長文 5.3週
1. 【1】創造には、情念の力がいる。芸術における創造はもちろん、あらゆる学問にも、また日常生活にもそれはいえることだろう。では、この情念は具体的にどのような情念なのか。
2. エジソンの言葉に、「必要は発明の母である」(Necessity is the mother of invention)というのがある。【2】何か必要であって発明あるいは創造が生まれるという意味だが、問題はこの「必要」という言葉の解釈かいしゃくである。
3. 「必要」は、英語でおもに二通りの表現の仕方がある。ニーズとウォントである。だが、同じように「必要」と訳されながら、この二つの言葉の実際の意味は、かなり違うちが のだ。
4. 【3】「ニーズ」という言葉は、空間的にいえば、外部の状況じょうきょうを判断して、割り出した必要性であり、時間的に見ると、過去から現在にかけて人間が経験したこと、得たものを基準にして割り出した必要性という意味に使われる。【4】これに対して「ウォント」は、自分の内部から出てくる必要性であり、現在と未来に時間じくをとった上での必要性を意味している。すなわち、欲望とか欠乏けつぼうを内包した「必要」がウォントの由来なのだ。
5. 【5】余談になるが、よく企業きぎょうのパンフレットなどに、「消費者のニーズをよく捉えとら て……」などと書かれているが、この表現はあまりよいとは思えない。ニーズというのは要するに過去の知識から割り出しただけのものであるから、そんなことをやっていたら企業きぎょう立ち遅れた おく てしまう。【6】それを書くならば、「消費者のウォントを見抜いみぬ て……」と書くべきだろう。
6. とにかく、ニーズは、理性による判断から生まれた「必要」、ウォントは現在の自分の中にある何かとてもいたたまれないような、場合によってはたまらなく爆発ばくはつしたくなるような情念から生まれた「必要」という具合に解釈かいしゃくしてもいいだろう。【7】私は、創造にはもちろんニーズもなければならないが、どこかの時点でウォントが生まれないとダメだと思うのである。つまり、創造活動を支える背景には「こんなものが創れたらいいな」と無心に思う欲望の念や、欠乏けつぼうしているものをひたすらに求める渇望かつぼうの念がなければならないと思うのだ。∵
7. 【8】若い読者諸君には特にこのことを強調しておきたい。自分の将来を決めていくという時に、いろいろな情報がある。例えば、自分の偏差へんさ値がこの程度だからあの大学のこういう学部にいこうとか、こういう職種が有望だからこの企業きぎょうに就職しようという具合に、いろいろな情報からニーズを割り出して進路を決める人が非常に多い。
8. 【9】しかし、そういう決め方をした人は何らかの方法でニーズから割り出したものが、ウォントに切り替わらき か  ないかぎり、どこかで挫折ざせつするのではないかと思う。「自分はこの学問をしたいんだ」「私はこの仕事につきたいんだ」というウォントをもった意志力がなければならないのである。【0】
9. グロタンディエクやザリスキー先生のように、想像を絶する逆境の中を生きてきたハングリーな数学者が優れた業績をあげたのは、一つには、ウォントという情念が常に彼らかれ を動かし続けたからに違いちが ない。
10. ものを創る過程には、総じて飛躍ひやくというものが必要である。創造しようとするものが、過去に類を見ない新しいものであればあるほど、なおさら、飛躍ひやくすることが大事になってくる。そして飛躍ひやくするには、内なる欲望の力を借りなければならないのである。飛躍ひやくの原動力はニーズではなく、ウォントだと私は考えるのだ。

11.(広中平祐へいすけ「生きること 学ぶこと」)