週 nu
 科学的態度たいどなどというと、たいへんむずかしいことのように思いがちである。しかし、日常にちじょうの生活におけるちょっとした心がけ次第でこの態度たいどを身につけることができるものである。では、どのようなことを科学的態度たいどというのであろうか。
 まず、ものをよく見るということである。よく見ることができれば、何かふに落ちないことがあったとき「はてな。」「変だな。」と思うことができる。これが、科学的態度たいどへの出発点なのである。
 ところで、われわれは、いつでもものをよく見ているようであるが、実は案外よく見ていないのである。たとえば、タイはどんな色をしているかとたずねると、たいていの人は赤いと言う。はたしてそうであろうか。絵にかいたえびす様の持つタイは、確かたし に赤い。しかし、ほんとうのタイは、それとは異なっこと  た色をしている。むらさき色に近い色で、生きているときは、さらに緑がかっている。もし、それを見る機会がないとしても、さかな屋の店頭にあるタイなら見ることができるだろう。タイは赤いという習慣しゅうかん的な考えで赤いと思っているだけである。
 自然界に実際じっさいにあるもの、実際じっさいに起こっている現象げんしょうは、決して単純たんじゅん判断はんだんできるものではない。習慣しゅうかん常識じょうしきにとらわれていたのでは正しくものを見ることはできない。だから、自分の目を見開いて、しっかりと自分の目でたしかめる態度たいどが必要である。
 それでは、ものをよく見て、「はてな。」と感じさえすれば、それでいいのであろうか。問題は、「はてな。」と感じたとき、それだけで終わらせるかどうかという点にある。そのとき、「どうしてだろう。」と思い、それについて考えてみるようにしなければいけない。その場合、自分の持っている知識ちしきで説明がつかないときにはその疑問ぎもんとする点について、すぐ実験したり、調べたりしてみることである。
 ところが、実験などというと敬遠けいえんされがちである。が、実験を生活に取り入れることは、興味深いきょうみぶか ことなのである。たとえば、土をほり起こしているうちに、スコップがみょうに重くなったりする。そこで、草をひとつかみちぎって、こびりついている土をこす
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り取ってみる。すると、軽くなる。
 そこで、土がこびりつかないようにしたら仕事が楽だろうということに気づく。家に帰ってさびを取り、油を引いておく。翌日よくじつからスコップは軽くなるにちがいない。そんな簡単かんたんな実験でいいのである。
 日常にちじょうの生活では、これとたようなことに出合う場合が多いものである。そんなとき、疑問ぎもんをいだいたら、そのままにほうっておかないで、実験したり調べたりすることがたいせつである。
 科学的態度たいどとは、疑問ぎもんを実験や調査ちょうさによって解決かいけつしようとする態度たいどである。これは、科学を研究する者にとって必要な心がけであるばかりでなく、人間たちだれしもが身につけておく必要のある生活態度たいどであるといえよう。
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a 長文 11.4週 nu
 初七日の終わった夜、わたしはふとんを抜け出しぬ だ 、母屋を出て離れはな にある弟の部屋に行った。電灯のひもをさがしていると高校生特有の、運動部の選手独特どくとくあせのしみた匂いにお 漂っただよ た。
 あかりをつけると、そこには受験勉強の最中だった弟の時間が停止したまま浮かび上がっう  あ  ていた。わたしは弟のつくえてのひら触れふ た。ひんやりとした木目の感触かんしょくから、つい十数日前まで、ここで笑ったり、うたを歌ったり、悩んなや だりしていただろうわかいゴツゴツした弟の気持ちのようなものが感じられた。
 部屋を見回した。かつてわたしも使っていた本棚ほんだながあった。『たるにのって二万キロ』『コンチキ号漂流ひょうりゅう記』『冒険ぼうけん×××』、そんな本が並んなら でいた。小夜の話は本当であった。
 してはならないと思ったが、わたしは弟の引き出しを開けてみた。大学ノートが一さつあった。それは弟が高校に入学してからの日誌にっしで、毎日ではないが日々のこと、サッカーの練習、小遣いこづか 出納すいとうも記してある雑記ざっき帳のようなものだった。真面目な弟の性格せいかくがよくあらわれていた。
 二月のある日、そのページだけが文字がていねいに書いてあった。その日は弟の誕生たんじょう日である。わたしが父と争って出ていった翌月よくげつだった。
