a 長文 10.1週 ru
 地球は、水の惑星わくせいと言われるように、表面の七十パーセントが水でおおわれている。「湯水のように」というたとえが使えるのは水の豊富な日本だけのようだが、だれでも日常的に接しているこの水が、実はきわめて不思議な性質を持っている。
 〇度で固体になり、百度で気体になる水は、地球の大きな循環じゅんかんを支えている。この支える力の秘密は、水が自在に形を変えるというその性質にある。環境かんきょうに合わせて形を変えることが、世界を潤すうるお 力になっているのである。
 人間もたぶん、この水のように周囲に合わせて自在に形を変えることで、周囲を潤すうるお 力を持つことができる。
 例えば、ディベートということを考えてみよう。欧米おうべいでは、意見を闘わたたか せることによって相互そうごの意見が進歩すると考えられている。弁証法では、ある意見Aとある意見Bが対立することによって新しい意見Cが生まれると考える。
 日本人は、これとは反対に対立を避けるさ  。あたかも水のように、相手がAと言えば、「Aもわかる」と答え、相手がBと言えば、「Bも理解できる」と答える。AもBも、仏教もキリスト教も、欧米おうべいでは本来両立しないと考えられたであろうあらゆるものをのみこんで、深い湖のように豊かになっていったのが日本文化である。
 日本語のもともとの出発点にも、日本文化の水のような性質が発揮されている。日本は巨大きょだいな中国文化けんの辺境に位置していたために、中国からの影響えいきょうを絶えず受けていた。しかし、同じ立場にある他の多くの民族が、自らも漢字を採用するか、あるいは漢字という言語を拒否きょひして独自の言語に留まるかどちらかの選択せんたくしか持たなかった中で、日本だけは長い年月をかけて、平仮名、片仮名、音訓読み、漢字かな交じり文という独自の創造的な受け入れ方を生み出した。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 この水のような性質こそ、これからの世界に最も求められているものではないだろうか。
 自己主張ということは確かに大切だ。特に日本人は、相手に合わせすぎるという批判もある。しかし、狭いせま 地球の中で、岩や石のようにぶつかり合う個性だけが充満じゅうまんしても、地球は息苦しくなるだけだろう。
 水のように自在に形を変える柔軟じゅうなんさが世界を潤すうるお としたら、日本人や日本文化の水のような性質も、改めて見直す必要があるのではないだろうか。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 10.2週 ru
 学校について友人と話したとき、かれがおもしろい問いをぶつけてきた。幼稚園ようちえんじゃお歌とお遊戯ゆうぎばかりだったのに、どうして学校に上がるとお歌とお遊戯ゆうぎが授業から外されるんだろうというのだ。
 小学校に入ると音楽の時間に楽譜がくふの読みかた、笛の吹きふ かた、合唱のしかたは習った。体育の特別授業として一学期に一、二回、フォークダンスの練習もした。が、どちらの時間も生徒だったころのわたしはてれにてれた、あるいはふてくされた。なにか恥ずかしかっは     たからである、おもしろくなかったからである。ひとといっしょに歌うのは楽しいはずである。踊るおど のも楽しいはずである。ついこのあいだも見物してきたのだが、知人がやっている阿波あわ踊りおど の連の練習会を見ているだけでもそれは分かる。みんな同じように踊りおど ながら、みんなどことなく違うちが 。勝手に踊っおど ている。音楽や体育の時間は、音と動作をきっちり揃えるそろ  ことが要求される。それがつまらない理由だ。もともとみんなで同じような動作をすることは楽しいのだが、同じ動作をするのはいやなのだ。ファッションだってそう。みんなよく似た服装をしているが(していないと不安だが)、同じ服装は絶対にいやなのだ。
 幼稚園ようちえんでは、いっしょに歌い、いっしょにお遊戯ゆうぎをするだけでなく、いっしょにおやつやお弁当も食べる。他人の身体に起こっていることを生き生きと感じる練習だ。そういう作業がなぜ学校では軽視されるのか、不思議なかんじがする。ここで他者への想像力は、幸福の感情と深くむすびついている。
 生きる理由がどうしても見当たらなくなったときに、じぶんが生きるにあたいする者であることをじぶんに納得させるのは、思いの外むずかしい。そのとき、死への恐れおそ は働いても、生きるべきだという倫理りんりは働かない。生きるということが楽しいものであることの経験、そういう人生への肯定こうていが底にないと、死なないでいることをじぶんでは肯定こうていできないものだ。お歌とお遊戯ゆうぎはその楽しさを体験するためにあったはずだ。永井ながい均は最近の著作のなかでこう書いている。「子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

が根源において肯定こうていされるべきものであることを、体に覚え込まおぼ こ せてやることである」と。あるいは、幼児期に不幸な体験があったとして、それに代わるものを、それに耐えた られるだけの力を、学校はあたえうるのでなければその存在理由はない。だれかの子として認められなかった子どもに、その子を「だれか」として全的に肯定こうていすることで、存在理由をあたえうるのでなければ、その存在の意味がない。
 近代社会では、ひとは他人との関係の結び方をまずは家庭と学校という二つの場所で学ぶ。養育・教育というのは、共同生活のルールを教えることではある。が、ほんとうに重要なのは、ルールそのものではなくて、むしろルールがなりたつための前提がなんであるかを理解させることであろう。社会において規則がなりたつのは、相手も同じ規則に従うだろうという相互そうごの期待や信頼しんらいがなりたっているときだけである。他人へのそういう根源的な(信頼しんらい)がどこかで成立していないと、社会は観念だけの不安定なものになる。
 幼稚園ようちえんでのお歌とお遊戯ゆうぎ、学校での給食。みなでいっしょに身体を使い、動かすことで、他人の身体に起こっていること(つまり、直接に知覚できないこと)を生き生きと感じる練習を、わたしたちはくりかえしてきた。身体に想像力を備えさせることで、他人を思いやる気持ちを、つまりは共存の条件となるものを、育んできたのである。
 
