長文 2.3週
1.【1】「ゆるりばたではしるでねえ!。」
2. ねどこの中で、おこっている母の声です。そのひょうしに、兄がちょっとひるみました。そこでわたしは、いっきにおいつめようとしたとき、おもわず、お茶ぼんを、けっとばしたのです。
3.「あっ!」
4. 【2】わたしは、からだじゅうから、ちのけがひいていくほど、びっくりしました。やっと、つやのでてきた、ばんこやきのきゅうすを、父が、どんなにだいじにしているか、よくしっていたからです。
5. はいの中にころげおちたきゅうすを、そっとひろいあげました。【3】こわごわと、さし口や、ふたにさわってみました。兄も、しんぱいそうにのぞきこみました。
6. こわれては、いませんでした。ひびもはいっていないようです。あわてて、ながしへもっていって、はいをあらいおとし、もとのところへおいて、ふきんをかぶせました。
7. 【4】兄も、だまって、もちをやきはじめました。
8. そこへ、父のほうが、さきにおきてきたのです。だまって、たばこを一ぷくすうと、いつものように、いればをもって、顔をあらいにいこうとしました。
9. お茶ぼんのふきんを、めくりました。はがありません。
10. 【5】わたしは、どきっとしました。きゅうすのことばかりがしんぱいで、それまで、いればのことは、わすれていたのです。それでも、だまって下をむいていました。
11.「おーい。ゆうべは、はをどっかへしまったか?」
12. 【6】父は、まだおきてこない、母のほうへいいました。はのない父のことばは、声がもぐって、よくききとれません。
13.「ちっとゆっくりしてえのに、みんなでうるせえだから。」
14. 母はぶつぶついいながら、おきてきました。
15.【7】「おぼんの上には、ねえだかい。」
16. そういいながらも、母は、戸だなの戸を、しめたり、あけたりして、さがしはじめました。
17.(あってくれますように――。)わたしは、からだをかたくして、いのるおもいでした。兄もだまっています。
18.【8】「おまえたちは、さっき、おぼんをけとばしたんじゃあ、あるまいなあ。」
19. くるりとこちらをむいた、母は、おそろしいまでに、こわい顔になっていました。
20. いろりばたにひざをつくと、長い火ばしで、はいの中を、かきまわしはじめたのです。【9】父もさがしましたが、ありません。
21. しまいに、もえているマキをくずし、火の中までもさがしまし∵た。すると、小さくしぼんで、もとのかたちなどなくなっている、いればらしいものが二つ、まっかなおきの中からでてきたのです。
22. 【0】わたしも兄も、もういろりばたからは、とおくさがった、いたのまに、ひざをそろえて、すわっていました。
23.「ゆるりばたでさわいじゃあ、なんねえって、あれほどゆってることが、わからねえだか。いればをつくるには、たんと、金がかかるだよ、金をだしたって、いまいって、すぐ買えるものじゃあなかんべあ。はがなかったら、けさっから、なにもかめねえだよ。おまえたちも、なにもくわずにいるといい。」
24. 母は、こまったのはとおりこして、もうやけっぱちのように、おこりちらしました。
25. そのころ、わたしの村には、まだ、はいしゃさんはありませんでした。町までは、とまりがけでなければ、いかれなかったじだいです。
26. はのない父は、おこりたいことばさえ、うまくはしゃべれなかったのでしょう。こわい顔で、たばこだけをすっていました。

27. じぶんでも、もういればのせわになる年になりました。あの朝の父のかなしさや、母のはらだたしさがとてもよくわかって、すまなく、それでも、なつかしくおもうのです。

28.『いたずらわんぱくものがたり』「父のいれば」(宮川みやがわひろ)より

29.おき(すみがほのおを上げないでもえているじょうたい)