長文 10.1週
1. 【1】日本と同じ車の
左側通行をしている国は、イギリスをはじめ、
世界の
約三分の一あります。
残りの三分の二の国は、ヨーロッパやアメリカのように
右側通行をしています。
2. 【2】
第二
次世界大戦の
末期、
沖縄を
占領したアメリカは、
沖縄での車の通行を、それまでの
左側通行から
右側通行に
変えました。その後、
沖縄は日本に
返還されましたが、
返還されたあとも、
沖縄ではアメリカ
式の
右側通行が
続いていました。
3. 【3】しかし、
返還から六年後の七月三〇日、
右側通行を
左側通行に
戻すための大
変革が行われました。
4.
切り替えは、前の日の夜から、すべての車をストップさせて行われました。【4】すべての車がストップしていたのはわずか八時間の間でしたが、この間に、すべての
道路標識や
表示が
切り替えられました。交通
整理などのために、本土からも多くの
警察官が
手伝いにかけつけました。
5. 【5】しかしここで、一つの
問題がありました。
普通の車は、ハンドルが右でも左でも、
道路のどちらの
側でも走ることができますが、
困るのは
乗り合いバスです。【6】なぜかというと、バスは、歩道の
側に
乗客が
乗り降りするドアがついているので、新しい通行
規則に
従うと、このドアを
車両の
反対側につけなければならなくなるのです。
6. 【7】そこで、
沖縄県内にあったほぼ一〇〇〇台ものバスが、ほとんど新しくされることになりました。このために、日本国内のメーカーは
総出で、たくさんのバスを
製造したのです。【8】この時に
製造されたバスは、「730車」と
呼ばれています。この「730車」は
非常に
頑丈に作られていたため、数は少なくなりましたが、今でも走っているものがあるそうです。∵
7. 【9】こうして多くの人々の
努力のかいあって、
沖縄ではたった
一晩で
右側通行から
左側通行への
変更が
無事に行われたのでした。【0】
8.
言葉の森長文
作成委員会 τ
長文 10.2週
1. 【1】エジソンが七さいになったとき、一家は、ミランからヒューロン
湖のそばのポートヒューロンにうつりました。おとうさんのやっていた
食料品や
製材の
事業が大きくなるにつれて、あたらしく
鉄道の
駅ができたポートヒューロンのほうが、べんりだったのです。
2. 【2】エジソンは、この活気にあふれた町の小学校に入学しました。ところが、たちまちのうちに、教室のやっかい
者になってしまったのです。きまぐれで、ごうじょうで、すきなことにはむちゅうになるくせに、きらいなことには見むきもしないのです。
3. 【3】そのうえ、れいの
好奇心から、時と
場所もかまわずだしぬけに、ちょいちょい、先生がかんがえてもいないような
質問をしたりします。
4. ことに、数学の時間はたいへんです。先生が、
5.「二たす二は四。」
6.とおしえます。【4】すると、エジソンが、きゅうに立ちあがって、
7.「先生、どうして二と二をたすと四になるのですか?」
8.「かぞえてごらん。四になるじゃないか。」
9.「でも、なぜ四にならなければいけないのですか?」
10.「わからない子だな。二たす二は、四なんだ。よくおぼえておおき!」
11. 【5】そんなわけで、エジソンは先生からすっかりきらわれてしまいました。そして、先生はとうとう、きみは
低能児であると、きめてしまいました。
12. こんなことがかさなって、ある日、エジソンは、おかあさんにいいました。
13.【6】「……ぼく……もう学校へいかないよ。」
14.「まあ、きゅうに、どうしたの?」
15.「先生がね、ぼくのことを、ばかだっていうんだもの。そうして……。」
16.「そうして?」
17.「なにをきいても、よけいなことをきくんじゃないって、しかるんだもの。」
18. 【7】おかあさんは、じっとかんがえこんでいました。じぶんも、むかし、学校の先生をしたことがあり、そういう