 (鷲田わしだ清一の文章から)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 10.3週 ru
 物ごころのついた子どもを動物園に連れてゆくと、たいていの子供ははじめて見る動物の姿に素朴そぼく驚きおどろ と興味を示す。子供たちの目にまず映るのは、ゾウやキリンやライオンなど珍しいめずら  動物の形や色や大きさであろう。それらの動物の生息地の環境かんきょうや生態、あるいは進化などに興味を持つのは、おそらく中学生以上になってからの話である。
 科学の発展段階は、まさにそれと同じみちすじをたどる。
 ある物事に興味を持ち、それを研究しようとするとき、まずだれしもが着目するのはその形態や振る舞いふ ま 、すなわち現象論的側面である。星に名前をつけて星座としてまとめたり、岩石を結晶けっしょうの形や色で仕分けをしたり、動物を哺乳類ほにゅうるいや魚類や鳥類ごとに分類したりすることがそれに当たる。次いで、もう少し詳しくくわ  それぞれの存在する条件(たとえば場所とか温度とか)でその特徴とくちょうを記述することを試みる。うまくいけば、その段階において、原理的なことを考えなくともある種の規則性が経験的に見つかる場合もある。科学の歴史上、そのような「経験法則」の例は枚挙にいとまがない。惑星わくせいの位置を丹念たんねんに追って得られた「ケプラーの法則」などは、その最たるもののひとつと言えよう。
 しかしながら、もしそれぞれの科学が、そのような範囲はんいの中にのみとどまっているのならば、しょせんは記載きさい的な博物学にすぎなくなってしまう。趣味しゅみとしての博物学ならばそれもよかろう。博識であること自体は決して悪いことではない。だが、より深く自然を理解しようとする意欲を持っている人々にすれば、博物学だけではいかにも物足りないことであろう。よく言われることであるが、天文学や気象学の入門書が、ややもすれば星の名前や雲の形の記述に終始しているため、中学校の地学クラブのレベルを卒業した意欲的な学生の目から見て不満足なものに映るのは、たしかに反省すべきことと思われる。
 したがって、次に必要なことは、ある事物や現象の形態や振る舞いふ ま おくにひそむ原理を追求することであろう。たとえば、台風について考える。記述的な筆法でいけば、台風とは熱帯の海上に発生する低気圧で、円形をしており、中心には眼があって、半径は数百キロ、中心付近の最大風速は云々うんぬん……ということになろう
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

が、もっと物理の目で台風を見るなら、次々と説明さるべき問題点が浮かび上がっう  あ  てくる。「台風はなぜ陸上で発生しないのか」「どうして高気圧性の台風はないのか」「台風のエネルギー源は何か」これらはみな、台風なら台風の、発生・発達する条件や過程つまり「成因」を問うていることにほかならない。さらに一歩進めるなら、「台風に伴っともな て大量に降る雨のもととなる水蒸気はいったいどこから運ばれてきたのか」とか「台風が熱帯で発生して北上し、中緯度いど消滅しょうめつするまでの間に、南と北の空気はどれだけ入れ換わるか  だろうか」といった疑問もわいてくる。これは、台風のもたらす「作用」を論ずることに相当している。考えてみれば、ハドレーの大循環じゅんかん論は、まず熱帯貿易風や中緯度いど偏西風へんせいふうといった経験的事実(現象論)から出発し、太陽の熱放射と重力による大規模対流の生成という運動の成因を論じ、さらにそのことが、地球全体の熱のバランスを満たしているという作用論にまで及んおよ でいたのである。ここにこそハドレーの偉大いだいさがあったわけである。
 
 (廣田ひろた勇「地球をめぐる風」より)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 10.4週 ru
 自分が、いままさに死にゆかんとしていることを知らないままに死んでいく人間などいないと、ぼくは思う。そうでなければ、人間が死ぬ必要などどこにもないではないか。人間は、そのことを思い知るために、死んでいくのだ。有吉ありよしの死後、ぼくが読書すら投げ出して考え続けたことは、それだった。だが何のために、そんなことを思い知らなくてはならないのか、ぼくには分からなかった。それを考えるとなぜかぼくは何かに祈りいの たくなるのだった。有吉ありよしが死んでからは、ぼくと草間とは疎遠そえんになった。草間はその猛烈もうれつな勉強ぶりに拍車はくしゃをかけ始めたし、ぼくはぼくで、ある新しい情熱を駆らか れて小説に読みふけるようになったからだ。その情熱とは、すでにとうの昔にこの世からいなくなった多くの作家たちが、生きているときに何を書かんとしたのかを知りたいという願望だった。死人が小説を書けるはずなどなかったから、ぼくが捜し出そさが だ うとしていたことはばかげたお遊びに近かった。だが、そのばかげたお遊びは、有吉ありよしの死がぼくに与えあた 後遺症こういしょうだったのだ。ぼくはまもなく後遺症こういしょうから立ち直り、あらゆる物語を死から切り離しき はな て考えるようになった。すべては死を裏づけにしていたが、死がすべてである物語は存在しなかったからである。 
 寒い朝、ぼくは草間からの電話で起こされた。「新聞に、あの絵のことが載っの てるぞォ」と草間は言った。ぼくは電話を切らずに、そのままにしたまま、階段を降りて茶の間に行き、父が読んでいる新聞をひったくって二階に駆けか のぼった。そして「消えたまぼろしの名画」と見出しがついたコラムに見入った。それは事件としてではなく、ちょっとした町の話題として載せの られたもので、ある日忽然とこつぜん 誰かだれ に持ち去られてしまった百号の油絵の由来が紹介しょうかいされ、持ち主の談話が簡単につけ足されていた。喫茶店きっさてんの店内から絵を盗み出しぬす だ てから、すでに八ヶ月かげつがたっていたから、まさかいまごろになって新聞ざたになろうとは思いもかけないことだった。作者の島崎しまざき久雄ひさおは幼いころからじん臓を患いわずら 、長い闘病とうびょう生活の果てに逝っい た青年だった。多くのデッサンとペン画が残っているが、油彩ゆさいの大きな作品としては、盗まぬす れた「星々の悲しみ」のファンも多かったので、何とか手元に帰って来てくれないものかと思っていると持ち
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