 要約すると、――兄が父と争って家にもどらないことになった。母に相談し父に命じられて、自分はこの家を継ぐつ ことにした。医者になる。父は病院をたてると言った。だが自分はシュバイツァーのような医者になりたい。アフリカに行きたい。しかし親孝行おやこうこうが終わるまでがんばって、それからアフリカに行き冒険ぼうけん家になりたい。その時自分は四十さいだろうか、五十さいだろうか……。それでも自分はそれを実現じつげんするために、体を鍛えきた ておくのだ。わたしは兄にずっとついてきた。兄が好きだ……――
 弟はその冬、北海道大学の医学部志望しぼう担任たんにん提出ていしゅつしたという。
 わたしは自分の身勝手さ、いいかげんさを思った。済まないす   と思っ
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た。長男であるわたしのわがままが、弟を泣かせ、孤独こどくにしていた。
 あの夏の午後、川向こうの屋敷やしき町にわたしは弟と二人でせみ捕りと に行った。わたし達の町と違っちが てそこはへいの上にまで大きな木々が茂りしげ せみ捕りと 放題にいる。たちまち弟の持つかごはせみ一杯いっぱいになった。
 帰ろうとした時、屋敷やしき町の子供こども達に囲まれた。せみを置いて行けといわれた。四、五人の相手は身体も大きかった。弟は背後はいごわたしの上着を握りしめにぎ   ていた。わたしはだまっていた。すると背中せなかで急に弟が大声で泣き出した。子供こども達は笑った。そして弟の持っていたかごからせみをわしづかみにして、何ひきかを道に投げつけた……。
 家に帰ってから、わたしは弟をなじった。二度とおまえをどこにも連れて行かない、と言った。そういわれても弟はわたしのそばを離れはな ないで、しゃくりあげながらわたしを見ていた。そんな弟によけいはらが立ったわたしは、弟をなぐりつけた。弟はあやまりながらわたしを見つめていた。
 ふとした時に、あの夏の日の弟の目を思い出し、日誌にっしの文字が浮かぶう  。あの少年達に立ち向かうこともしなかったひきょうな自分を思う。あやまることのできない自分が生きている。
 せみかべにじっとしている。まどを開けたまま、わたしは電灯を消した。どこか他人とは思えぬ一ひきと、自分を情けないなさ   と思っている一人が暗闇くらやみの中にいる。
 もう秋がそこまで来ている。


伊集院いじゅういん静「夜半のせみ」)
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a 長文 12.1週 nu
 天井てんじょうゆかがひっくり返って、天井てんじょうが近づいてきた。一秒、二秒、三秒……、自分で数を数える。八秒。体の力が抜けぬ た。またひっくり返って、今度はゆかが近づいた。同時にぼくは思った。
「これで大丈夫だいじょうぶだ。目標を達成したぞ!」
 夏休みの課題の中で、ぼくの体にいちばん重くのしかかっていたのは「八木節に向けての体力作り」だった。
 八木節とは、団体だんたいでやるダンスの演目えんもくだ。その中に、両手と両足を使って仰向けあおむ のまま体を持ち上げ、ブリッジをする場面があった。
 ぼくは太っていて体が重いので、これは大変な作業だった。なにしろ、これまでやってきたブリッジでは一度もかたが上がらなかった。そのほかは確実かくじつにやりきる自信があったが、ブリッジは苦手だった。しかも、八木節は、運動会と三ツ沢みつざわ競技きょうぎ場での発表会と、二回も踊らおど なくてはならない。不安は積もっていくばかりだった。
 そんなわけで、ぼくは母にコツを教えてもらおうと思った。母は趣味しゅみでダンスをやっていたので、体の動かし方というのをよく知っていた。
 母によると、重要なのは手のつき方だそうで、ぼくは正しいつき方をしていなかったらしい。だが、母に教わった手のつき方をしても、頭はまだ上がらない。なんとか頭をついたままのブリッジだけはできるようになったので、運動会では仕方なく頭つきでやった。成功したが、満足はできなかった。
 ぼくは、三ツ沢みつざわ競技きょうぎ場の発表会までに、なんとかブリッジを完璧かんぺきにしたいと思った。頭つきだと、どうしてもかたが下がり気味で、「へ」の字型のブリッジになってしまう。ぼくは、もっときれいにやりたかった。
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 練習あるのみと思ったぼくは、体育のときも頭をつかないブリッジにチャレンジしてみたが、やはり途中とちゅう倒れたお てしまうのだった。
 ぼくは、学校から帰るときも、歩きながらどうしたらいいか考えた。
「できないわけはない。今度は手と足に全力を込めこ てやってみよう。」
 こう前向きに考えたのがよかった。
