長文集  12月1週  ★大抵の人が(感)  ru2-12-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】大抵の人が、新しく知ったことにつ
いて、いい気になりすぎる。それにばかり眼
を注いでいるものですから、かえってほかの
ことが見えなくなる。峠の上で自分が新しく
知ったことだけが、知るに値する大事なこと
だと思いこんで、それにまだ気づかぬ谷間の
人々を軽蔑する。【2】あるいは、憂国の志
を起して、その人たちに教えこもうとする。
が、そういう自分には、もう谷間の石ころが
見えなくなっていることを忘れているのです
。同時に見いだしたばかりの新世界にのみ心
を奪われて、未知の世界に背を向けている自
分に気づかずにいるのです。
 【3】こうして、知識は人々に余裕を失わ
せます。いや、逆かもしれない。知識の重荷
を背負う余裕のない人、それだけの余力のな
い人が、それを背負いこんだので、そういう
結果になるのかもしれません。というのも、
知識が重荷だという実感に欠けているからで
しょう。【4】もっと皮肉にいえば、それを
重荷と感じるほど知識を十分に背負いこまず
に、いいかげんですませているからでしょ 
う。しかし、本人が実感しようとしまいと、
知識は重荷でありま す。自分の体力以上に
それを背負いこんでよろめいていれば、周囲
を顧みる余裕のないのは当然です。【5】そ
れが無意識のうちに、人々の神経を傷つける
。みんないらいらしてくる。そうなればなる
ほど、自分の新しく知った知識にしがみつき
、それを知らない人たちに当り散らすという
ことになる。そしてますます余裕を失うので
す。
 【6】家庭における親子の対立などという
ものも、大抵はその程度のことです。旧世代
と新世代の対立というのも、そんなもので 
す。が、新世代は、自分の新しく知った知識
が、刻々に古くなりつつあるのに気づかない
。【7】ですから、あるときがくると、また
別の新しい知識を仕入れた新世代の出現に出
あって、愕然とするのです。そのときになっ
てはじめて、かれらは自分には荷の勝ちすぎ
た知識であったことに気づき、あまりにもい
さぎよくそれを投げすててしまう。【8】す
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なわち、自分を旧世代のなかに編入するので
す。
 とにかく、知識のある人ほど、いらいらし
ているという実情は、困ったものです。もっ
と余裕がほしいと思います。知識は余裕をと
もなわねば、教養のうちにとりいれられませ
ん。【9】対人関係において、自分の位置を
発見し、そうすることによって、自分を存在
せしめ主張するのと同様に、知識にたいして
も、自分の位置を発見し、∵そうすることに
よって、知識を、そして自分を自由に操らな
ければなりません。【0】さもなければ、荷
物の知識に、逆に操られてしまうでしょう。
知識に対して自分の位置を定めるというの 
は、その知識と自分との距離を測定すること
です。この一定の距離を、隔てるというのが
とりもなおさず、余裕をつくることであり、
力をぬくことであります。くりかえし申しま
すが、それが教養というものなのです。
 ここから、おのずと読書法が出てまいりま
す。本は、距離をおいて読まねばなりません
。早く読むことは自慢にはならない。それ 
は、あまりにも著者の意のままになることか
、あるいはあまりにも自己流に読むことか、
どちらかです。どちらもいけない。本を読む
ことは、本と、またその著者と対話をするこ
とです。本は、問うたり、答えたりしながら
読まねばなりません。要するに、読書は、精
神上の力くらべであります。本の背後にある
著者の思想や生きかたと、読む自分の思想や
生きかたと、この両者のたたかいなのです。
そのことは、自分を否定するような本につい
てばかりでなく、自分を肯定してくれる本に
ついてもいえます。
 したがって、本を読むときには、一見、自
分に都合のいいことが書いてあっても、そこ
まで著者が認めてくれるかどうか、そういう
細心の注意を払いながら、一行一行、問答を
かわして読み進んでいかなければなりません
。自分を否定するような本についても同様で
す。字面では否定されているが、自分のぶつ
かっているこの問題については、あるいは著
者も自分のいきかたを認めるかもしれない。
そういうふうに自分を主張しながら、行間に
割りこんでいかねばなりません。それが知識
にたいして自分の居場所を打ちたてるという
ことです。本はそういうふうに読んで、はじ
めて教養となりましょう。

(福田恆存「教養について」『私の幸福論』
より)