主は語っていた。「用事が済んだら、ちゃんと返しとくのがルールやて言うたやろ。志水がいつまでも返さへんから、こんなことになったんや」と草間はそれほど慌てあわ ている様子もなさそうに言った。警察ざたになった訳ではなかったので、ぼくもそんなに動揺どうようはしなかったが、そろそろ潮時だという気がして、草間に言った。「頼むたの 、絵を返してきてくれよォ」「おれ一人でか? アホなこと言うなよ。新聞に載っの たとたんにおかしな動き方をしたら余計に危ない。もうちょっと時間をあけてから考えたらええがな」「店の中の、元のかべに返しとくというのは、なんぼ草間でも無理やろなァ……」草間の笑い声が、電話口から聞こえてきた。ぼくたちはその話は一応打ち切って、互いたが 近況きんきょうを語り合った。「もう、へとへとや」草間は言った。「今が一番つらいときや。もうちょっとやないか」それから、ぼくはふいに感傷的になって、ほんの少しの間涙ぐんなみだ  だ。……「K大の医学部絶対に通れよ。がんなんかやっつけてしまう医者になってくれ」 
 ぼくはニ、三日、落ち着かない日を過ごした。「星々の悲しみ」から、出来るだけ遠ざかっていたかった。だが、そうなるといっときも早く、絵を持ち主に返してしまいたくて仕方がないようになってしまった。ぼくは意を決して、妹の加奈子かなこに新聞の記事を見せた。そして妹に手伝わせて、かべ掛けか てある油絵を降ろし、たたみの上に立てかけた。そして、八ヶ月かげつ前の雨の日、図書館の横の古い橋の上で、初めて草間と有吉ありよしの二人と言葉を交わしたときのことを話して聞かせた。「あれから、たったの八ヶ月かげつやぞォ」そう言ってしまってから、ぼくはその間に読んだたくさんの小説の行方を思った。悲劇も喜劇も、悪も善も、恋愛れんあいも官能も、心理も行動も、ことごとく陰翳いんえいを失って、ぼくの中に潜り込んもぐ こ でしまっていた。ぼくは何も得なかったようでもあったし、積み重なった透明とうめいな後光を体中に巻きつけているようでもあった。加奈子かなこが自分の部屋に戻っもど てしまうと、ぼくは古新聞を集めてきて、絵の包装に取りかかった。乾いかわ たタオルで額についたほこり拭いふ た。それから、もう二度とぼくの手元に戻っもど てくることのない「星々の悲しみ」を見た。
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
長文 10.4週 ruのつづき
凄いすご なァ」死んだ有吉ありよしは、この絵を見てつぶやいたのだった。 
 「この絵、もっとほかの題がついていたら、何でもないただの絵かも知れへんなァ」――絵はいつになく光っていた。蛍光けいこう灯の光を受けて、樹木の葉は水に濡れぬ たように色づき、初夏の陽光は真夏の日差しに変わってまばゆく輝いかがや た。どこからか蝉しぐれせみ   も聞こえてくるようだった。ぼくは、結局いつかの加奈子かなこ解釈かいしゃくが、いちばん正しかったのではないかと思った。加奈子かなこは、麦わらぼうで顔を覆っおお て大木の下でうたたねしている青年を、死んでいるのだと思ったのである。絵の作者は、自分の死んでいる姿を描いえが たのだと。もし本当にそうだとしたら、この絵にもっともふさわしい題名は確かに「星々の悲しみ」以外ないではないか。ぼくは、葉の繁っしげ た大木の下に有吉ありよしを横たわらせ、そのとてもきれいな死に顔を麦わらぼう隠しかく た。 

(宮本てる「星々の悲しみ」)
 999897969594939291908988878685848382818079787776757473727170696867 


□□□□□□□□□□□□□□
 
a 長文 11.1週 ru
 時計を選ぶときにはいろいろな選択肢せんたくしがあるが、文字ばんがアナログかデジタルかで選ぶというのもある。液晶えきしょう式デジタルウオッチが世の中に登場したのが一九七二年。時計の表示方式の革命といわれたように、選択肢せんたくしが一気に広がり、以後、デジタルウオッチは電子製品の特徴とくちょうである、量産化による大幅おおはばな経費消滅しょうめつで急速に市場を広げていく。
 一九七九年と八〇年の二年間の日本の時計生産ではデジタルがアナログを上まわるほどにまで成長したが、今度はその反動で「アナログ回帰」現象が急に起こり、九〇年にはデジタルの比率は二割にまで落ち込んお こ でしまった。その後デジタルに魅力みりょく的な製品が開発され、最近は国内市場の三割程度がデジタル時計と考えられる。
 情報として考えるならば、デジタルは、細分化された「断片的情報」である。より正確な情報をドライかつ明確に表示することには優れているが、前後との関連や全体のなかでの位置づけを表すことには不向きだ。一方のアナログは、「情緒じょうちょ的情報」ともいわれるように、全体の傾向けいこうや位置づけを表すのは得意だが、細かい部分を見るにはわかりにくい。グラフでいえば、円グラフや折れ線グラフがアナログ情報である。
 では、時計の表示としてはどうであろうか。アナログ時計は瞬時しゅんじにおおまかな時刻を読み取ることと、残り時間を算出しやすいという点で優れており、デジタル時計は正確な時刻を表示する点で勝っている。
 面白いもので、人から時刻を聞かれたときにアナログ時計をしていると「一〇時半」と答える人が、デジタル時計をしていると「一〇時二九分」、場合によっては「……四五秒」と秒数までも答えてしまう。アナログ情報は読み取るときに頭の中の思考回路を働かせないと答が出せないのに対して、デジタル情報は表示の数字を読みあげるだけですむからである。残り時間を出す場合、アナログ時計は見ただけで認識できるが、デジタル時計は頭の中で逆算しなければならない。
 もっとも、時計が60進法を採っているためにデジタル派はいっそう不利になっている。とくにわれわれ日本人は算用数字イコール10進法という固定観念が強く働いてしまうのかもしれないが、10:59の次が10:60にならずに11:00になるのは、頭ではわかっていても実感がともなわない。デジタルだと、「まだ時間がある」ような錯覚さっかくにおちいって話しこんでいるうちに、次の
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

