長文集  12月2週  ★日常会話の中では(感)  ru2-12-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】日常会話の中では、「それは常識よ
。」と言って片づけてしまうことがよくある
。けれども常識ってなんだろう、と改めて考
えてみると、それほど簡単な話ではない。
 【2】私は東京で生まれ、育ったので例え
ば天候などの自然現象を思い浮かべる場合も
おのずと東京付近の様子を頭に描いてしま 
う。冬のどんよりと曇った空から降り続く雪
のことは、知識としては理解できても、実感
としてつかむのは難しい。【3】お恥ずかし
い話だが、先日、大阪の友人と話していて、
大阪では地震がめったにないと聞いて、改め
て驚いた。地形を考えれば納得できることな
のだが、つい、自分の経験でものを考えてし
まうのだ。
 【4】生物の世界にも、こんな例はたくさ
んある。私たちは、温度はほぼ四〇度以下、
一気圧の空気の中で暮らしている。だから生
物は、これに近い環境に生息しているものと
考える。いや、そういうところでしか生きら
れないと思っている。【5】ところが、とん
でもない。思いもよらないところに住んでい
る生物もあるのだ。
 例えば、七〇度以上の温泉の中で生活して
いる細菌がある。七〇度といえば、ゆで卵の
できる温度だから、体が全部固まってしまい
そうに思うが、そんなこともなく、ちゃんと
増えている。【6】「いい湯だな。」と歌っ
ているかどうかは知らないが、その細菌は七
〇度という温度が好きで、常温よりも活発な
活動をする。そのほ か、お酢のような酸の
中が好きな細菌や、濃い塩水の中が好きな細
菌もある。【7】牛乳にお酢を垂らせばたち
まち固まってしまう し、キュウリに塩をか
ければ、外に水がしみ出してくるのでも分か
るように、これらの条件は普通の生物にとっ
ては嫌な環境だ。私たちは、酸素がなくては
数分だって生きていられないが、酸素が嫌い
な細菌もある。【8】そもそも、大昔の地球
には酸素などなかったのだから、当時の生物
はみな酸素嫌いだったはずだ。
 こうしてみると、常識とはなんとも頼りな
いもので、自分とは全く違う立場があること
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を理解し、常に相対的に見ることが重要であ
る。【9】一方、人間はどうしたって七〇度
のお湯の中では生きられないのであり、その
意味での自分の常識も大切にしなければなら
ない。この二つをうまく組み合わせていくの
が、本当の常識であ り、これからはそれが
重要になってくると思う。∵
 【0】実は、この文を書いてから十五年後
の一九九五年一月一七日に阪神淡路大震災が
起きた。この友人は大阪から、転勤してき 
て、東京は地震の多い恐ろしい所だから、関
西へ帰りたいと言っていた。私など全く気に
ならない小さな地震も恐いと言っていたの 
で、きっと子どものころから地震を体験して
こなかったのだろう。ところが、今回の大地
震で彼女の芦屋の実家は倒壊した。
 その後専門家が、今回地震が起きた付近に
は活断層がたくさん走っていて、いつ地震が
起きてもおかしくない状況だったと解説して
いるのだから、彼女の常識は誤りだったこと
になる。なんだか複雑なことになった。
 常識については、科学的知識とその伝達と
いう問題も含めてよく考え、もう一度整理し
なければならないと思っている。

(中村桂子()「生命科学者ノート」より)