長文集  6月1週  ★テレビで見える戦争の部分と(感)  ra-06-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2015/03/16 04:09:36
【一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の
長文は課題の長文で す。】
 【1】研究に限らず、大事業の成功に必要
な三要素として、日本では昔から「運・鈍・
根」ということが言われている。科学者の伝
記を読むと、その人なりの「運・鈍・根」を
味わうことができる。
 【2】「運」とは、幸運(チャンス)のこ
とであり、最後の神頼みでもある。「人事を
尽くして天命を待つ」と言われるように、あ
らゆる知恵を動員することで、逆に人の力の
及ばない運の部分も見えてくるようになる。
【3】人事を尽くさずにボーッとしているだ
けでは、チャンスを見送るのが関の山。運が
運であると分かることも実力のうちなのだ。
 【4】次の「鈍」の方は、切れ味が悪くて
どこか鈍いということである。最後の「根」
は、もちろん根気のことだ。途中で投げ出さ
ず、ねばり強く自分の納得がいくまで一つの
ことを続けていくことも、研究者にとって大
切な才能である。【5】論文を完成させるま
での数々の自分の苦労を思い出してみると、
「最後まであきらめない」、という一言に尽
きる。山の頂上をめざす登山や、ゴールをめ
ざすマラソンと同じことである。
 【6】それでは、なぜ「鈍」であることが
成功につながるのだろうか。分子生物学の基
礎を築いたM・デルブリュックは、「限定的
いい加減さの原理」が発見には必要だと述べ
ている。
 【7】もしあなたがあまりにいい加減なら
ば、決して再現性のある結果を得ることはな
く、そして決して結論を下すことはできませ
ん。しかし、もしあなたがちょっとだけいい
加減ならば、何かあなたを驚かせるものに出
合った時には……それをはっきりさせなさ 
い。
 【8】つまり、予想外のことがちょっとだ
け起こるような、適度な「いい加減さ」が大
切なのである。このように少しだけ鈍く抜け
ていることが成功につながる理由をいくつか
考えてみよう。
 【9】第一に、「先があまり見えない方が
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良い」ということである。頭が良くて先の予
想がつきすぎると、結果のつまらなさや苦労
の山の方にばかり意識が向いてしまって、な
かなか第一歩を踏み出しにくくなるからであ
る。【0】
 第二に、「頑固一徹」ということである。
「器用貧乏」や「多芸は無芸」とも言われる
ように、多方面で才能豊かな人より、研究に
∵しか能のない人の方が、頑固に一つの道に
徹して大成しやすいということだ。誰でも使
える時間は限られている。才能が命じるまま
に小説を書いたりスポーツに熱中したり、と
いろいろなことに手を出してしまうと、一芸
に秀でる間もなく時間が経ってしまう。私の
恩師の宮下保司先生(脳科学)は、「頑固に
実験室にこもる流儀」を貫いており、私も常
にこの流儀を意識している。
 第三に、「まわりに流されない」というこ
とである。となりの芝生はいつも青く見える
もので、となりの研究室は楽しそうに見え、
いつも他人の仕事の方がうまくいっているよ
うに見えがちである。それから、科学の世界
にも流行廃りがある。「自分は自分、人は 
人」とわり切って他人の仕事は気にかけず、
流行を追うことにも鈍感になった方が、じっ
くりと自分の仕事に打ち込んで、自分のアイ
ディアを心ゆくまで育てていけるようになる

 第四に、「牛歩や道草をいとわない」とい
うことである。研究の中では、地味で泥臭い
単純作業が延々と続くことがある。研究は決
して効率がすべてではない。研究に試行錯誤
や無駄はつきものだ。研究が順調に進まない
と、せっかく始めた研究を中途で投げ出して
しまいがちである。成果を得ることを第一と
して、スピードと効率だけを追い求めていて
は、傍らにあって、大発見の芽になるような
糸口を見落としてしまうかもしれないのだ。
(中略)
 頭のいい人は批評家に適するが行為の人に
はなりにくい。すべての行為には危険が伴う
からである。怪我を恐れる人は大工にはなれ
ない。失敗を怖がる人は科学者にはなれない
。(中略)
 頭がよくて、そうして、自分を頭がいいと
思い利口だと思う人は先生にはなれても科学
者にはなれない。人間の頭の力の限界を自覚
して大自然の前に愚かな赤裸の自分を投げ出
し、そうして唯々大自然の直接の教えをのみ
傾聴する覚悟があって、初めて科学者にはな
れるのである。