約束に遅れおく てしまったりするのは、そのためだ。
 では、表示以外については、デジタルとアナログでどう異なるのか。
 アナログ時計には針を動かすための歯車があり機械部分が残っているが、デジタル時計は「全電子時計」と呼ばれるように、機械的動きの部分がまったくない。したがって部品点数が少なくなる(自動巻きの機械式腕時計うでどけいでは一四〇点前後あった部品が二〇?三〇点ですむ)ので、安く、かつ軽くなる。正確で安い経費の時計をつくるにはデジタルが最適だ。
 一方、アナログ時計の最大の利点はデザインの多様性だ。デジタルの数字のようにデザイン上の制約がないので、丸型にも角型にもできるし、文字ばん一面に模様を入れることもできる。したがって、スポーティ感覚のデザインでも、高級感あふれるドレスウオッチでも思いのままだ。宝飾ほうしょく時計の分野などはアナログ時計の独壇場どくだんじょうといえる。
 近年デジタルウオッチが盛り返してきたのは、その頭脳である大容量のLSI(大規模集積回路)の価格が下がってきたために安い経費で調達できるようになり、メモリー(記憶きおく)機能やセンサー(感知)機能が加わって、これまでのウオッチの概念がいねん超えるこ  ユニークな多機能ウオッチが登場したためだ。このような機能を発展させていくと、うでにつけているだけで時計が体温、血圧、脈拍みゃくはくなどを測り、定期的にかかりつけの病院へ情報を送信し、異常があると呼び出し機能で呼び出される……などという日も近いかもしれない。(中略)
 アナログウオッチも変わってきている。頭脳にIC(集積回路)を使うようになっただけでなく、近年はそのICに演算処理機能をもたせた時計が実用化している。これによってアナログ時計でありながら時と場合に応じて、ストップウオッチやタイマーなど別時計を同じ文字ばんに表示する多機能のアナログ時計ができたのである。もちろん、元に戻せもど ば、正しい時刻が表示される。まさにデジタルの頭脳をもったアナログ時計だ。
 時計のエレクトロニクス(電子工業)化がデジタルウオッチを生み、アナログ時計にも便利なものが登場した。人間の脳にも右脳と左脳があるように、時計のデジタルとアナログも共存共栄で発展していくことだろう。 (織田一郎の文章による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 11.2週 ru
 もう三〇年も前のことだが、一九六〇年代の中ごろ、ヨーロッパの街角で初めて日本車が走っているのを見たとき、なみだが出るほど感激したことがある。
 当時の日本の工業製品は、まだ性能的にも機能的にもかなりお粗末 そまつで、欧米おうべい対抗たいこうできるのは価格だけといわれていた時代である。自動車も例外ではなく、これでドイツのアウトバーンをフルスピードで走ることができるのか、と現場技術者の間で心配の声が出るほどだった。
 それが、今では「メイド・イン・ジャパン」といえば、性能の良さ、信頼しんらい性の高さの代名詞にさえなっている。技術後進国だった日本は、欧米おうべいに追いつこうと懸命けんめいにキャッチアップを続けた結果、わずか三〇年で追いつき、追い越しお こ てしまったのである。この速さは特筆に値する。
 キャッチアップの速さは、何も戦後の製造業に限ったことではない。奈良ならの大仏や戦国時代の鉄砲てっぽうに代表されるように、日本人は異質で高度な文明・文化に触れふ たとき、それを率直に評価して猛烈もうれつな勢いで取り入れ、追いついてきた。
 鉄砲てっぽうを例にとれば、一五四三年(天文一二年)種子島に伝来した火縄銃ひなわじゅうはわずか二ちょうにすぎなかったといわれている。それがあっという間に全国に伝わり、世界有数の鉄砲てっぽう製造国になってしまった。
 この驚異きょうい的なキャッチアップの速さを可能にした秘密は、どこに隠さかく れていたのか。一言でいえば、最新技術を受け入れ、消化するだけの素地=潜在せんざい能力が、既にすで 日本にあったということである。
 鉄砲てっぽうの場合は伝来以前に高度な金属加工の技術の蓄積ちくせきがあった。また、明治以降の近代化も、その前提条件として、日本の木工技術が既にすで 欧米おうべい人が目を見張る段階にまで成熟していたという事実がある。産業構造においても、素材から下請けしたう にいたるまで、すべての社会的機能が整っていた。これらの要素が複合して近代化のスピードを速める基盤きばんとなったのである。
 にもかかわらず、現代の日本人は、この驚異きょうい的な速さのキャッ
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

チアップを可能にしてきた自らの潜在せんざい能力に誇りほこ をもっていない。それは、欧米おうべいから「もの真似上手」という思いもよらぬ批判を浴び続けてきたからである。「もの真似」だけが上手で独創性はまったくない……というマイナス評価が繰り返しく かえ 伝えられたため、独創性欠如けつじょコンプレックスに陥っおちい てしまったのである。
 しかし、歴史を少しひもといてみると分かることだが、かつての日本人は、「もの真似」に対してそれほどコンプレックスを抱いいだ てはいなかった。例えば、職人の世界に代表される技術の現場では、昔から必ずグループで仕事をしてきた。そこでは、一人が何か新しい技術をマスターすると、みんなが真似をした。教える際も手取り足取りではなく、「習うよりは慣れろ」、あるいは「見て盗めぬす 」と突き放しつ はな て技術を覚えさせた。つまり、学ぶということは、徹底てっていして「真似る」ことだったのである。
 芸事などでも、古くから「守・破・」という一つの発展段階説があった。まず、伝統的な古いやり方を、そのとおりに守って徹底てっていして学ぶ。そして基本技術を十分にマスターした上で、次の段階として古い伝統的なものを破り、やがては学んだものと離れはな て、まったく独創的な方式を確立し、新たな流派を形成(=立派)していった。
 このように、日本人には、徹底てっていして「真似る」=「学ぶ」姿勢こそが独創性を発揮する大前提であるとする歴史があったのである。それを「真似る」=「独創性の欠如けつじょ」と勘違いかんちが するようになったのは、「守・破・」の「破」と「」の識別が明確にされていなかったからではないだろうか。(中略)
 大切なことは、時代的発展段階を織り込んお こ で考えてみることである。現代では世界の最先端さいせんたんをいくアメリカも、一九世紀には技術後進国でヨーロッパの進んだ技術文明を模倣もほうしていた。その証拠しょうこに、アメリカ人がノーベル賞を多く受賞し始めたのは、たかだか第二次大戦以降になってからだ。日本人が「もの真似上手」と言われることに、過度のコンプレックスを抱くいだ 必要はまったくないのである。
 (石井威望「日本人の技術はどこから来たか」による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 11.3週 ru
 昔話の研究をすることは、そこに隠さかく れた民衆の知恵ちえのようなものを感じとることになり、現代に生きるわれわれに対しても思いがけぬ示唆しさ与えあた てくれる。
 昔話と老人ということになると、まずわが国の昔話にはよく老人が登場することに気づかれるであろう。実はこのことは日本の昔話のひとつの特徴とくちょうであり、内外の昔話研究者の指摘してきしているところである。このことをどう解釈かいしゃくするかはここでは触れふ ないでおくが、昔話に登場する老人がどのような知恵ちえ与えあた てくれるか調べてみることにしよう。「うばすて山」という昔話では、六十さいになって山にすてるべき老人を息子がかくまっている。殿様とのさまがあるとき「灰でなわをなって来い」と百姓ひゃくしょうたちに言いつける。だれもできずに困っているときに、老人が息子に、なわを固くなって、それをだいじに焼いて灰にしてもってゆけと教えてやる。このようなことから老人の知恵ちえ殿様とのさまに認められ、うばすての習慣がとりやめになる。この昔話で極めて象徴しょうちょう的なことは、みなが灰でなわをなうのに苦労しているとき、老人はそれを逆にとらえて、なわをなってから灰にしたことである。
 老人の知恵ちえは思考の逆転の必要性を示している。このような思い切った発想こそ、われわれが老人のことを考えるときに必要なことではなかろうか。老人は何もできない、能率的でないから駄目だめだとみなは言う。これを逆転して、老人は何もしないし非能率的だから価値があると考えてみてはどうだろう。実際、われわれはあくせく働き、能率や進歩を追求してきて、本当に幸福になったであろうか。物質的豊かさと精神の貧しさに病んでいないだろうか。何をしたのか、どれくらい利益を得たのか、そんなことにわれわれがあまりにもこだわりがちとなるとき、ただそこに存在するだけという老人の姿は、価値とは何かについて重要なことを教えてくれるのではなかろうか。
 貧乏神びんぼうがみ」という昔話にでてくる老人は、もっと思い切った知恵ちえを授けてくれる。詳細しょうさいを語ると面白いが省略してエッセンスのみを言うと、若夫婦の家に住みついた貧乏神びんぼうがみの老人が金もうけの
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

