1.
島崎藤村の事を考えると、私の頭に先ず
浮かんで来るのは、「夜明け前」の出版祝賀会の席上で、氏が諸家の祝賀の言葉に対して答えた
挨拶を述べた態度である。
2. 人々のテーブルスピーチが終わると、
藤村は
感慨に
耽り込んだような、そのために少しぼんやりしたような
顔附で静かに立ち上がり、
暫くうつむき加減に
黙って
佇んでいたが、やがて顔をもたげ、太い
眉をきりりと上げて、そしてゆっくりした口調でこういったのである。
3.「わたしは
皆さんがもっとほんとうの事をいって下さると思っていましたが、どなたもほんとうの事はいって下さらない……」
4. そのまま
又眼を
伏せて
暫く黙ってしまった。人々は
粛然と静まり返った。
5. 実際諸家の言葉は月並でない事はなかったが、由来こういう出版記念会などにいわれる言葉は、
普通作者に対する祝賀の言葉かねぎらいの言葉かであるのが例なので、そういうものとして無神経に
聴き流してしまえば、別段とがめ立てしなければならないものでもなかったように思われる。
併しそれをほんとうに
聴き、その中から自分の努力に対する
忌憚なき批評をほんとうに探ろうという気になれば、諸家の言葉が余りに形式的である、月並なお世辞であったという事が、
藤村の心を
寂しくしたとしても、これまた無理ではないかも知れないという気がする。
6. それは
藤村流の静かないい方ではあったが、何処かにぴしりと人を打つような
辛いものを
含んでいた。月並なお世辞に対する苦笑に
充ちた
抗議を持っていた。それだから
突然叱られたといった感じが
黙り込んだ人々の顔に現れたわけである。実際
叱られて見れば、もっともの話である。
叱られなかったら
叱られなくても好いようなことだけれども、
叱られて見るとその理由がない事はないので、急に人々は
襟を
掻き合わせて
坐り直さなければならなくなったと
云った感じであった。
7.
藤村は
暫く黙った後で、再び顔をもたげ、太い
眉を再びきりりと∵上げ
沈んだ調子で言葉を
継いだ。
8.「大体わたしという人間は、人に
窮屈な感じを
与えるのですか、近づき難いような感じを
与えるのですか、
誰もわたしに近づいてほんとうの事を
云ってはくれません……実は決してそうではなく、わたしは人に近づきたいのですけれど……」(中略)
9. 氏はそこで語調を変えて、人々の方を見まわし、こう結語としていった。
10.「今夜のように盛大にわたしのために
皆さんに集まって頂こうとは、わたしには全く思いがけない事でした。わたしはわたしのために
皆さんに集まって頂いた事がわたしの
生涯にもう一度ありました。それはわたしが洋行した時の事です。わたしは前の新橋の停車場から発って行きましたが、田山君や
柳田君が
途中まで送ってくれるといって、
一緒に汽車に
乗り込んで来ました。その時
柳田君がわたしに向かってこんな事をいったのです。『人間がこうして自分のために
沢山の人に集まって
貰うのは、まあ洋行する時ぐらいのものだね。それともう一つある。それはその人間の
葬式の時さ』と。……わたしは今夜
皆さんがこうして集まって下さった事を、わたしに対する
文壇の告別式だと思っています」
11. 右の
藤村の
挨拶は、その時も今も私の頭に相当強い印象を残している。私はたゆまずに一歩一歩と、意志的に自分を
鞭うちつつ、とうとう書きたいものをみんな書いてしまったという強い自信を持った人でなければ、そういう言葉はいわれないと思った。書きたいものをみんな書いてしまったと、静かに
云い切れる作家を目の前に見たという事は、私には全く一個の
驚異であった。私はその事に深い感動を受け、
暫くはその感動のために、自分が
圧迫されるのを感じた程である。
12.(
広津和郎『
藤村覚え書き』)