長文 11.4週
1. そのとき、はじめてお悔やみ く  を言いました。
2.「おちょう小母さんが亡くなられて、私もさびしくなりました。」
3. すると、私のまんまえでこちらを向いていた栄作小父さんは、ほんとうに静かな動作で、つうっと横を向いてしまい、そのまま直立の姿勢をくずさないでいるのでした。まわりに同じ村の人たちが四、五人はいたのですが、敏感びんかんにその場の気配を察して、私と栄作さんの間の雰囲気ふんいきをそっとしておくために、心をくばったようです。瞬時しゅんじのことです。
4. 妻をなくして、もうだいぶ月日がたっているのに、夫である栄作さんのつらさが、私に挨拶あいさつされて、そんなにも新しくよみがえったことに、まわりの人たちがいたわりを見せたのでした。細身で、どちらかといえば背の高い、農仕事でひきしまったからだ。面長で鼻筋のとおった顔は、陽が照り残っているようなつやを見せています。七十は越しこ ているのにかみも黒く、目も切れ長に黒い。その人が少年のように、口もきけず横を見たまま、まっすぐ遠くをみつめている。たぶんあふれてくるものを見せまいと、背筋を張っていたのに違いちが ありません。その姿は木のように素朴そぼくで、悲しみがつっ立った感じでした。いきなり横を向かれた私にも、すぐそのことが会得されました。私はちっとも困りませんでした。そして黙っだま て立ちました。隣り合わせとな あ  た一本の木のように。(中略)
5. 横浜よこはまでの、心のシャッターチャンスがとらえた一枚のスナップについての、これが簡単な説明です。私はこの無形の写真をときどき思い浮かべるおも う   と、どうしてか気持ちがほうっとふくらんで、くちびるの辺りがほころびてくる。これをユーモアと名付けてよいものか、どうか。ふだんは礼儀れいぎ正しい明治の老人が、礼を忘れた姿に、日がたってからとはいえ、私がかすかなおかしみを味わうとしたら、これは第三者の残こく以外のなにものでもないのですが、私にはやはりユーモアと名付けるのがいちばんふさわしく思われます。なめれば甘いあま 、というような単純さで、笑ったからユーモアだ、というのとは別種のもの――。
6. 伊豆いずの、山家やまがの、炭焼きさんの、という、うたうような語り口。なぜかあの村へ行くと、人々のやりとり、会話にリズムがあるのを∵感じます。一軒いっけんの家の囲炉裏いろりとなり近所のひとが寄ってきてかわす会話の機知に富んだ軽妙けいみょうさ。ひとつひとつ覚えておかなかったことが残念ですが、覚えるほどのことではない、また覚えきれることではない日常性が、小川の流れのように、上手に時間を、人と人との間柄あいだがらをとりもって運び続けているのかも知れません。それはまちがいなく「ことば」の果たす役割でした。遠慮えんりょのなさ、気取りのなさ、かなりな冗談じょうだん。それでいてふっと黙るだま 部分がある。それが動作に出る。
7. 先ごろ田舎に帰ったとき、栄作さんはからだが弱くなってている、というので、その庭先からたずねると、いまはあるじの息子が出てきて私に言いました。「ハイ(もう)年ですからノ。年に不足はないガです。」いちおう声をひそめているものの、障子越しご につつぬけなのはわかっていて、それを、ハラハラなどしないで聞いている自分に、私は確かにここは岩科だ、と思うのでした。通常、あととり息子が親に対して、そんな陰口かげぐちをきいたら、お互い たが どんなメクジラをたてるだろう? 「年に不足はないガです。」そんなことをサッパリと、他人向けに言ってみせる。息子は充分じゅうぶん親孝行で、親は親で、案内された囲炉裏いろりばたで茶をすすっている私のところへひょっくりあらわれ、きちんとひざをそろえるのでした。「この蜂蜜はちみつは、自分のに採ったガです。東京へ持ってって下さい。」挨拶あいさつや説明はすでに家族がすっかり済ませているのを承知で、栄作小父さんはいきなり四合びんを私のかたわらに置くのでした。透明とうめいな器の中で、とろりと濃いこ みつが、びんの首まで届いています。
8. 私はまだまだ顔色のいい栄作さんに目をあて、小父さんはいい耳をしていると、つくづく思いました。

9.(石垣いしがきりん「ほのおに手をかざして」)