方法を教えてくれるのだ。それは、殿様とのさまの行列が通りかかるのでその駕籠かごのなかを目がけてなぐりこめ、というのである。結局、若者は老人の言いつけに従って金を獲得かくとくするのだが、ここで「殿様とのさまをなぐる」などというまったく途方とほうもないことがでてくるところが興味深いのである。
 封建ほうけん時代には殿様とのさまは絶対的な存在である。それに対してあえてなぐりかかるものこそが、黄金を獲得かくとくできるのだ、と老人の知恵ちえは告げている。ユングは無意識が意識の一面性を補償ほしょうする傾向けいこうがあることを、つとに指摘してきしている。昔話もそれと同様に公的で常識的な考えを裏から補償ほしょうする傾向けいこうをもっていると思われる。従って、それは思いがけない解決の道を示唆しさするのである。殿様とのさまが絶対的であった時代に、このような話をもっていた日本の民衆というものは、なかなかの活力を底に秘めていたのではなかろうか。
 ところで、昔話には類話というものがあり、「貧乏神びんぼうがみ」にもいろいろな類話が存在している。それをみるとまた興味深い。殿様とのさまをなぐるのに気がひけて家来をなぐったので、大金持ちになれず小金持ちになったというのがある。あるいは、貧乏神びんぼうがみの老人に福の神が通るからつかまえろと教えられるが、たくましい馬がやってきて怖くこわ てつかまえられない。二度も失敗して最後に弱そうなのがきたのでとびつくと、それは貧乏神びんぼうがみで元どおりになったなどという愉快ゆかいなのがある。これは、「ものごとをやるときは思い切りが必要だ」ということを示しているものとも言えるが、せっかくとびついたら元の貧乏神びんぼうがみというところに巧またく ぬユーモアがあり、どうせ貧乏びんぼうでもいいさという諦観ていかんのようなものさえ感じさせる。類話のなかにはどうせ同じこととひらき直って金持ちになる話も存在している。
 これらの類話の多様性は人生の問題の解決法の多様性を示している。これでなければ、という固いことではなく、人によっていろいろの生き方があり、それはそれなりに面白いものだ、と昔話の知恵ちえはわれわれに語りかけてくるのである。このように昔話を読むことは、現代のわれわれの生き方と直接につながってくるのである。
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 11.4週 ru
 そのとき、はじめてお悔やみ く  を言いました。
「おちょう小母さんが亡くなられて、私もさびしくなりました。」
 すると、私のまんまえでこちらを向いていた栄作小父さんは、ほんとうに静かな動作で、つうっと横を向いてしまい、そのまま直立の姿勢をくずさないでいるのでした。まわりに同じ村の人たちが四、五人はいたのですが、敏感びんかんにその場の気配を察して、私と栄作さんの間の雰囲気ふんいきをそっとしておくために、心をくばったようです。瞬時しゅんじのことです。
 妻をなくして、もうだいぶ月日がたっているのに、夫である栄作さんのつらさが、私に挨拶あいさつされて、そんなにも新しくよみがえったことに、まわりの人たちがいたわりを見せたのでした。細身で、どちらかといえば背の高い、農仕事でひきしまったからだ。面長で鼻筋のとおった顔は、陽が照り残っているようなつやを見せています。七十は越しこ ているのにかみも黒く、目も切れ長に黒い。その人が少年のように、口もきけず横を見たまま、まっすぐ遠くをみつめている。たぶんあふれてくるものを見せまいと、背筋を張っていたのに違いちが ありません。その姿は木のように素朴そぼくで、悲しみがつっ立った感じでした。いきなり横を向かれた私にも、すぐそのことが会得されました。私はちっとも困りませんでした。そして黙っだま て立ちました。隣り合わせとな あ  た一本の木のように。(中略)
 横浜よこはまでの、心のシャッターチャンスがとらえた一枚のスナップについての、これが簡単な説明です。私はこの無形の写真をときどき思い浮かべるおも う   と、どうしてか気持ちがほうっとふくらんで、くちびるの辺りがほころびてくる。これをユーモアと名付けてよいものか、どうか。ふだんは礼儀れいぎ正しい明治の老人が、礼を忘れた姿に、日がたってからとはいえ、私がかすかなおかしみを味わうとしたら、これは第三者の残こく以外のなにものでもないのですが、私にはやはりユーモアと名付けるのがいちばんふさわしく思われます。なめれば甘いあま 、というような単純さで、笑ったからユーモアだ、というのとは別種のもの――。
 伊豆いずの、山家やまがの、炭焼きさんの、という、うたうような語り口。なぜかあの村へ行くと、人々のやりとり、会話にリズムがあるのを
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