教育法がとくべつの
才能をもった子どもをみちびくのに、てきとうでないことをよく知っていました。∵
19.【8】「そう……。それではこれからは、おかあさんが先生になってあげましょう。そのかわり、いっしょうけんめい
勉強するんですよ。」
20.「うん、ぼく、いっしょうけんめいやるよ。ぼく、ばかじゃないもの、ね。」
21. こうして、学校をやめたエジソンは、
家庭でとくべつの
教育をうけました。【9】それはじつにおもいきった
教育で、まだ八つか九つだというのに、母親のナンシーが先生になって、ギボンの「
ローマ帝国衰亡史」、ヒュームの「
英国史」、シアースの「
世界史」、バートンの「ゆううつの
解剖」、「科学の
辞典」といった、むずかしい本を読んだのです。
22. 【0】十二さいになると、ニュートンの「プリンキピア」という本の
勉強をはじめました。その中にでてくる数学は、先生のおかあさんでさえ、てこずるものでしたから、数学がにがてのエジソンには、どうにもくるしいたたかいでした。
23.(「エジソン」
崎川範行著 講談社 火の鳥
伝記文庫より)
長文 10.3週
1. 【1】
決心したとおり、エジソンは、グランド=トランク
鉄道の新聞うりになりました。それは、新聞のほかに、
雑誌・くだもの・キャンデーなどを、
列車内でうるのです。そのきょりは、ポートヒューロン――デトロイト間百キロメートル、三時間です。【2】そこで、毎朝七時にポートヒューロンを
発車して、十時にデトロイトにつきます。
2. デトロイトにつくと、この汽車は夕がたまでやすみ、そして、夜の九時半ごろ、ポートヒューロンにかえります。それは、エジソンにとって、ながいひまな時間でした。
3. 【3】この
列車は、三
両編成で、
手荷物車と
喫煙車と
婦人用
普通客車からなっていました。
手荷物車は、
荷物室・
郵便室・
喫煙室の三つにくぎってあり、この
喫煙室はつかわれていませんでした。エジソンは、このへやをあてがわれたのです。【4】かれは、そこへ、
客にうる
品物をもちこみました。
4. こんな
列車ですから、朝のりこんで、
お客に新聞やたべものをひととおりうると、もうひまです。十時から夕がたまでは、デトロイトの
図書館で
勉強します。【5】けれども、
列車内の
往復六時間をぼんやりすごすなんて、そんなことは、エジソンにはできません。
5. そこでかんがえついたのが、車内
実験です。じぶんにあてがわれた車室を、
化学実験室にしようというわけです。
6. 【6】しかし、こんなことは、しゃしょうにそうだんしたらおしまいです。そっとやらなければだめです。かんがえついたあくる日、じぶんの家の地下室から、
薬品や
実験用具をこっそりもちこみました。
7. 【7】じょうぶなからだをおじいさんから、
事業の
才能をおとうさんから、そして、
勉強への
熱情をおかあさんからうけついだのか、少年エジソンはつかれしらずに、しごとと
勉強をつづけるのでした。
8. 【8】朝はやくから
列車うり子、
化学実験、
図書館がよいをするだけでなく、ポートヒューロンに、
助手のオーツをつかって、やさいとくだものの店をひらきました。デトロイトの市場でやすい
品物を見∵つけると、すかさず
仕入れてきて、ポートヒューロンの店でうるのです。【9】そうして、十二さいの少年が、一日八ドルから十ドルの
収入をあげるのです。
9. そのうちの一ドルを毎日おかあさんへ、そしてのこりは、本・
薬品・
実験器具の
費用にしました。
実験室は、みるみる
道具がそろってきました。
10. 【0】いったい、いまエジソンがうちこんでいる
化学実験と、かれの
商売と、どんなつながりがあるのでしょう。
11. なんのつながりもないように見えますが、じつは、エジソンという
人物にとっては、きりはなすことのできないかんけいがあるのです。それは、その後のかれの
発明をかんがえればすぐわかるでしょう。
12.