 家に帰ってカバンを置くと、さっそく考えたとおりにやってみた。仰向けあおむ て、手を正しくつく。一度深呼吸しんこきゅうをして、手足にぐっと力を入れ、一気に伸ばしの  た。かたがまったくゆかから離れよはな  うとしてくれない。手に満身の力を込めこ た。それでもかたは上がらなかった。
「できないわけない。」
 自分を励ましはげ  ながら、必死に体を持ち上げた。だんだん天井てんじょうが近づいてくる。そして、ついにかたゆかから離れはな た感じがわかった。目標を達成できたのだ。
 起き上がったとき、まるで世界そのものが自分の体とともに一回転して、がらりと変わったような気がした。
 人間は、目標を達成することで大きな自信をつけることができる。だが、そのためには、その目標をどうしても達成しようとする意志いしの力が必要だ。「意志いしのあるところに道がある」。ぼくは、英語の先生に教わったことわざを思い出した。

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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a 長文 12.2週 nu
 ある日、五つになる孫坊主ぼうずからはがきがとどきました。文面は、「おようふく、ありがとう。そう」とただそれだけでしたが、この大小さまざまな十いく字かが、思い思いの方角をむいて、はがきからあふれ出そうに書かれていました。
 これは、誕生たんじょう日のお祝いの洋服の礼状れいじょうなのです。「そう」というのは、草一郎いちろうの「草」で、「草、そう」と呼ばよ れているところからこう書いたものと思われます。わたしは、それがうれしくてうれしくて、長いこと自分の書斎しょさいに画びょうでとめておいたものです。ところで、考えてみると、手紙というものは、そうやさしいものではありません。どこがむずかしいかと申しますと、結局、手紙にはあて名があるからだと、わたしは思っています。もっとも、あて名のない手紙もあります。印刷されたあいさつじょうや通知じょうの類がそれです。わたしたちは、このすなをかむようなあて名のない手紙もずいぶん読まされます。
 この事務じむ的な手紙の印刷をわたしたちもすることがあります。年賀ねんがじょうなどはもっともよい例でしょう。これなどは、あて名のない手紙の代表的なものかもしれません。いま、この年賀ねんがじょうの余白よはくに万年筆でほんの一行、「なだから例のが届いとど ている。待っている」と書き添えか そ たとしましょうか。このふぬけなはがきが、たちまちにして生き生きと血が通いだすのがわかりましょう。つまりは、この一行で、あて名が書かれたからのことです。これはしかし、あて名と同時に差出人があるということでもあります。受け取る側からすれば、差出人のない手紙などは一向にありがたくありません。歌や俳句はいくの世界で、作者不在ふざいなどとよく申しますが、手紙にもずいぶん筆者不在ふざいのものを見かけます。商用文でも、客筋きゃくすじにあてたものばかりでなく、商店から商店に出すものにも、それなりの筆者もあて名もあるべきだとわたしは思っています。
 今日の文章のおおかたは、印刷されるものとして書かれるとみてよいでしょう。ところが、印刷されないということが前提ぜんていで書かれる文章があります。日記と手紙です。この日記と手紙を比べくら てみると、大分ちがったところがあります。一つ二つひろってみると、日記は自分以外の人には見せないたてまえで書かれるのに、手紙は相手に見せることがたてまえで書かれます。日記の方は、どんな
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文章で書いても自分の心覚えですから一向にさしつかえありませんが、手紙の方はそうはまいりません。もっと困るこま ことは、日記の方は自分の手元に残っていて、いつどのようにでも処理しょりできるのに、手紙の方は、相手に渡しわた てしまわねばなりません。そして、相手がこれをどのように読もうと、自分はそれに関与かんよできないことです。それどころではありません。いつまでも保存ほぞんされて、わたしの「そう」のはがきのようにかべにはられて、毎日毎日ながめられるような仕儀しぎにもなりかねません。(中略ちゅうりゃく
 手紙の妙味みょうみ真骨頂しんこっちょうは、一対一で認めみと られるところにあります。あて名があって差出人があることです。ユーゴーが、のちの「レ・ミゼラブル      」の売れゆきを心配して出版しゅっぱん社に「?」と書いてやったところ、おりかえし「!」と返事がきたという有名なお話があります。本屋の返事の「!」は、すごく売れていますという意味です。以心伝心、不立文字ふりゅうもんじを地でゆくようなやりとりではありませんか。
 わたしはこんな返事の書ける、こんな手紙がほしい。
