長文 12.3週
1. 【1】考えてみると、私の家では犬もねこも飼った覚えがない。あとになって、大森に引越しひっこ てから、家のえんの下に野良犬がを生んで、鳴き声に気がついた私が、ある日、えんの下深くまでもぐって仔犬こいぬをつかまえ、【2】飼ってくれと、母親にせがんだことはあったけれど、七、八ひきもいた仔犬こいぬたちは、母犬がどこかにつれていってしまうのか、それとも盗まぬす れるのか、つぎつぎと姿を消してしまった。【3】最後の一ひきが見えなくなった日は、私は本当に悲しくて、学校から戻っもど たあと、日がくれるまで近所一帯を一生懸命いっしょうけんめいに探して歩き、疲労ひろうと気落ちでしょんぼりして帰宅したあと、夕食もとる気になれず、とこに入ってからも長いこと寝つかね  れなかったのを覚えている。【4】奇妙きみょうなことに、まだ仔犬こいぬに対して特別の親近感を抱くいだ ようになるだけの時間もたっていないのに、子供の私には、母親は別だとしても、それまで大切だったはずのほかの多くのものよりもはるかに重大な意味をもつ存在になってしまっていたのだ。【5】どうして、こういうことが、人間の子どもには、可能なのだろうか。私たちのなかの何が、こんな種類の愛情を成立さす力をもっているのだろうか。【6】とにかく、人間の子供にとっての犬やねこといった小動物たちは、母親のつぎにくる、「愛情の学校」ではないだろうか。私たちは、その学校で、人間同士では味わえない、ある種の純粋じゅんすいな愛の相を経験するのではなかろうか。
2. 【7】姿を消した仔犬こいぬのことで、私がいつまでもあんまり悲しがっているものだから、母親が、ある日東京に出かけたついでに、ひとつがいのチャボを買って来てくれた。【8】その土産の小さな金物のかごのままではせますぎるので、大工さんを呼んできて、庭の片隅かたすみに小屋をつくってもらった。チャボは犬とちがって、愛撫あいぶしたり、いっしょにそのへんを駆けか まわったりできないので、勝手が少しちがったけれど、それでも私はそれなりに可愛いと思った。【9】こまめに、えさをやったり、小屋を掃除そうじしたり、いろいろ世話をした。世話をするのがうれしかった。数日して、巣の中に小さな白い卵のおいてあるのを見た時は、これが本当に私たちの鳥の生んだ卵だとはなかなか信じられなかった。【0】しかし、卵はその翌日も、巣の中にちょこん∵とおさまっていた。昨日の分は今朝学校にいく前、朝食といっしょに食べてしまったのだから、これは新しい卵に相違そういなかった。こんなに一生懸命いっしょうけんめい生むのなら、食べてしまったら気の毒だな、と思った。とらずにおいといたら、いまに、卵がかえって、ひよっ子が生れて来るのではないか。にわとりは一年中卵を抱くいだ わけではないと思うけれど、では少しとらずにおいて様子をみることにしようか、と母はいった。
3. その夜私たちがていると、庭で何か物音がして、目がさめた。何かが走ってゆくような音が聞こえた。そのまま、しばらく、きき耳をたてていたが、あたりはただひっそりしていて、何にもきこえない。
4. 翌朝起きて、雨戸をくり、庭の方をみると、白い羽根が散乱していた。「おかあさん」と叫んさけ だまま、鳥小屋の方にかけ出した。前にはられた金網かなあみが破れ、小屋の中はからっぽだった。あとから来た母と二人で、羽根のちらばった方を探しているうち、小笹こざさ茂っしげ たかげに、牝鶏ひんけいが横になっていた。咽喉いんこうをかまれたと見えて、そこから胸にかけて、白い毛が真赤に染っていた。それでも両手に抱きとっだ   てみると、気のせいか、眼蓋まぶたが動くみたいで、そこから、眼の白いところが少し見える。「まだ生きてるんじゃないか」と、片手で首を持ち上げてみたが表情は全く変らない。彼女かのじょの姿は、生きていた時よりむしろ美しいくらいだった。
5. 昨日まであんなに元気だったのにと思って、手を放したら、首ががくっとたれた。その瞬間しゅんかん、私は、自分が、今、じかに「死」というものにふれたのだと感じた。この経験は、いうまでもなく、私には全くはじめてのものだった。私はそれまで、そんな経験があろうと予測したこともなかった。
6. 生命とは、何かのことで一瞬いっしゅんにして消えていってしまうものであること、それが消滅しょうめつすると共に、まるでばばぬきで手もとのカードをひきぬかれでもしたみたいに、私の手もとに残ったもの、これこそ「死」以外の何ものでもないという感じ。そこには恐ろしくおそ   て、しかも私の心をいつまでもつかまえて離さはな ない力があった。
7. これ以上大事なものはないと信じて大切にしていたものでさえ、∵一瞬いっしゅんにして離れはな 去り、二度と戻っもど てくることがない。人生では、そういうことが起こる。そういう一瞬いっしゅんがあるのである。それは、あたかも、私たちの油断の時を狙いねら すませていたかのように突然とつぜんやってくる。アッと思った時は、もうどうしようもない。失われるのは生命に限らない。一つの幸せ、一つの平穏へいおん、一つのこいであることもある。ついさっきまで、人生は私たちに、あんなに快く、優しい眼差しをおくっていたのに、一瞬いっしゅんにして、全く別の相貌そうぼうが現われる。
8. 子供の日から何十年かの後、私はブリュッセルの美術館で、この時私の感じたものをはっきり思い出させずにおかない一枚の絵に会った。十六世紀の無名のオランダ派の描いえが た幼女の半身像で、彼女かのじょは両手に死んだ小鳥を堅くかた 握りしめにぎ   たまま、明らかにどこのだれに向けたらいいのかわからないまま、困惑こんわく驚愕きょうがく憤怒ふんぬでかっと見開いた両眼で、こちらを見すえていた。
9. 
10. (吉田よしだ秀和ひでかずの文章による)