1. 【1】このところ日本では園芸が大はやりであるが、花木や草花の
名称が大変な勢いで外来語に
置き換えられている。旧来の日本の花の名は美しく
風雅なものがほとんどであるのに、たとえば
彼岸花の類はリコリス、
胡蝶蘭はファレノリプシスといった具合に、年ごとに
言い換えの数が増えていく。
2. 【2】もともと気候風土の関係で、日本は植物の種類の豊富さにかけてはヨーロッパのどの国よりも
恵まれていた。【3】そのうえ、古くから古代中国の
影響で
本草学が発達し、また
江戸時代の園芸の
興隆、茶道の
普及などのおかげで、日本の草花の名は英語などに比べると、それこそ
比較にならぬぐらい、味のある
巧妙なものが多かった。
3. 【4】これに反し、花木や草花が決定的に少なかった英国では、当然の結果として固有の植物名が
乏しく、したがって新たに植物に名をつけるときは、学問的なギリシャ語やラテン語に
頼らざるを得ない。【5】その難しい英語名を日本人が外来語として取り入れた結果、一度や二度聞いたのでは覚えることもできない、
紛らわしく言いにくい名前が、花屋の店頭やテレビ園芸の時間などに、次から次へと現れてくることになった。
4. 【6】
四季咲きと言えばだれでも分かるのにセンペルフロレンスとなると、ラテン語の知識のある人なら問題がないが、
一般の人、
殊に園芸愛好家の
高齢の人には、何やら
呪文めいて正しく発音することも難しい。【7】風車と言えば花の形をうまくとらえた
巧妙な名と感心できるし覚えやすくもあるのに、クレマチスでは何の見当もつかない。
彼岸花ならば、花の
咲く季節との関係でだれにでも分かりやすいのに、それをどうして呼び
換える必要があるのだろうか。
5. 【8】このような現象の背後に、絶えず新しさを求め続ける日本人の積極性を認める人がいるかもしれない。私もその精神は評価すべきだと思うが、それにしても、このような意味不明のなぞめいた外来語で、ほとんど芸術的とさえ言える美しく
巧みに工夫された従来の和名を
置き換えて、いったいだれが得をすると言うのだろうか。∵【9】
新奇さを求める心が
一概に悪いとは言えないが、この園芸の分野に見られるような、行き過ぎた外来語の流行はやめてほしいと思う。「バラの花はどんな名で呼ぼうと変わりなくにおう。」というシェイクスピアのロミオの言葉を、日本人は改めて思い起こす必要がある。【0】
6.(
鈴木孝夫「教養としての言語学」による)