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a 長文 12.3週 nu
 数年前のことになるが、わたしは米国人の言語学者T氏と東京で親しくなった。かれはもともとアメリカ・インディアンの言語を専門せんもんに研究していたが、終戦後の日本に軍人として駐留ちゅうりゅうしていたこともあって、最近では日本語の歴史や方言にも興味きょうみ示ししめ はじめ、遂につい 奥さんおく  と三人のむすめをつれて東京にやって来たのである。奥さんおく  はイタリアけいの人で、小学校の先生をしている。
 かれは古い日本家屋を一けん借り、たたみ座蒲団ざぶとん、冬は炬燵こたつ懐炉かいろ、そして三人のむすめを日本の学校に入れるという、一家あげての見事な日本式生活への適応てきおうぶりだった。
 ある日、アメリカの学者の習慣しゅうかんとして、かれは多くの言語学関係の友人、知人を家に招待しょうたいした。まずイタリア風のイカのおつまみなどで、カクテルを済ませす  た後、別室で夕飯ということになった。一同がにつくと、テーブルには肉料理やサラダなどが並べなら られ、面白いことに、白い御飯ごはんが日本のドンブリに盛りつけも   て出されたのである。
 たたみの上に座っすわ ていること、白い御飯ごはんであること、T氏たちが日本式生活を実行していることなどが重なり合って、一瞬いっしゅんわたしは、この御飯ごはんを主食にして、おかずを併せあわ て食べるのだという風に思ったらしい。目の前の肉の皿を取り上げて、となりの人に回そうとしかけた時、わたしはT夫人のかすかにとまどったような気配を感じた。
 間違っまちが たかなと思ったわたしは、御飯ごはんは肉と一緒いっしょに食べるのか、それとも御飯ごはんだけで食べるのかと尋ねるたず  と、夫人は笑いながら、まず御飯ごはんを食べて下さいと言う。
 わたしはその時、はっと気が付いた。この御飯ごはんは、イタリア料理ではマカロニやスパゲッティと同じくスープに相当する部分なのだと。
 はたして、それは油と香辛料こうしんりょうで料理した、一種のピラフのような
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ものだった。
 食事というものは、いろいろな条件じょうけん制約せいやくされた文化という構造こうぞう体の重要な部分である。何をいつ食べるか、それをどう食べるか、食べていけないものは何か、といったことに関して、どの国の食事にも、さまざまな制限せいげん規則きそく習慣しゅうかんとして存在そんざいする。
 カトリック教徒は金曜日には獣肉じゅうにくを食べないし、イスラム教徒は豚肉ぶたにく不浄ふじょうなものとして決して食べないというようなことはだれでも知っている有名な事実であろう。
 しかしこのように、何かを食べてはいけないという明示めいじ的な規則きそくは、外国人にも比較的ひかくてき判りわか やすい。ところが自分の国の食物と同じものが、外国の食事の中にありながら、その食物と他の食物との関係が、自国の食事の場合と違うちが という、つまり同一の食物の食事全体における価値かちが、文化によって異なること  ときに、難しいむずか  問題がおきるのである。
 白い米の御飯ごはんは、日本食の場合には、食事の始めから終わりまで食べられる。というよりは、米の飯だけを集中的に食べることは、むしろいけないこととされている。おかずから御飯ごはん御飯ごはんからおしると、あちこち飛び回らなければ、行儀ぎょうぎが良いとは言えないのである。
 そこで米の飯と他の食物との日本食における関係は、並列へいれつ的・同時的であると言えよう。おしるに始まり、香の物こう もの至るいた まで、米を食べてよいのである。
 ところが、食事の一段階だんかいごとに一品ずつの食物を片付けかたづ ていく、通時的展開てんかい方式の性格せいかくの強い食事文化もある。西洋諸国しょこくではこの傾向けいこうが強く、イタリアの食事も例外ではない。ここでは麺類めんるいや米の料理などは、ミネストラと称ししょう て、本格ほんかく的な肉料理が始まる前に済ませす  てしまうのだ。
 わたしがドンブリに盛らも れた白い御飯ごはんを見て、おかずも一緒いっしょに食べようと思った失敗は、日本の食事文化に存在そんざいするある項目こうもくを、別の
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長文 12.3週 nuのつづき
食事文化の中に見出したため、これを自分の文化に内在ないざいする構造こうぞうに従って したが  位置づけ、日本的な価値かち与えよあた  うとしたことが原因げんいんなのであった。