感じます。一軒いっけんの家の囲炉裏いろりとなり近所のひとが寄ってきてかわす会話の機知に富んだ軽妙けいみょうさ。ひとつひとつ覚えておかなかったことが残念ですが、覚えるほどのことではない、また覚えきれることではない日常性が、小川の流れのように、上手に時間を、人と人との間柄あいだがらをとりもって運び続けているのかも知れません。それはまちがいなく「ことば」の果たす役割でした。遠慮えんりょのなさ、気取りのなさ、かなりな冗談じょうだん。それでいてふっと黙るだま 部分がある。それが動作に出る。
 先ごろ田舎に帰ったとき、栄作さんはからだが弱くなってている、というので、その庭先からたずねると、いまはあるじの息子が出てきて私に言いました。「ハイ(もう)年ですからノ。年に不足はないガです。」いちおう声をひそめているものの、障子越しご につつぬけなのはわかっていて、それを、ハラハラなどしないで聞いている自分に、私は確かにここは岩科だ、と思うのでした。通常、あととり息子が親に対して、そんな陰口かげぐちをきいたら、お互い たが どんなメクジラをたてるだろう? 「年に不足はないガです。」そんなことをサッパリと、他人向けに言ってみせる。息子は充分じゅうぶん親孝行で、親は親で、案内された囲炉裏いろりばたで茶をすすっている私のところへひょっくりあらわれ、きちんとひざをそろえるのでした。「この蜂蜜はちみつは、自分のに採ったガです。東京へ持ってって下さい。」挨拶あいさつや説明はすでに家族がすっかり済ませているのを承知で、栄作小父さんはいきなり四合びんを私のかたわらに置くのでした。透明とうめいな器の中で、とろりと濃いこ みつが、びんの首まで届いています。
 私はまだまだ顔色のいい栄作さんに目をあて、小父さんはいい耳をしていると、つくづく思いました。

石垣いしがきりん「ほのおに手をかざして」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 12.1週 ru
 日本のふつうの書きことばでは、漢字の地位が絶対的に高く、それに比べてカタカナは、代用的な役割しか引き受けていない。前者は高度に抽象ちゅうしょう的な概念がいねんの表記に不可欠とされるのに対し、後者はガチャガチャ、ドタバ夕など、できごとそのままをむき出しにした、いわば幼稚園ようちえん文字である。
 ところが、カタカナが時に、この地位を逆転して、漢字のはるかに及ばおよ ない威信いしんを帯びることがある。欧米おうべいの学芸や学芸人を示すのに用いられるばあいそうであって、たとえば「フィロゾフィー」が「哲学てつがく」より一段高い威信いしんをあらわすとき、かの幼稚園ようちえん文字が、一転して欧米おうべい先進文化の光りかがやく代弁者の地位に躍り出るおど で のである。
 しかしそうなるのは、もとが漢字ではない文字のあらわす音をカタカナが示そうとするばあいに限るのであって、もとにあるのが漢字であるとなれば、事態は一変してしまう。もしその漢字の音をカタカナで写し、それで押し通そお とお うとするならば、思いもかけないほどの強い抵抗ていこうに出会うであろう。たとえばその国で一般いっぱんにそう呼ばれているように「トン・シァオピン」と書くとどこか不安なのに、漢字で書いて、トー・ショーヘーと読めば、普通ふつうの日本人は安心するだろう。この日本式呼び名を聞いて、それがだれだかわかる中国人はほとんど居ないにもかかわらずである。この安心感は、音はなぞりでしかないのに、漢字はオリジナルで不変だという安心感から来ている。しかしそのオリジナル性は、音のオリジナル性を全く犠牲ぎせいにした上に成りたった、無努力、横着のオリジナル性である。
 こういう一面的なオリジナル性の上にできた二つの言語間の交流は、たいていは一方の側の、ときには双方そうほうの側からの独善にもとづく、まがいものであるのが普通ふつうだ。なぜなら、人は話をすることによって交流するのが基本だからである。そうでない、文字だけの交流は、その文字エリートや、かれらの作った制度によって管理されたものだからである。
 いま私がかりに韓国かんこくに行って、そこの男ないしは女と仲良くなったとする。その仲良くなり方が学問的、職業的なものか、より人間的なものであるかは問わない。とにかくその人が自分を「カン」だと名のれば、私はその人の名を「カン」さんとして心の中に刻み
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

つけ、終生変えることはないだろう。しかしその人の名を学生名簿めいぼとか新聞記事で「きょう」という文字によって知れば、その日本式読み方に従って「キョウ」と発音することになるだろう。それは紙の上のつき合いにとどまるからそれですむのであるが、もしかれ、もしくは彼女かのじょを私が愛していれば、絶対に「カン」でなければならない。
 文化の交流が一方的に統制されたものから相互そうご的で直接的なものへと移ると、ことばは紙から抜け出ぬ でて音になる。韓国かんこくの人気歌手チョー・ヨンピルを愛するファンが、どうしてかれをその紙のことばのちょうに従って、チョー・ヨーヒツなどと呼びかえる気になれるだろうか。ヨーヒツは決してヨンピルではないのである。福岡ふくおかに居る韓国かんこく人牧師さんが自分の呼び名のことで、もう十年来こういう訴えうった を続けているのに、日本の裁判所はわかろうとしない。つまり、ことばには愛があるということを理解しないのである。
 
 田中克彦かつひこ「国家語をこえて」から(一部直す)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 12.2週 ru
 最近わが国では、あらゆる所で「国際化」の必要が唱えられている。金融きんゆう・流通機構・労働市場は言うに及ばおよ ず、教育改革の論議の背後にまでも、「国際化」が日本人の国民的課題であると言わんばかりの言い方がなされている。
 しかし、「国際化」とは一体何だろうか。わけもわからずこの言葉を合言葉のように振り回しふ まわ て、日本を一定の方角へ闇雲やみくも駆り立てか た てしまう前に、いま冷静に踏み止まっふ とど  て言葉の意味を問い直し、その用法を吟味ぎんみし、他国との比較ひかくを試み、その上で進むべき方向を模索もさくしても遅くおそ はないのではなかろうか。
 世界において「国際化」がスローガンさながらに叫ばさけ れているのは日本だけである。欧米おうべい世界に、これをめぐる議論も、自己反省も存在しないし、第一、日本人が使っているのと同じような意味での「国際化」という言葉が存在しないのだ。私が知る限りの欧米おうべい人に聞いてみると、彼らかれ はまず第一に、日本語の「国際化」というこの言葉が何を意味するかが分からないと言う。
 思うにその理由は、欧米おうべい世界は現実においてすでに「国際化」されているから、今さらそういう言葉を必要とはしていない、という事情があるためだと一応は考えられる。彼らかれ の大半は無意識のうちにそううぬぼれている。欧米おうべいで通用してきた尺度は、従来、そのまま世界に通用する尺度でもあったからだ。そして、他方において、日本人が「国際化」の必要をかくも熱心に唱えるのは、日本人自身が今なお自分を閉ざされた特殊とくしゅな民族と意識し、それを克服こくふくしなければならない欠点と判断しているからだろう。
 しかし、果たしてそう単純に考えていてよいのだろうか。世界地図を見渡しみわた てみると、「国際化」されていない、閉ざされた国ばかりがやたら目立つ。イスラム、中国、ソ連しかり。米国や欧州おうしゅうだって、完全に「開かれた」国々だと果たして言えるだろうか。自分の暮らし方を民主主義の最高形式と信じ、自分の正義を他国に押しつけお   、外国語を学ぼうとさえしない米国国民。近代科学と進歩の理念が自分に発し、地球全体に拡がったことを理由に、久しい間自己中心史観にあぐらをかき、キリスト教を欠いた文明はみな野蛮やばんで、未解放と思っている西欧せいおう人。一体彼らかれ がどうして「国際化」
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

