長文集  5月3週  ★こいつ、よくもひとのことを(感)  ra2-05-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】「こいつ、よくもひとのことをぶっ
たな!」子供たちが口喧嘩をしているうちに
、一人が相手につい手出しをしたときなど、
ぶたれた方がこんな怒りの声をあげるのをよ
く聞く。ここでの「ひと」とは明らかに話者
が自分のことを言っていると解釈できるが、
しかし考えてみると不思議だ。
 【2】どうして普通は自分以外の人間を指
すときに使う「ひと」という言葉が、この場
合は自分のことを指すのだろうか。
 同じような「ひと」の使い方は、「あなた
、よくもひとを騙したわね!」とか、「黙っ
てひとのものを使わないでよ!」などにも見
られる。【3】しかし何かを自分がしたいと
きに「課長、それは是非ひとにやらせて下さ
い」などとは言えない。
 このように見てくると、現代の日本語には
、「ひと」ということばを、状況により自称
詞として使うことを可能にする法則のような
ものがあるらしい。それはいったいどんな性
質のものだろうか。
 (中略)
 【4】現代日本語において、話者が相手に
対して自分のことを「ひと」と称することが
できるのは、「話者が相手に対して自分の権
利や尊厳が侵害されたことに対する不満、焦
燥、怒(いか)り、拒否といった心理的対立
の状態にある場合に限られる」というのが私
の結論である。
 【5】そこで次に考えなければならないこ
とは、いったいどうして普通は第三者を指し
て言うことばである「ひと」が、以上述べた
ような条件の下では、話者が自分自身を称す
る自称詞、つまり一人称代名詞のように用い
られるのかという、記号論的な問題である。
 【6】私は既にこれまでいろいろな論文や
著書の中で、現代日本語に見られる言語的自
己規定の問題を扱ってきた。つまり日本人は
どのような場合に、いかなる言葉を使って自
分を表現しているの か、そしてその記号論
的なしくみはどのようになっているかといっ
た問題である。
 【7】その次に私が一貫して強調してきた
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ことは、日本語には相手依存の相対的自己規
定の傾向がきわめて広く見られるということ
であった。平たく言えば、日本人は話の相手
が誰でどのような人かに∵よって、自分を称
することばを原則的に変えているということ
である。(中略)
 【8】また英語を初めとするヨーロッパの
諸言語は、言語的自己規定の点では、むしろ
相手依存型の対陣、つまり絶対的自己規定を
特徴とするが、それでもよく見ると、親族用
語を使って行なう相対的な自己規定が、特別
な条件の下では可能である。
 【9】しかしこのようなことを念頭におい
ても、なおかつ日本語における相対的自己規
定の徹底ぶりは、これを日本語の大きな特色
の一つに挙げてもおかしくないほどである。
【0】
 たとえば、多くの家庭に見られる、父親が
子供に対して自分のことを「お父さん」ある
いは「パパ」と言う自称のしくみは、自分と
相手をともに含む親族関係という枠組みをま
ず設定し、ついでその体系内の相手の立場、
つまり相手の視点から自分自身の座標を逆に
規定する相手依存の相対的自己規定である。
(中略)
 自称詞としての「ひと」は、話者が自分を
相手の立場から見るだけでなく、その上、普
通には設定される自分と相手をともに含む共
通のいかなる枠組をも否定して認めないとき
、初めて使用が可能となる。この段階で話者
は対話の相手にとって完全な他者、縁もゆか
りもない他人、つまり「ひと」となるからだ

 話者が「ひと」を自称詞として使うときの
気持は、「おれはお前にとっては無関係の他
人だ。つまりお前の力、権限、干渉、関心の
範囲外の人間だぞ。つまらぬよけいなことを
言うな」といったもので、それまで存在して
いた二人を包む共通の枠を、この一言で壊し
てしまうのである。
 そこで次のように言えると思う。「よくも
ひとをぶったな」や「ひとの気も知らないで
何さ」のような文に見られる自称詞「ひと」
は、対話中の話者が、相手から何かしらの被
害、権利侵害を蒙ったと感じ、相手に対して
心理的な対立状態に入り、相手に向かって共
感同調的なつながりを断つことを示す、相手
依存型の言語的自己規定である、と。
 (鈴木孝夫『教養としての言語学』)