 文化の単位をなしている個々ここ項目こうもく(事物や行動)というものは、一つ一つが、他の項目こうもくから独立どくりつした、それ自体で完結した存在そんざいではなく、他のさまざまな項目こうもくとの間で、一種の引張りひっぱ 合い、押し合いお あ の対立をしながら、相対的に価値かちが決まっていくものなのである。
 自分の文化にある文化項目こうもく(たとえばある種の食物)が、他の文化の中に見出されたからといって、直ちにそれを同じものだと考えることが誤りあやま なのは、その項目こうもく価値かち(意味)を与えるあた  全体の構造こうぞうが、多くの場合違っちが ているからである。
 (中略ちゅうりゃく
 わたしたちが、外国語を学習するさいにも、いま述べの たような具合に、自国語の構造こうぞうを自分ではそれと気づかずに、まず対象に投影とうえいして理解りかいするという方法をとりやすい。従ってしたが  いろいろと食い違いく ちが が生じてくるのも当然である。

鈴木すずき孝夫たかお『ことばと文化』による)
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a 長文 12.4週 nu
 いちばん運動会らしいのは、やはり、かけっこ。このごろは五十メートル競走、八十メートル競走と呼ばよ れる。六人が一組になって走る。一着から三着までが、それぞれの旗のところへ並ぶなら 。こういうのは五十年前にわれわれもやったのと同じだからなつかしさもひとしおである。
 来賓らいひん席はテントの中にある。かけっこのコースは反対側になるから、スタートからゴールまでが一望の中におさまる。ピストルがなると、小さな足が目もとまらぬ速さで前後する。目がチクチクする。どういう応援おうえんをしたらよいのかわからないから、手もちぶさたにながめているより手がない。
 そのうちに、おもしろいことに気がついて、急に力を入れて見るようになる。というのは、スタートとゴールで、順位が大きく変わるということだ。
 スタートで出おくれたこどもが、三、四十メートルのところから頭角をあらわし、六、七十メートルではトップに立ち、そのままゴールへ入る。そういう組がいくつもいくつも出てくる。はじめは偶然ぐうぜんかと思っていたが、どうもそうではなさそうである。たいていの組で大なり小なりそういう傾向けいこうがみとめられる。スタートからずっとトップで通すというのは例外である。
 途中とちゅう伸びの てきた子がよい成績せいせきをあげる。もし、スタート地点から十メートルくらいのところで優劣ゆうれつをきめれば、ゴールでトップになる子はおそらくおくれた方に入ってしまうに違いちが ない。早いところで、ゴールの順位を占ううらな ことがいかに危険きけんであるか、これらのかけっこは、これでもか、これでもかと見せていた。こどもたちにはかけっこの教訓を汲みく とることはできまいが、先生たるものは見逃すみのが 手はない。
 かたわらにおられる温厚おんこうな校長先生に
「かけっこだけではなく、勉強にも、これとたことがおこっているのではありませんか」と言ったら、校長先生も深くうなずかれた。
 こどもはどこで力を出すかわからない。スタートの近くで、ああだ、こうだと言ってみてもしかたがない。
 小学校のかけっこはせいぜい百メートル競走である。それでも出
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おくれた子が途中とちゅうからぐんぐん出てくる。ゴールへトップで入った子がいちばん早いのは、百メートルまでのことであるのも忘れわす てはならない。ゴールが二百メートルにのびれば、あるいは、ちがう子が出てきてトップに立つかもしらぬ。さらに四百メートル、千五百メートルならまた別のこどもが出てくる。
 人生は七十年余りあま 走りつづける超大ちょうだいマラソンである。学校教育はそのはじめのうちの二十年くらいにしかかかわらない。そこで、この生徒は優秀ゆうしゅう、とか、劣等れっとうだとかきめつけてしまうのは、百メートル競走なのに、スタートから三十メートルくらいのところの順位でものを言っていることになる。
 その運動会のかけっこを見ていても、本当のレースは半分くらいを走ったところから始まるのがわかる。学校の先生は、この点について、用心の上にも用心をしたい。めいめいのペースというものがある。百メートルではビリでも五千メートルならトップに立つということはある。学校ではいっこうにパッとしなかったのが、世の中へ出て、二十年、三十年すると、目ざましい快走かいそうを見せているという例はいくらでもある。
 目先はいけない。重ねて言うが、教育は長い目を要する。


(外山滋比古しげひこ「空気の教育」)
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