長文 10.4週
1. 自分が、いままさに死にゆかんとしていることを知らないままに死んでいく人間などいないと、ぼくは思う。そうでなければ、人間が死ぬ必要などどこにもないではないか。人間は、そのことを思い知るために、死んでいくのだ。有吉ありよしの死後、ぼくが読書すら投げ出して考え続けたことは、それだった。だが何のために、そんなことを思い知らなくてはならないのか、ぼくには分からなかった。それを考えるとなぜかぼくは何かに祈りいの たくなるのだった。有吉ありよしが死んでからは、ぼくと草間とは疎遠そえんになった。草間はその猛烈もうれつな勉強ぶりに拍車はくしゃをかけ始めたし、ぼくはぼくで、ある新しい情熱を駆らか れて小説に読みふけるようになったからだ。その情熱とは、すでにとうの昔にこの世からいなくなった多くの作家たちが、生きているときに何を書かんとしたのかを知りたいという願望だった。死人が小説を書けるはずなどなかったから、ぼくが捜し出そさが だ うとしていたことはばかげたお遊びに近かった。だが、そのばかげたお遊びは、有吉ありよしの死がぼくに与えあた 後遺症こういしょうだったのだ。ぼくはまもなく後遺症こういしょうから立ち直り、あらゆる物語を死から切り離しき はな て考えるようになった。すべては死を裏づけにしていたが、死がすべてである物語は存在しなかったからである。 
2. 寒い朝、ぼくは草間からの電話で起こされた。「新聞に、あの絵のことが載っの てるぞォ」と草間は言った。ぼくは電話を切らずに、そのままにしたまま、階段を降りて茶の間に行き、父が読んでいる新聞をひったくって二階に駆けか のぼった。そして「消えたまぼろしの名画」と見出しがついたコラムに見入った。それは事件としてではなく、ちょっとした町の話題として載せの られたもので、ある日忽然とこつぜん 誰かだれ に持ち去られてしまった百号の油絵の由来が紹介しょうかいされ、持ち主の談話が簡単につけ足されていた。喫茶店きっさてんの店内から絵を盗み出しぬす だ てから、すでに八ヶ月かげつがたっていたから、まさかいまごろになって新聞ざたになろうとは思いもかけないことだった。作者の島崎しまざき久雄ひさおは幼いころからじん臓を患いわずら 、長い闘病とうびょう生活の果てに逝っい た青年だった。多くのデッサンとペン画が残っているが、油彩ゆさいの大きな作品としては、盗まぬす れた「星々の悲しみ」のファンも多かったので、何とか手元に帰って来てくれないものかと思っていると持ち∵主は語っていた。「用事が済んだら、ちゃんと返しとくのがルールやて言うたやろ。志水がいつまでも返さへんから、こんなことになったんや」と草間はそれほど慌てあわ ている様子もなさそうに言った。警察ざたになった訳ではなかったので、ぼくもそんなに動揺どうようはしなかったが、そろそろ潮時だという気がして、草間に言った。「頼むたの 、絵を返してきてくれよォ」「おれ一人でか? アホなこと言うなよ。新聞に載っの たとたんにおかしな動き方をしたら余計に危ない。もうちょっと時間をあけてから考えたらええがな」「店の中の、元のかべに返しとくというのは、なんぼ草間でも無理やろなァ……」草間の笑い声が、電話口から聞こえてきた。ぼくたちはその話は一応打ち切って、互いたが 近況きんきょうを語り合った。「もう、へとへとや」草間は言った。「今が一番つらいときや。もうちょっとやないか」それから、ぼくはふいに感傷的になって、ほんの少しの間涙ぐんなみだ  だ。……「K大の医学部絶対に通れよ。がんなんかやっつけてしまう医者になってくれ」 
3. ぼくはニ、三日、落ち着かない日を過ごした。「星々の悲しみ」から、出来るだけ遠ざかっていたかった。だが、そうなるといっときも早く、絵を持ち主に返してしまいたくて仕方がないようになってしまった。ぼくは意を決して、妹の加奈子かなこに新聞の記事を見せた。そして妹に手伝わせて、かべ掛けか てある油絵を降ろし、たたみの上に立てかけた。そして、八ヶ月かげつ前の雨の日、図書館の横の古い橋の上で、初めて草間と有吉ありよしの二人と言葉を交わしたときのことを話して聞かせた。「あれから、たったの八ヶ月かげつやぞォ」そう言ってしまってから、ぼくはその間に読んだたくさんの小説の行方を思った。悲劇も喜劇も、悪も善も、恋愛れんあいも官能も、心理も行動も、ことごとく陰翳いんえいを失って、ぼくの中に潜り込んもぐ こ でしまっていた。ぼくは何も得なかったようでもあったし、積み重なった透明とうめいな後光を体中に巻きつけているようでもあった。加奈子かなこが自分の部屋に戻っもど てしまうと、ぼくは古新聞を集めてきて、絵の包装に取りかかった。乾いかわ たタオルで額についたほこり拭いふ た。それから、もう二度とぼくの手元に戻っもど てくることのない「星々の悲しみ」を見た。∵「凄いすご なァ」死んだ有吉ありよしは、この絵を見てつぶやいたのだった。 
4. 「この絵、もっとほかの題がついていたら、何でもないただの絵かも知れへんなァ」――絵はいつになく光っていた。蛍光けいこう灯の光を受けて、樹木の葉は水に濡れぬ たように色づき、初夏の陽光は真夏の日差しに変わってまばゆく輝いかがや た。どこからか蝉しぐれせみ   も聞こえてくるようだった。ぼくは、結局いつかの加奈子かなこ解釈かいしゃくが、いちばん正しかったのではないかと思った。加奈子かなこは、麦わらぼうで顔を覆っおお て大木の下でうたたねしている青年を、死んでいるのだと思ったのである。絵の作者は、自分の死んでいる姿を描いえが たのだと。もし本当にそうだとしたら、この絵にもっともふさわしい題名は確かに「星々の悲しみ」以外ないではないか。ぼくは、葉の繁っしげ た大木の下に有吉ありよしを横たわらせ、そのとてもきれいな死に顔を麦わらぼう隠しかく た。 

5.(宮本てる「星々の悲しみ」)