 (酒井邦嘉(くによし)の文章)∵
 【1】テレビで見える戦争の部分と見えな
い部分、その差がくっきりと出てきたことが
、湾岸戦争の大きな特徴である。テレビで戦
争が見える、と一瞬思ったが、見えている部
分はその一部である、ということに、一瞬遅
れて気がついてくる。【2】明るい部分が明
るければ明るいほど、影の部分、影の形が、
逆にはっきりしてくるともいえる。明るい部
分とは、つまり映像や情報の流れている部 
分、暗い部分とは、映像が秘匿され、流れて
こない部分である。
 【3】しかも、明るい部分は同時進行形、
カラーの映像や音声つきで、そして大量に流
れてくる。大量に情報が流れている、という
のは、一見、情報がオープンに流れている、
情報で満たされていると錯覚させるが、実は
、その大量の情報は、その情報の影にある、
真実の情報を覆いかくす目くらましの効果を
狙っているものであ る。【4】いまのよう
な情報化の時代の宣伝戦、情報戦は、情報を
完全にシャットアウトするのではなく、むし
ろ情報をどんどん流すところに特徴がある。
情報を出さないことによってではなく、情報
を積極的に流すことで、情報を管理する、操
作するという方法である。
 【5】テレビは、映像情報に深くかかわっ
ているだけに、目に見える部分、光の当たっ
ている部分の情報を伝えることになりやす 
い。【6】テレビが、多くの情報を伝えれば
伝えるほど、テレビのカメラが置かれていな
いところ、テレビカメラのアングルに入って
こない死角の部分、テレビのライトが当たっ
ていない暗い部分があること、そしてテレビ
では映像化しにくい重要な情報のあることを
考えなければならない。
 【7】テレビによって見えている部分と見
えない部分とを総合的に判断することによっ
て、初めて、真実に近づくことができるの 
だ、といえる。
 しかも、テレビの発達した時代の情報戦宣
伝戦では、見える部分の情報を流す役割を、
映像を扱うテレビが一手に引き受けることに
なりやすい。【8】テレビの伝える映像は、
作為によって出来た映像、作られた映像、虚
偽の映像、真実とは反対の映像の場合はもち
ろん、戦場からナマで送られてくる映像のよ
うに、映像そのものは真実であっても、全体
像から切り取られた映像、真実のうちの一 
部、真実の一面にすぎないことも多い。
 【9】しかしたとえ一部であり一面である
にもせよ、テレビを通し∵て、しかもリアル
タイムで「現場」を見てしまうと、人間は何
となく、納得してしまう、満足してしまうこ
とになりやすい。大量の情報が流れている時
に、情報に対する飢餓感が少ないのは当然 
だ。【0】むしろ情報が全く流されずに、情
報に対する飢餓、欲求の強い時にくらべて、
情報操作、情報管理に対する抵抗は弱いとも
いえる。(中略)
 ソマリアでの食糧補給路を確保するために
、首都モガディシオ近くに上陸したアメリカ
軍(多国籍軍)は、先回りしたアメリカなど
のテレビ・クルーの煌々としたライトの出迎
えを受けた。これでは上陸作戦も何もあった
ものではない、と米国防総省はメディア側に
強く抗議した。ソマリアの武装勢力の前に、
自国軍の姿をさらけ出すようなものだ、とい
う意味だろうが、もともと米国に対しては、
武装勢力は抵抗をあきらめていたことを考え
ると、たてまえでは怒ってみても、メディア
に報道されること、つまりメディアによって
露出されることは、ほんねのところでは歓迎
していたのかもしれない。これからは、軍事
力を動かすといっても、火力を使うよりは、
存在を誇示することにますます重点が移るだ
ろうし、実際に戦闘を行っても、その何倍も
の宣伝が必要になるからだ。ニュース源(ソ
ース)の側がメディアによって露出されたい
、自らをメディアに露出したいと望む状況が
、メディアにとっては、新しい危険な状態だ
ということにもなる。
 危険な状況は、戦争紛争といった特別の状
況の時だけの問題ではない。政治の世界で、
行政の領域で、産業や企業の分野で、あるい
は文化や芸能界といったところまでもが、テ
レビに露出される機会を必死に求めている時
代だからだ。テレビにとりあげてほしい、テ
レビで広めてほしい、テレビに出演させてほ
しいと望む人たちは、政治家からタレント志
望の若い女性まで、テレビの周辺に、うごめ
いているといってもよい。

(岡村麹明()の文章による)