長文集  12月4週  ○人間としてバランスのよい(感)  ru2-12-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/09/10 19:42:19
 【1】人間としてバランスのよい身体感受
性を育てるためには、いろいろな方法があり
ます。子どもの遊びはその一つです。たとえ
ば「ハンカチ落とし」という遊びがあります
。内側を向いて円陣を組み、「鬼」がその後
ろを周回し、誰かの後ろにハンカチを落とし
ます。【2】それに気がつかずに一周して肩
を叩かれたらその人が次の「鬼」というゲー
ムです。
 この遊びはどんな知覚を開発するためのゲ
ームなのでしょうか。
 ハンカチは背後で落とされますから、もち
ろん目には見えない し、音もしません。【
3】ハンカチが空中を落下するときの空気の
振動は「鬼」の騒がしい足音に比べればほと
んど知覚不能でしょ う。それでも勘のよい
子は、ハンカチが地面に落ちる前に、自分の
後ろに「鬼」がハンカチを落としたことを察
知します。いったいこの子は何を感知したの
でしょう。
 【4】それは「鬼」の心に浮かんだ「邪念
」です。
 「この子の後ろにハンカチを落としてやろ
う」という、「鬼」の心に一瞬きざした「悪
意」を感知するのです。
 別にオカルト的な話をしているのではあり
ません。【5】人間は誰でも緊張すると心拍
数が上がり、発汗し、呼吸が浅くなり、体臭
が変化します。恐怖や不安だけでなく、羨望
や敵意も、そのような微弱な身体信号を発信
します(ウソ発見器はその原理を応用したも
のです)。
 【6】勘のよい子どもは、自分の後ろでハ
ンカチを落とした瞬間の「鬼」の緊張がもた
らすこの微弱な身体信号を敏感に感知するこ
とができます。
 ぼくはそれを「邪念を感知した」というふ
うに言っただけです。
 【7】しかし、これはたいへんにすぐれた
身体能力開発ゲームだとぼくは思います。と
いうのも、原始の時代においては、ぼくたち
の祖先は暗い森の中で、肉食獣や敵対的な異
族と隣り合わせて暮らしていたはずだからで
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す。【8】そのときに、自分を攻撃してくる
ものが発するわずかな身体信号を感知できる
個体とできない個体では、ど∵ちらが生存確
率が高かったか、考えるまでもありません。
【9】ですから、生き延びるためのスキルと
して、その当時から、ぼくたちの祖先は、感
覚を統御し、錬磨するためのエクササイズを
「遊び」というかたちで子どもたちに繰り返
させていたのではないでしょうか。
 【0】「かくれんぼ」というのは、おそら
く起源的には狩猟のための感覚訓練であった
とぼくは思います。見えないところに、見つ
からないように隠れているものが発信する微
弱な恐怖と期待の身体信号、それを感知する
ための訓練だったのではないでしょうか。
 「鬼ごっこ」にせよ「缶けり」にせよ、そ
の種の遊びで子どもに要求されるのは、単に
足が速いとか、高いところに上れるというよ
うな単純な身体運用能力ではなく、それより
むしろ「気配を察知する」総合的な身体感受
性であっただろうと思います。

 (内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』