された、開かれた民族と言えるのであろうか。自分を閉ざされた国だといつも意識している日本人の方が、よほど心理的に開かれていて、外の世界から謙虚けんきょに「学ぶ」という伝統的習性を保持しているのではないだろうか。ただ、国際会議が主に英語で行われるなど、世界の運営がこの二、三百年欧米おうべいの基準でなされてきたので、(欧米おうべい閉鎖へいさ性)ということが今まではどうしても見えにくかったまでなのだ。閉鎖へいさ的な自己中心へきはどこの国でも同じで、他国にぬけぬけと「国際化」を要求できるほど公平で、無私の国民など、まずあり得まいと私は信じている。
 それにもかかわらず、日本の、「国際化」が求められる所以は、貿易、軍事、文化交流、等々において世界を支配しているのは、今のところはまだもっぱら欧米おうべいの論理であって、日本はそれに自分をある程度合わせない限り、国としての生存を維持いじできないからにほかなるまい。つまり、「国際化」は必要から、やむを得ず強いられていることであって、決して美しい正義の御旗みはたなのではない。国が生き延びていくために、どうしても欧米おうべいの論理への適応化を必要とするならそれはそれでいい。いくらでもそういう覚悟かくごでやったら良いと思う。ただ「国際化」が、日本の特殊とくしゅ性を普遍ふへん化してくれる絶対善だからそうするのでは断じてない。日本は特殊とくしゅで、欧米おうべい普遍ふへんだなどというのは、過てる迷妄めいもうにすぎない。単に実用的必要の見地から、日本はいま外に向けてある程度開かれようとするのであって、したがって、「国際化」という甘美かんびな言葉の使用をむしろやめ、はっきりと「欧米おうべい秩序ちつじょへの適応化」という正確な言葉を使う方が、かえって誤解は避けさ られる。
 この場合の「誤解」とは日本人の自己誤解である。日本には聖徳太子の昔から、文物を外に求め、己をむなしくして、外の世界に自分を柔軟じゅうなんに合わせるという美点――島国人としての自意識が非常に発達している。この美点と、政治的経済的必要から欧米おうべいの作り上げた秩序ちつじょに一時的に自分を適応させるという現代的課題とを、日本人は「国際化」という同じ一つの言葉の中で、ごちゃ混ぜにして用いていないか。 (西尾にしお幹二「国際化への疑問」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 12.3週 ru
 考えてみると、私の家では犬もねこも飼った覚えがない。あとになって、大森に引越しひっこ てから、家のえんの下に野良犬がを生んで、鳴き声に気がついた私が、ある日、えんの下深くまでもぐって仔犬こいぬをつかまえ、飼ってくれと、母親にせがんだことはあったけれど、七、八ひきもいた仔犬こいぬたちは、母犬がどこかにつれていってしまうのか、それとも盗まぬす れるのか、つぎつぎと姿を消してしまった。最後の一ひきが見えなくなった日は、私は本当に悲しくて、学校から戻っもど たあと、日がくれるまで近所一帯を一生懸命いっしょうけんめいに探して歩き、疲労ひろうと気落ちでしょんぼりして帰宅したあと、夕食もとる気になれず、とこに入ってからも長いこと寝つかね  れなかったのを覚えている。奇妙きみょうなことに、まだ仔犬こいぬに対して特別の親近感を抱くいだ ようになるだけの時間もたっていないのに、子供の私には、母親は別だとしても、それまで大切だったはずのほかの多くのものよりもはるかに重大な意味をもつ存在になってしまっていたのだ。どうして、こういうことが、人間の子どもには、可能なのだろうか。私たちのなかの何が、こんな種類の愛情を成立さす力をもっているのだろうか。とにかく、人間の子供にとっての犬やねこといった小動物たちは、母親のつぎにくる、「愛情の学校」ではないだろうか。私たちは、その学校で、人間同士では味わえない、ある種の純粋じゅんすいな愛の相を経験するのではなかろうか。
 姿を消した仔犬こいぬのことで、私がいつまでもあんまり悲しがっているものだから、母親が、ある日東京に出かけたついでに、ひとつがいのチャボを買って来てくれた。その土産の小さな金物のかごのままではせますぎるので、大工さんを呼んできて、庭の片隅かたすみに小屋をつくってもらった。チャボは犬とちがって、愛撫あいぶしたり、いっしょにそのへんを駆けか まわったりできないので、勝手が少しちがったけれど、それでも私はそれなりに可愛いと思った。こまめに、えさをやったり、小屋を掃除そうじしたり、いろいろ世話をした。世話をするのがうれしかった。数日して、巣の中に小さな白い卵のおいてあるのを見た時は、これが本当に私たちの鳥の生んだ卵だとはなかなか信じられなかった。しかし、卵はその翌日も、巣の中にちょこん
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

