長文集  1月1週  ○そもそも動物の記号は  re2-01-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/10/22 11:09:05
 【1】そもそも動物の記号は、語を組み合
わせた文ではない。なるほど、「文」という
概念を使って説明するなら、ミツバチの八の
字飛行という記号は、「蜜がここにある。」
という文を省略した一語文であり、群れの端
(はし)にいる個体が発する天敵の警戒記号
は「敵が接近中だ。」という一語文とみなす
こともできる。【2】しかし、動物のコミュ
ニケーションで用いられる記号は、パーツを
組み合わせて作られた文ではないし、また記
号をさらに組み合わせて、新たな記号列が作
られることもない。
 ところが人間の言語は、そうではない。【
3】なるほど、「テ キ」という語は、敵を
指示しはする。しかし、単に「テキ」と呟い
ただけでは、いまだ確定した意味をもちえな
い。「いる/いな  い」、「来る/来ない
」、「多い/少ない」という別の語(述語)
と組み合わせられて文が形作られたとき、「
テキ」という語は、初めて確定した意味をも
つ。【4】すなわち人間の言葉は、文という
まとまりの中で、初めて確定的な意味をもつ

 しかるに文というまとまりは、人間の言語
においては、語を自由に組み合わせて、任意
の文を作ることができる。その結果、実際に
は起きていないことを述べる文も、次々に作
ることができる。【5】いま一頭の小ぶりの
天敵が近付いている、としよう。このとき、
「テキ、いない。」、「テキ、多い。」、「
テキ、大きい。」といった多くの文は、すべ
て偽(ぎ)となる。これらの文は、目下の状
況では偽(ぎ)である。【6】しかし、私た
ちは、それらの文の意味を理解できる。それ
はほかでもない、それらの文が真となるよう
な状況を考えることができるからである。こ
のように私たち人間 は、語を自由に組み合
わせて、任意の文を作りうるがゆえに、実際
には起きていないことについて考えることも
できる。【7】いや、考えざるをえないので
ある。「果実」という語と「木に生る」とい
う語を組み合わせて、「果実が木に生る。」
という文を作れば、これは、われわれの世界
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で真な文だが、「金」という語を組み合わせ
た「金が木に生る。」という文は偽(ぎ)で
ある。【8】しかし、「金が木に生る。」と
いう文が意味をもつ限り、「金の生る木」と
いう語も意味をもつ。
 このように、言語を用いた人間のコミュニ
ケーションにあって は、言葉は、現にない
ものについてメッセージをつくるためにも用
いられる。【9】人間の言葉は、実際には存
在しないものを、思考の対象として、言わば
呼び出す、という意味で「非在の現前」であ
る。人間の言語は、実際には存在しないもの
についての思考を可能に∵し、そうした思考
の交換を可能にする。【0】こうした言語に
よってコミュニケーションが進行することに
よって、人間の協業の仕方は、動物たちの協
業とはまったく異なるあり方をしている。こ
のことが、人間としての協業の根幹に、極め
て固有の刻印を与えている。

 (大庭健「いま、働くということ」による