1. 【1】日常会話の中では、「それは常識よ。」と言って片づけてしまうことがよくある。けれども常識ってなんだろう、と改めて考えてみると、それほど簡単な話ではない。
2. 【2】私は東京で生まれ、育ったので例えば天候などの自然現象を
思い浮かべる場合もおのずと東京付近の様子を頭に
描いてしまう。冬のどんよりと
曇った空から降り続く雪のことは、知識としては理解できても、実感としてつかむのは難しい。【3】お
恥ずかしい話だが、先日、
大阪の友人と話していて、
大阪では
地震がめったにないと聞いて、改めて
驚いた。地形を考えれば納得できることなのだが、つい、自分の経験でものを考えてしまうのだ。
3. 【4】生物の世界にも、こんな例はたくさんある。私たちは、温度はほぼ四〇度以下、一気圧の空気の中で暮らしている。だから生物は、これに近い
環境に生息しているものと考える。いや、そういうところでしか生きられないと思っている。【5】ところが、とんでもない。思いもよらないところに住んでいる生物もあるのだ。
4. 例えば、七〇度以上の温泉の中で生活している
細菌がある。七〇度といえば、ゆで卵のできる温度だから、体が全部固まってしまいそうに思うが、そんなこともなく、ちゃんと増えている。【6】「いい湯だな。」と歌っているかどうかは知らないが、その
細菌は七〇度という温度が好きで、常温よりも活発な活動をする。そのほか、お
酢のような酸の中が好きな
細菌や、
濃い塩水の中が好きな
細菌もある。【7】牛乳にお
酢を垂らせばたちまち固まってしまうし、キュウリに塩をかければ、外に水がしみ出してくるのでも分かるように、これらの条件は
普通の生物にとっては
嫌な
環境だ。私たちは、酸素がなくては数分だって生きていられないが、酸素が
嫌いな
細菌もある。【8】そもそも、大昔の地球には酸素などなかったのだから、当時の生物はみな酸素
嫌いだったはずだ。
5. こうしてみると、常識とはなんとも
頼りないもので、自分とは全く
違う立場があることを理解し、常に相対的に見ることが重要である。【9】一方、人間はどうしたって七〇度のお湯の中では生きられないのであり、その意味での自分の常識も大切にしなければならない。この二つをうまく組み合わせていくのが、本当の常識であり、これからはそれが重要になってくると思う。∵
6. 【0】実は、この文を書いてから十五年後の一九九五年一月一七日に
阪神淡路大震災が起きた。この友人は
大阪から、転勤してきて、東京は
地震の多い
恐ろしい所だから、関西へ帰りたいと言っていた。私など全く気にならない小さな
地震も
恐いと言っていたので、きっと子どものころから
地震を体験してこなかったのだろう。ところが、今回の大
地震で
彼女の
芦屋の実家は
倒壊した。
7. その後専門家が、今回
地震が起きた付近には活断層がたくさん走っていて、いつ
地震が起きてもおかしくない
状況だったと解説しているのだから、
彼女の常識は誤りだったことになる。なんだか複雑なことになった。
8. 常識については、科学的知識とその伝達という問題も
含めてよく考え、もう一度整理しなければならないと思っている。
9.(中村
桂子「生命科学者ノート」より)