とおさまっていた。昨日の分は今朝学校にいく前、朝食といっしょに食べてしまったのだから、これは新しい卵に相違そういなかった。こんなに一生懸命いっしょうけんめい生むのなら、食べてしまったら気の毒だな、と思った。とらずにおいといたら、いまに、卵がかえって、ひよっ子が生れて来るのではないか。にわとりは一年中卵を抱くいだ わけではないと思うけれど、では少しとらずにおいて様子をみることにしようか、と母はいった。
 その夜私たちがていると、庭で何か物音がして、目がさめた。何かが走ってゆくような音が聞こえた。そのまま、しばらく、きき耳をたてていたが、あたりはただひっそりしていて、何にもきこえない。
 翌朝起きて、雨戸をくり、庭の方をみると、白い羽根が散乱していた。「おかあさん」と叫んさけ だまま、鳥小屋の方にかけ出した。前にはられた金網かなあみが破れ、小屋の中はからっぽだった。あとから来た母と二人で、羽根のちらばった方を探しているうち、小笹こざさ茂っしげ たかげに、牝鶏ひんけいが横になっていた。咽喉いんこうをかまれたと見えて、そこから胸にかけて、白い毛が真赤に染っていた。それでも両手に抱きとっだ   てみると、気のせいか、眼蓋まぶたが動くみたいで、そこから、眼の白いところが少し見える。「まだ生きてるんじゃないか」と、片手で首を持ち上げてみたが表情は全く変らない。彼女かのじょの姿は、生きていた時よりむしろ美しいくらいだった。
 昨日まであんなに元気だったのにと思って、手を放したら、首ががくっとたれた。その瞬間しゅんかん、私は、自分が、今、じかに「死」というものにふれたのだと感じた。この経験は、いうまでもなく、私には全くはじめてのものだった。私はそれまで、そんな経験があろうと予測したこともなかった。
 生命とは、何かのことで一瞬いっしゅんにして消えていってしまうものであること、それが消滅しょうめつすると共に、まるでばばぬきで手もとのカードをひきぬかれでもしたみたいに、私の手もとに残ったもの、これこそ「死」以外の何ものでもないという感じ。そこには恐ろしくおそ   て、しかも私の心をいつまでもつかまえて離さはな ない力があった。
 これ以上大事なものはないと信じて大切にしていたものでさえ、
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
長文 12.3週 ruのつづき
一瞬いっしゅんにして離れはな 去り、二度と戻っもど てくることがない。人生では、そういうことが起こる。そういう一瞬いっしゅんがあるのである。それは、あたかも、私たちの油断の時を狙いねら すませていたかのように突然とつぜんやってくる。アッと思った時は、もうどうしようもない。失われるのは生命に限らない。一つの幸せ、一つの平穏へいおん、一つのこいであることもある。ついさっきまで、人生は私たちに、あんなに快く、優しい眼差しをおくっていたのに、一瞬いっしゅんにして、全く別の相貌そうぼうが現われる。
 子供の日から何十年かの後、私はブリュッセルの美術館で、この時私の感じたものをはっきり思い出させずにおかない一枚の絵に会った。十六世紀の無名のオランダ派の描いえが た幼女の半身像で、彼女かのじょは両手に死んだ小鳥を堅くかた 握りしめにぎ   たまま、明らかにどこのだれに向けたらいいのかわからないまま、困惑こんわく驚愕きょうがく憤怒ふんぬでかっと見開いた両眼で、こちらを見すえていた。
 
 (吉田よしだ秀和ひでかずの文章による)
 999897969594939291908988878685848382818079787776757473727170696867 


□□□□□□□□□□□□□□
 
a 長文 12.4週 ru
 われわれ普通ふつう凡俗ぼんぞくにとっては、情報の節食、ないしコントロールということはむずかしい。実際「遠くへ行きたい」と言うので、山に登ったりする若者たちも、テントの中で、必ずラジオを聞いている。もちろん、山の天気は変わりやすく、したがって、天気予報を聞くためにラジオは必需ひつじゅ品だ、と若者たちは抗弁こうべんする。しかし、かれらのテントに近づいて耳を傾けれかたむ  ば、かれらは例外なくディスク・ジョッキーなどを聞いているのである。いや、天気予報だって、昔の登山家は、自分の過去の経験によって見通しを立てた。今日の大衆登山は、その意味では情報登山とでも呼ばれるのがふさわしい。
 どうしても情報の洪水こうずいの中で生きるより仕方がないのであるとするならば、そこでわれわれには、いったい何ができるのであろうか。
 一つの可能性は「体験」の世界を大切に見直してみることである。人間は、みずからの経験の中に、他人の経験を取り入れることができる。われわれの「想像力」は、他人のどんな経験にも乗り移り、どこにでも自由に動いてゆくことができるのだ。われわれのシンボル的経験の世界は、いくらでも、広がってゆく。しかし、シンボル的経験が広がる、ということは、しばしば人間の現実と直接的なかかわりをおろそかにさせる。もちろん、「現実」というもの自体も、シンボル的であり、人間の精神機能を抜きぬ にして考えることはできない。しかし、たとえば、「花」という言葉を使って、花について考えたり語ったりすることよりも、われわれが「花」という言葉によって指し示している実在の植物を自分の手に取って、そのにおいをかいでみる、という行為こういのほうが、情報行動として、よりシンボル性が少なく、より実在の世界に近づいている、と言えるだろう。そうした、実在の世界との距離きょりをせばめることを、われわれはときどき試みる必要がありはしないか。(中略)
 われわれの情報活動のなかでは、しばしばイメージ、あるいは観念を尺度にして現実を評価する、という逆転した思考方法が定着してしまっている。「体験」という名の情報に、より大きな価値を与えるあた  習慣をつけなければ、この逆転を正常な姿に引き戻すひ もど ことはできない。たとえば、旅行案内に書かれていることと、自分がその現地で体験したこととの間に食い違いく ちが があるとすれば、その場合、まちがってるのは、明らかに情報のほうなのである。自分の体験が
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

尺度になって、その尺度によって情報が評価されて、はじめて、人間と環境かんきょうとのかかわりは、正しい姿になるのだ。それを逆転させているかぎり、われわれの情報活動は根なし草のごときものであり続けるだろう。
 実際、こんなふうに情報圧力が激しくなってくると、われわれは情報のとりこになり、押し流さお なが れることになりかねない。自分の持っている意見が、新聞などに載っの ている社会の大多数の意見と食い違っく ちが ているときには、なんとなく不安になって、自分の意見を捨てたくなったりもする。周りがみんな、そうだ、そうだ、と叫んさけ でいるときに、ひとりだけ、ちがう、と発言することは、たいへんな勇気のいる作業なのである。
 それを押し返すお かえ ためには、それぞれの人間がなにがしかの「体験」を蓄積ちくせきすることこそが大事なのである。自分は、この目で確かに見た、この耳で確かに聞いた、と確信をもって言えることがらが、もっとたくさんあってよい。もちろん、体験というものは、かなり主観的なものであって、偏りかたよ もあるだろう。しかし、それぞれの人間の個性というのは、結局のところ、そうした偏りかたよ のことなのである。偏りかたよ 恐れおそ て、個性的で確かな人生など、構築しうるはずがないではないか。

加藤かとう秀俊ひでとし「情報行動」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534