長文集  6月2週  ○白い茶わんにはいっている湯は(感)  sa2-06-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2011/01/06 15:46:49
 【1】白い茶わんにはいっている湯は、日
陰で見ては別に変わった模様も何もありませ
んが、それを日向へ持ち出して直接に日光を
当て、茶わんの底をよく見てごらんなさい。
【2】そこには妙なゆらゆらした光った線や
薄暗い線が不規則な模様のようになって、そ
れがゆるやかに動いているのに気がつくでし
ょう。これは夜電燈の光をあてて見ると、も
っとよくあざやかに見えます。【3】夕食の
お膳の上でもやれますからよく見てごらんな
さい。それもお湯がなるべく熱いほど模様が
はっきりします。
 次に、茶わんのお湯がだんだんに冷えるの
は、湯の表面の茶わんの周囲から熱が逃げる
ためだと思っていいのです。【4】もし表面
にちゃんとふたでもしておけば、冷やされる
のはおもにまわりの茶わんにふれた部分だけ
になります。そうなると、茶わんに接したと
ころでは湯は冷えて重くなり、下のほうへ流
れて底のほうへ向かって動きます。【5】そ
の反対に、茶わんのまん中のほうでは逆に上
のほうへのぼって、表面からは外側に向かっ
て流れる、だいたいそういうふうな循環が起
こります。よく理科の書物なぞにある、ビー
カーの底をアルコール・ランプで熱したとき
の水の流れと同じようなものになるわけです
。【6】これは湯の中に浮かんでいる、小さ
な糸くずなどの動くのを見ていても、いくら
かわかるはずです。
 しかし茶わんの湯をふたもしないで置いた
場合には、湯は表面からも冷えます。【7】
そしてその冷え方がどこも同じではないの 
で、ところどころ特別に冷たいむらができま
す。そういう部分からは、冷えた水が下へ降
りる、そのまわりの割合に熱い表面の水がそ
のあとへ向かって流れる、それが降りた水の
あとへ届く時分には冷えてそこからおりる。
【8】こんなふうにして湯の表面には水の降
りているところとのぼっているところとが方
々にできます。従って湯の中までも、熱いと
ころと割合にぬるいところとがいろいろに∵
入り乱れてできて来ます。【9】これに日光
を当てると熱いところと冷たいところとの境
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で光が曲がるために、その光が一様になら 
ず、むらになって茶わんの底を照らします。
そのためにさきに言ったような模様が見える
のです。
 【0】日の当たった壁や屋根をすかして見
ると、ちらちらしたものが見えることがあり
ます。あの「かげろう」というものも、この
茶わんの底の模様と同じようなものです。「
かげろう」が立つの は、壁や屋根が熱せら
れると、それに接した空気が熱くなって膨脹
してのぼる、そのときにできる気流のむらが
光を折り曲げるためなのです。

(寺田寅彦 大正十一年五月、赤い鳥)