電灯・電車・
蓄音機・
映画・ラジオ……そのほか、どれをとってみても、
世の人々にちょくせつやくにたつものばかりです。みんな社会と、ちょくせつむすびついています。そういうものが
発明できたのは、エジソンがすぐれた
事業家の
性質をもち、また、
商売というものをよく知っていたからです。
13.(「エジソン」
崎川範行著 講談社 火の鳥
伝記文庫より)
長文 10.4週
1. 【1】イチゴが、赤色、水色、ピンク色のそれぞれのお
皿に
盛られているとすると、ピンクのお
皿のイチゴを
選ぶ人がいちばん多いそうです。ピンクは
甘いと
感じさせる色だからです。水色は
塩味を、赤色は
辛味を
連想させるといいます。見た目も、
味の大切な
要素なのです。
2. 【2】
味は、
緊張とも
関係があります。
緊張すると
味を
感じにくくなります。
緊張を
感じる場所と
味を
感じる場所は、
脳の中の同じところにあるからです。【3】
緊張した
状態で
食事をすると、
緊張の方が
優先されてしまいます。だから、
緊張がなくなるにつれ、
味がはっきり
自覚され、リラックスした
状態で食べるものはおいしく
味わえるのです。
3. 【4】
味覚は五
種類に
分類されています。
甘味、
塩味、
酸味、
苦味、
旨味です。中でも
甘味は、太古の
昔から、エネルギーのもとであったため、何より
好まれる
味となっています。【5】また、
苦味は五つの
基本味の中で、もっとも
薄い濃度で
感じることができます。というのも
昔から「
苦いものには
毒がある」という
認識が体にしみこんでいて、少しでも
苦味があると
敏感に
感じて、体が
警戒するからです。【6】
苦味のあるものと言えば、コーヒーやビール、カカオなどが思い
浮かびます。これらはいわゆる「大人の
味」で、
経験を
積むことで
好きになっていくもののようです。
4. 【7】また、
渋味は五つの
基本味には入っていませんが、
最近健康の
面で
注目されています。
渋味というのは口の中がひきつった
感じや
舌に
膜がはった
感じのするものです。【8】
渋味は
緑茶のカテキン、ワインのタンニンなどの
味で、これらは生活
習慣病の
予防に
役立つとされています。
5. 【9】ところで、
動物の中で
最も味を
感じることのできるのはナマズだと言われています。というのも、ナマズは、口の中だけでなく、∵
皮膚、エラ、
尾など、
全身で
味を
感じられるからです。ナマズの
食事は、人で言えば、さだめしナマでズずっと
味わうようなものかもしれません。【0】
6.
言葉の森長文
作成委員会 α
長文 11.1週
1. 【1】朝六時におきて、
列車にのりこみ、夜は十時にかえってきます。そのあいだじゅうが、うり子のしごとと、
図書館での
勉強と、
化学の
実験です。
2. このようにしてすごす一日一日は、つらいことのようですが、エジソンにとっては、かけがえのないたのしみだったのです。
3. 【2】こういうと、エジソンには、少年らしいたのしみというものが、まるでなかったようですが、たった一つ、エジソンをむちゅうにさせたあそびがありました。
4.
電信あそびです。
5. 【3】そのころ、つまり、一八六〇
年代のアメリカでは、
電信がようやく
実用化されてきていました。このあたらしい
器具が、少年たちをとりこにしたのは、あたりまえのことで、それをまねた
電信あそびは、大
流行でした。
6. 【4】もちろん、エジソンもその一人でした。
7. かれは、ありあわせのものだけをつかって、
電信機をつくりました。電線の
針金にぬのぎれをまき、それを
鉄のしんにまきつけて
電磁石とし、キーには、しんちゅうのばねをりようしました。【5】あきびんを、
絶縁用の
碍子にして立ち木にくぎでとめました。電池は地下
化学実験室でおぼえた
方法でつくりました。
8. これらができあがったところで、エジソンはちかくの友だちの一人とのあいだに電線をひきました。
9. 【6】
交信は、うまくいきました。
信号で、おもうことをつたえる、おもしろいあそびです。だが、エジソンは、夜の十時でなければ、家へかえれません。
10. 【7】ところが、おとうさんのサムエルは、エジソンの
健康をしんぱいして、十一時半よりおそくまでおきていることをゆるしません。なんとか、これをゆるめる
作戦がひつようです。
11. 【8】ところで、サムエルは、
毎晩、エジソンがもってかえる新聞をたのしみにしていました。ある
晩、エジソンは、その新聞をもたずにかえってきました。
12.「わすれた? そいつはがっかりだな。」∵
13.【9】「そうだ、友だちのところに新聞があるから、ニュースをきいてあげようか。」
14.「こんな時間にかい?」
15.「まあ、見ててごらん。」
16. エジソンが
電信機にスイッチをいれて、キーをたたくと、それにこたえて、友だちが
信号をおくってきます。【0】エジソンは、その電文を
文章になおして、まちかまえているおとうさんにわたしました。
17.「なるほど、すばらしいことをやるもんだなあ。」
18. 夜おそくまで、ただ、いたずらあそびをしている、としかおもわなかったサムエルは、ほとほとかんしんしてしまいました。もう、「はやくねなさい。」といえなくなりました。
19. おかげでエジソンは、夜おそくまで
電信をたのしむことができるようになったのですが、やがて、このあそびから、かれのあたらしい道がひらけることになるのです。
20.
