長文集  10月2週  ★私は、長いこと(感)  ru2-10-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】私は、長いこと、現代人の「生と死
」や「いのち」の問題を、人間一人ひとりが
生きている現場、あるいは死にゆく現場で、
わが身の問題として見つめ考えてきたものだ
から、そういう一人の人間の心のなかに投影
された時代の特質や変化の芽を読み取るほう
に、頭が動いてしまう。【2】一人の人間の
心に芽生えた小さなことであっても、生身の
人間が生きていくうえで重要な意味を持って
いたり、時代の変化の兆しを示すものであっ
たりすることが少なくない。「小さな動きの
大きな意味」とでも言おうか。
 【3】最近、絵本に関するフォーラムに招
かれて参加したら、司会者の児童文学者が、
ある雑誌に寄せた絵本についての私のエッセ
イを取り上げて、『フランダースの犬』など
というセンチメンタルな作品を柳田さんが評
価し、その作品に新しい意味を見出したと書
いているのは危ないすすめ方だ、と批判した
。【4】どうやら、子どもの本というのは、
読んで楽しいもの、明るいもの、ファンタジ
ーが広がるものでなければならないと考えて
いるらしい。『フランダースの犬』のあらす
じは、こうだ。【5】画家になりたかった主
人公の少年ネルロは、貧しさゆえに、これで
もかこれでもかと不運な目にあう。最後は住
む家もなくなって、吹雪の中をさまよい歩 
き、アントワープの大聖堂に入りこんで飢え
と寒さで死んでしま う。【6】それでもネ
ルロは、死ぬ直前に、大聖堂に掲げてある、
自分もあのようになりたいと思っていた尊敬
する巨匠ルーベンスの壁画を、一瞬吹雪がや
んで雲の切れ間からステンドグラス越しに差
し込んだ月の光によって見ることができた時
、「とうとう見たん だ。神様、十分でござ
います」と言った。【7】わずか十五年の生
涯だった。
 私は小学校五年から六年にかけて、この物
語を何回も繰り返し読み、その度に涙を流し
た。終戦直後の貧困の時代だったことも、こ
の物語への感情移入の要素になったのだろう
。【8】その『フランダースの犬』を人生後
半になって五十年ぶりに読み直したところ、
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この物語は、ただかわいそうというのでなく
、つらいことや悲しいことの多い、ままなら
ない人生をどう受容するか、【9】そんなな
かにあって逆境を恨むのでなく、肯定的な意
味をどう見出すかについて考えさせてくれる
という読み方もできることに気づき、そのこ
とをエッセイに書いたのだった。
 しかし、先の児童文学者は、この物語をセ
ンチメンタルの一語で一刀両断に切り捨てた
のだ。∵
 【0】私は戸惑った。少年時代に他者の不
幸に悲しみを感じ涙を流すという経験をする
のを排除して、「明るく、楽しく、強く」と
いう価値観だけを押しつけると、その子の感
性も感情生活も乾いたものになってしまうと
、私は考えているからだ。
 そこで気づいたのは、日本の高度経済成長
期以降の歴史は、大人の世界でも子どもの世
界でも、「明るく、楽しく、強く」「泣く 
な、頑張れ」ばかりが強調され、「悲しみ」
あるいは「悲しみの 涙」を排除し封印して
きた歴史ではなかったか、ということだっ 
た。
 悲しみの感情や涙は、実は、自らの心を耕
し、他者への理解を深め、明日を生きるエネ
ルギー源となるものなのだと、私は様々な出
会いのなかで感じる。私と同じ世代のある知
人は、小学生時代に『フランダースの犬』に
何度となく涙を流したことが、やがて養護学
校の教諭となり、子どもたちの教育に情熱を
注ぐようになる原点となったという。
 愛する人や家族を病気や事故で失って悲嘆
にくれる人々が、悲しみを分かち合うための
「生と死を考える会」を東京でささやかに発
足させたのは、一九八〇年代はじめのこと。
九〇年代になると、全国各地に同じような会
が続々と生まれ、二〇〇〇年には百を超える
までになった。それは、封印されてきた「悲
しみ」の感情を解放 し、「悲しみ」をネガ
ティブ(否定的)にでなくむしろ生きる糧に
しようとする新しい市民意識の登場と言うこ
とができる。そして、その市民運動は、終末
期医療のあり方や人々の死生観に影響を与え
つつある。
 仏教の慈悲の思想は「悲」の心の大切さを
説いた。二十一世紀を人間と社会の真の成熟
を目指す世紀にするには、「悲しみ」の感情
を教育の場でも社会的にも正当な位置に復権
させることが必要だ と、私は考えている。

(柳田邦男「『言葉の力、生きる力』―「悲
しみ」の復権―」よ り)