1.【1】「あつっ。」
2. ぼくは、思わず指を
引っ込めました。しかし、後ろを向いている母には
気付かれませんでした。今夜は、ぼくの大
好物の鳥の
唐揚げです。あつあつの鳥が
並ぶお皿から
食欲をそそる
香りが
漂ってきます。
3. 【2】ぼくは、思わず手を
伸ばしてしまったのですが、
揚げたてだったせいで、
人差し指にやけどをしてしまいました。ぼくは何食わぬ顔で、そっと
洗面所へ行き、指を流水で
冷やしました。母は何も知らずに、
揚げ物を
続けています。
4. 【3】その
唐揚げは、ぼくが下味をつけるのを
手伝ったのです。ショウガやニンニクをすりおろしたり、酒やしょうゆを入れたり、
片栗粉をまぶしてなじませたりするのがぼくの仕事でした。だから、どんな味に仕上がったか
確かめたかったのです。
5. 【4】ぼくは、指が
冷たくなるまで
冷やすと、
再びキッチンに向かいました。さっきの
唐揚げは食べごろに
冷めているはずです。のれんをあげて、テーブルに目をやると、
6.「あ、あれ? ないっ。」
7.
唐揚げのお皿はなくなっていました。
8.【5】「鳥を取り上げないでえ。」
9.とぼくは、言いそうになりましたが、がまんして、
冷静にまわりを
見渡しました。なんと、お皿は母の横のレンジ台に
移動していました。ぼくは、まだ食べていないのにと心の中で
叫びました。
10. 【6】母はニヤッとして、
菜ばしではさんだ鳥を
振って油を切りながら、
11.「
残念でした。」
12.と言いました。さらに、
13.「水ぶくれにならなかった?」
14.と聞きました。ぼくは、さっきのつまみぐい
未遂を母は知っていたのだなあとあせりました。∵
15. 【7】父もつまみぐいの
常習犯です。会社から帰って、まずキッチンに直行し、テーブルの上をチェックします。そして、
置いてあるものをひょいと口に入れてしまいます。すると、母が
必ず、
16.「きちんと手を
洗ってから! うがいもしてから!」
17.と言うのです。
18. 【8】父は、はいはいと言いながら
洗面所に消えます。そんなときの父は、まるで
叱られた
子供のようです。父は何度も注意されているのに、
堂々とつまみぐいをするところがぼくと
違います。
19. 【9】ぼくは、
昨日うまい
言い訳を
考え付きました。つまみぐいを
叱られたら、ママの
料理があんまりおいしそうだからだよ、と言うのです。これなら見つかっても
叱られません。しかし、「そんな
言い訳していいわけ」と言われるかな。【0】
20.(言葉の森
長文作成委員会 φ)