電信手というしごとです。
21.(「エジソン」
崎川範行著 講談社 火の鳥
伝記文庫より)
長文 11.2週
1. 【1】エジソンの工場は、まるで、電気
機械の
発明工場でした。よいことをかんがえつくと、エジソンを中心に、工場の
全員がそれに力をいれます。
2.「エジソンの工場のとけいには、
針がなかった。」ということばがあります。【2】つまり、その工場では、みんな、時間をわすれてはたらいたのです。
3. エジソン
自身が、時間などからはなれてしごとにうちこむ人でした。六十時間ぶっつづけでしごとにとりくんだことさえあります。【3】みんな、エジソンをそんけいしていましたから、だれ一人もんくをいうものはなかったのです。
4. エジソン工場の一室に、そこをかりて
実験室にしている
発明家がいました。【4】かれは
助手を一人つかっていましたが、この
助手のはたらきぶりは、じつにたいへんなものでした。
5. エジソンは、ある日、この
助手を、そっとよびました。
6.「きみ、いまいくらではたらいていますか。」
7.「週二十一ドル五十セントです。」
8.【5】「どうだろう。六十ドルだすが、わたしのところの工場かんとくにきてもらえないだろうか。」
9. 男はためらいました。
10.「さあ、……わたしにつとまるかどうか……。」
11. しかし、エジソンは、むりやりにしょうちさせて、二つの工場をかんとくさせました。
12.【6】「わたしは、これほどの
実行力のある人を見たことがない。」
13.と、エジソンはかたっていますが、かれは三か月のうちに、工場の
生産を二ばいにあげてしまいました。べつに、あたらしい
機械や人手をふやしたわけではありません。【7】ただ、
機械をはやくつかうことを
実行したのです。
14. まだ二十五さいのエジソンでしたが、もう、これだけ、人を見ぬく力をもっていたのです。そうして、かれとその
工員たちは、つぎつぎに
発明し、それを、つぎつぎに
製品にして、町におくりだしたのです。
15. 【8】アメリカの
特許局では、エジソンのことを、「
特許局への道があつくなるほどやってくる青年」とよびました。はじめて
特許を∵
申請した一八六八年から、一九一〇年の夏までに、エジソンの名でだされた
特許ねがいが千三百二十八。【9】へいきんすると一年間に三十二、つまり、十一日ごとに一つの
発明が生まれていたことになります。
16. いちばんはげしかったのは、一八八二年でした。その一年間に、
特許ねがいが百四十一、
許可されたのが七十五。計算すると、三日に一つの新
発明が生まれたことになります。【0】
17.(「エジソン」
崎川範行著 講談社 火の鳥
伝記文庫より)
長文 11.3週
1. 【1】その日も、
実験につかれて頭をかかえこんでいましたが、ふと、ゆかの上を見たエジソンは、おもわず、あっと声をあげました。
2.「そうか、そうか……どうして、こんなことに気がつかなかったのだろう!」
3. それは、もめんの糸くずでした。
4. 【2】エジソンは、もめんのぬい糸を手ごろのながさにきり、タールとすすをまぶしてニッケルにのせ、そうっと
炉にいれてやきました。
5. むねをおどらせながら、とりだしてみると、ああ、なんというよろこび! 【3】おもったようにほそい
炭素線が、みごとにできていたのです。
6. エジソンは、もうむちゅうでした。それから二日がかりで、この
炭素線を、
輪にしたり、ばてい形にしたりして、ガラス
球の中にふうじこみました。【4】そして、ゆっくりゆっくり空気をぬき、百万分の一
気圧の
真空にしました。
7.「できたぞ! できたぞ!」
8. おもわずさけぶエジソンを、
所員たちがとりかこみました。【5】みんなが、じっといきをつめて見つめる中で、エジソンはその
電球を
注意ぶかく電線につなぎ、ふるえる手でスイッチをいれました。
9.「わあっ!」
10. それは、文明のあけぼのをつげる
歓声でした。
11.【6】「おめでとう!」
12.「おめでとう!」
13. みんなは、かわるがわるエジソンの手をにぎりしめました。エジソンは、ひとことも声がだせず、ただじっと、
世界さいしょの
電灯を見つめていました。
14. 【7】一八七九年の十月二十一日のことでした。十月二十一日――それはいまでも、「エジソン
記念日」とされています。
15. この
電灯は、四十五時間かがやきつづけてきえました。そのあいだ、だれもが、まる二日間、ねようともしなかったのです。【8】エジソンは、くずれるようにたおれ、そのまま二十四時間ねむりつづけました。∵
16.「メンロパークの
魔術師が、とうとう
電灯を
発明したそうだよ。」
17.
