1. 【1】エジソンの工場は、まるで、電気
機械の
発明工場でした。よいことをかんがえつくと、エジソンを中心に、工場の
全員がそれに力をいれます。
2.「エジソンの工場のとけいには、
針がなかった。」ということばがあります。【2】つまり、その工場では、みんな、時間をわすれてはたらいたのです。
3. エジソン
自身が、時間などからはなれてしごとにうちこむ人でした。六十時間ぶっつづけでしごとにとりくんだことさえあります。【3】みんな、エジソンをそんけいしていましたから、だれ一人もんくをいうものはなかったのです。
4. エジソン工場の一室に、そこをかりて
実験室にしている
発明家がいました。【4】かれは
助手を一人つかっていましたが、この
助手のはたらきぶりは、じつにたいへんなものでした。
5. エジソンは、ある日、この
助手を、そっとよびました。
6.「きみ、いまいくらではたらいていますか。」
7.「週二十一ドル五十セントです。」
8.【5】「どうだろう。六十ドルだすが、わたしのところの工場かんとくにきてもらえないだろうか。」
9. 男はためらいました。
10.「さあ、……わたしにつとまるかどうか……。」
11. しかし、エジソンは、むりやりにしょうちさせて、二つの工場をかんとくさせました。
12.【6】「わたしは、これほどの
実行力のある人を見たことがない。」
13.と、エジソンはかたっていますが、かれは三か月のうちに、工場の
生産を二ばいにあげてしまいました。べつに、あたらしい
機械や人手をふやしたわけではありません。【7】ただ、
機械をはやくつかうことを
実行したのです。
14. まだ二十五さいのエジソンでしたが、もう、これだけ、人を見ぬく力をもっていたのです。そうして、かれとその
工員たちは、つぎつぎに
発明し、それを、つぎつぎに
製品にして、町におくりだしたのです。
15. 【8】アメリカの
特許局では、エジソンのことを、「
特許局への道があつくなるほどやってくる青年」とよびました。はじめて
特許を∵
申請した一八六八年から、一九一〇年の夏までに、エジソンの名でだされた
特許ねがいが千三百二十八。【9】へいきんすると一年間に三十二、つまり、十一日ごとに一つの
発明が生まれていたことになります。
16. いちばんはげしかったのは、一八八二年でした。その一年間に、
特許ねがいが百四十一、
許可されたのが七十五。計算すると、三日に一つの新
発明が生まれたことになります。【0】
17.(「エジソン」
崎川範行著 講談社 火の鳥
伝記文庫より)