長文集  11月2週  ★木々のきらめき(感)  ru2-11-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】「木々のきらめき」「夕焼けの美し
さ」「人のやさしさ」などの出逢いに感じ、
驚いたことはすばらしい経験として、書かれ
理解された知識と違って、深く心の中に生き
つづける知恵である。【2】これらとじかに
言葉でなく心の奥底でふれるとき、生きてい
る快感、たのしさ、甘美さに陶酔する。そし
て何物にもかえがたい生への愛着がわく、今
一瞬が永遠の時であり、求めていた本当の自
分に出会ったような境地がそこにはある。
 【3】重要なのは「感じ」ている自分に自
分の「こと」としての状況が重ねられること
である。悲しいとき、楽しいとき、疲れて帰
路につくとき、絶望に打ちひしがれたとき、
といったその時々の「こと」の中で驚き、感
じているわけで、これに「いつ」といった流
れの年齢、月日がかかわってくる。【4】紅
葉の美しさや花見にしても、月日を重ねるに
したがって、「こと」と「感じ」が連結され
て心の深くに生きつづけ、「層」をなしてい
く。驚いて生きてきたことが重ねられて星霜
が生まれ、層となり、木々のきらめきの中に
人生の縮図を一瞬にして見ることができる。
【5】その一瞬の厚 み、深みの連続が「生
」を充実させてゆく。
 旅のよさは、日常的な俗世、雑念を取り払
った状態で、はじめて出会うキラキラした未
知のものにてらし、そこを通り抜け、身を投
じて「驚き」を身体化させてくれるところに
ある。【6】「感じ」の中で生きる契機を多
く持つことができる「場」を与えてくれる。
心を日常と異なった「狂」とでもいえる状態
におきすべてのすばらしさと深く出会うので
ある。まだ見ぬ自分の中に宿る自分との出会
いである。【7】上田秋成が「事触れて狂ひ
あるく」といった芭蕉や、その姿を見ると人
々は笑わずにいられない一休の風狂は「反習
俗でありながら、日常生活の根本を返照する
ように働く。風狂に は、反俗的奇行や反抗
的行動と裏腹に、烈しい悲哀や笑いの感情が
共存するが、それらの感情は新しい自己認識
として働いている。」∵【8】「奇行であり
、大笑であり、反俗である。と同時に、風狂
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は奇行でなく、大笑でなく、反俗ではない。
その根底に『汝諸人、各各に努力せよ』がな
くてはならない。生を清浄なものとしてあら
しめようとする意志がなくてはならない。」
(岡松和夫「風狂『美の構造』」)と言え、
生きることの意味を問いなおしたといえる。
 【9】季節がめぐり循環するように、旅は
、建物、山、川、町並み、といったそこに変
わらずに「ある」ものや人々とその「時の 
心」で出会う。次に訪れる時、その時の自分
が重ねてよみがえってくる。自らの変容がわ
かる。【0】土地に街に青春が刻まれる。学
生時代を過ごした土地や留学先、旅行先を訪
れると青春の息吹がよみがえってくる。人生
は一度であるから、「感じ」の豊かさの中で
生きなければならない。日記は、土地や山川
や木々さらに建物や道具、そして食べ物や人
とかかわった「こと」として刻むことができ
る。再び、その場所や人に出会うとそのとき
の「感じ」がよみがえってくる。このような
日記の書きかたは「驚き」の重ねられた層な
のである。さらに書物などの中にもできる。
その時々の感想や感激したところを書きしる
したり、読みながら書物を媒介にして自らを
見つめる場合、その心を記すことは年代ごと
に何回読んでも積み重ねられて残り、その時
々が新鮮によみがえってくる。(中略)
 旅で感じた心によって、日常にあっても、
驚きを狩猟する旅人であることが人生をどん
なにすばらしく充実できるかわかる。一日一
日厚みが増し、すべての時がその一瞬に集ま
り、不朽となる。年齢を重ねるごとに「一日
一日が楽しくなる」ことは一回一回の感動を
重ねて生きてきた人には必定である。
 旅に出て味わい、旅人として生きることは
、外に出て自分を見直し、自らのいる場所を
体で確かめることである。自分と異なるもの
と出会い豊かになり、自然や人間の奥にひそ
んでいる見えないもの∵を見、自分の「生の
かたち」として表現し、創造していかなけれ
ばならない。

(杉山()明博『造る文化・使う文化』より