長文集  11月4週  ○そのとき、はじめて  ru-11-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/04 15:07:57
 そのとき、はじめてお悔やみを言いました

「お蝶小母さんが亡くなられて、私もさびし
くなりました。」
 すると、私のまんまえでこちらを向いてい
た栄作小父さんは、ほんとうに静かな動作で
、つうっと横を向いてしまい、そのまま直立
の姿勢をくずさないでいるのでした。まわり
に同じ村の人たちが 四、五人はいたのです
が、敏感にその場の気配を察して、私と栄作
さんの間の雰囲気をそっとしておくために、
心をくばったようで す。瞬時のことです。
 妻をなくして、もうだいぶ月日がたってい
るのに、夫である栄作さんのつらさが、私に
挨拶されて、そんなにも新しくよみがえった
ことに、まわりの人たちがいたわりを見せた
のでした。細身で、どちらかといえば背の高
い、農仕事でひきしまったからだ。面長で鼻
筋のとおった顔は、陽が照り残っているよう
なつやを見せていま す。七十は越している
のに髪も黒く、目も切れ長に黒い。その人が
少年のように、口もきけず横を見たまま、ま
っすぐ遠くをみつめている。たぶんあふれて
くるものを見せまいと、背筋を張っていたの
に違いありません。その姿は木のように素朴
で、悲しみがつっ立った感じでした。いきな
り横を向かれた私にも、すぐそのことが会得
されました。私はちっとも困りませんでした
。そして黙って立ちました。隣り合わせた一
本の木のように。(中略)
 横浜での、心のシャッターチャンスがとら
えた一枚のスナップについての、これが簡単
な説明です。私はこの無形の写真をときどき
思い浮かべると、どうしてか気持ちがほうっ
とふくらんで、くちびるの辺りがほころびて
くる。これをユーモアと名付けてよいもの 
か、どうか。ふだんは礼儀正しい明治の老人
が、礼を忘れた姿に、日がたってからとはい
え、私がかすかなおかしみを味わうとした 
ら、これは第三者の残酷以外のなにものでも
ないのですが、私にはやはりユーモアと名付
けるのがいちばんふさわしく思われます。な
めれば甘い、というような単純さで、笑った
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からユーモアだ、というのとは別種のもの―
―。
 伊豆の、山家(やまが)の、炭焼きさんの
、という、うたうような語り口。なぜかあの
村へ行くと、人々のやりとり、会話にリズム
があるのを∵感じます。一軒の家の囲炉裏に
隣近所のひとが寄ってきてかわす会話の機知
に富んだ軽妙さ。ひとつひとつ覚えておかな
かったことが残念ですが、覚えるほどのこと
ではない、また覚えきれることではない日常
性が、小川の流れのように、上手に時間を、
人と人との間柄をとりもって運び続けている
のかも知れません。それはまちがいなく「こ
とば」の果たす役割でした。遠慮のなさ、気
取りのなさ、かなりな冗談。それでいてふっ
と黙る部分がある。それが動作に出る。
 先ごろ田舎に帰ったとき、栄作さんはから
だが弱くなって寝ている、というので、その
庭先からたずねると、いまはあるじの息子が
出てきて私に言いました。「ハイ(もう)年
ですからノ。年に不足はないガです。」いち
おう声をひそめているものの、障子越しにつ
つぬけなのはわかっていて、それを、ハラハ
ラなどしないで聞いている自分に、私は確か
にここは岩科だ、と思うのでした。通常、跡
とり息子が親に対して、そんな陰口をきいた
ら、お互いどんなメクジラをたてるだろう?
 「年に不足はないガです。」そんなことを
サッパリと、他人向けに言ってみせる。息子
は充分親孝行で、親は親で、案内された囲炉
裏ばたで茶をすすっている私のところへひょ
っくりあらわれ、きちんと膝をそろえるので
した。「この蜂蜜は、自分のに採ったガです
。東京へ持ってって下さい。」挨拶や説明は
すでに家族がすっかり済ませているのを承知
で、栄作小父さんはいきなり四合びんを私の
かたわらに置くのでした。透明な器の中で、
とろりと濃い蜜が、びんの首まで届いていま
す。
 私はまだまだ顔色のいい栄作さんに目をあ
て、小父さんはいい耳をしていると、つくづ
く思いました。

(石垣りん「焔(ほのお)に手をかざして」