世間は、もう大さわぎです。新聞は、毎日のように大きくかきたてました。
18. 【9】そして、この年の大みそか。
研究所の
庭の木という木には、何百こという
電球がつけられました。
所員が
総がかりでととのえた
展覧会です。
19. ニューヨークからは、
臨時特別列車が人々をはこびました。【0】そうしてあつまった何千という人たちの頭の上で、
世紀の光が、まばゆいばかりにかがやいたのです。
20. やがて、新年をつげる教会のかねがなりはじめました。そのときだれからともなく、
21.「エジソン、ばんざい!」
22.という声があがりました。
観衆のどよめきは、いつまでもいつまでも、こだましました。
23.(「エジソン」
崎川範行著 講談社 火の鳥
伝記文庫より)
長文 11.4週
1. 【1】
学問の
神様として知られている
天神様は、
平安時代に生きた文人、
菅原道真のことです。
2.
道真は、すぐれた
学者、文学
者、そして
政治家でもありました。【2】
幼いころから
優秀で、五
歳で
和歌を
詠んだとされています。
難しい試験にも
若くして合格し、当時の
天皇にたいそう気に入られて、
家柄からすると
異例の
出世をしました。ところが、この
出世が
周囲のねたみを買い、
告げ口によって
北九州に
追いやられてしまいました。
3. 【3】
道真が
都を
去るときに
詠んだ歌は、よく知られています。
4.
東風吹かば にほひおこせよ
梅の花 あるじなしとて 春な
忘れそ
5.【4】「なじみの
梅の花よ、春を
告げる風が
吹いたなら、いつものように
咲いてそのかぐわしい
香りを遠くに
流された
私にまで
送っておくれ。
私がいないからといって春を
忘れてはいけないよ」という
意味です。
6. 【5】
道真は
失意の中、二年後に
亡くなりました。その
死後、
都ではさまざまな
異変が
起こりました。
道真を
陥れた
政治家たちが
次々と
亡くなり、
疫病がはやり、
雷が
宮中に
落ちました。【6】人々は
道真の
怨霊のしわざだと
恐れるようになりました。そして、その
怒りを
鎮めるために北野
天満宮が作られたのです。こうして
道真は
神様として
祀られるようになりました。
7. 【7】その後、
道真は、
学問の
神様、
天神様として
信仰を
集めるようになっていきます。
庶民の間で
学問の
神様としての
信仰が広まったのは、
江戸時代の
寺子屋がさかんになったころでした。【8】
寺子屋には
必ず天神様の
像が
掲げられていました。毎月の
天神様の
縁日には、
寺子屋の
生徒たちが
近所の
神社に
お参りすることになっており、正月の
初天神の時の
行事は、父兄
参観の
文化祭といったような∵大きなイベントでした。【9】このころから、今の
合格祈願の
神様としての
性格が
定まってきたようです。
8. 早い春のころ、北野
天満宮にはたくさんの
梅の花が
香り高く
咲きます。【0】ちょうどその
時期は
受験シーズンで、多くの人々が
訪れます。「
学問に王道なし、
日頃からまじめに
勉強に
取り組むほか、道ざ、ねぇ」と、
天神様は
私たちを
見守ってくれているかもしれません。
9.
言葉の森長文
作成委員会 α
長文 12.1週
1. 【1】
人類の
歴史の中でも、くらべる人がないほど、たくさんの
発明をなしとげたエジソンですが、そのしごとを
成功させたのは、いうまでもなく、エジソンをたすけたメンロパークの
研究所の人々です。
2. 【2】いいかえれば、エジソンは、これだけのすぐれた人を見つける
才能と、それをあつめ、そだてる力と、そして、それをまとめていく
徳とをそなえていたのです。【3】それなしには、いくら天才
的な
頭脳や、おどろくべきにんたい、つかれを知らない体力をもっていたエジソンでも、あれだけのしごとをなしとげることはできなかったにちがいありません。
3. 【4】
研究所の中には、七つのたてものがあって、
木造の大きな二
階だての
研究所を中心に、
所員たちとその
家族の家や、
娯楽室・
倉庫などが、ずらっとならんでいました。
4. 【5】中心の
研究所の中には、
実験室のほかに
事務室があって、エジソンの
電信手
時代からの友だちのグリフィンがしごとをしています。
5. グリフィンは、エジソンの
秘書役で、この人のいそがしさは、じつにたいへんなものでした。【6】
特許の
事務、山のような
通信文、会計
事務――それらをぜんぶひきうけて、
旧友エジソンのために、ほねみをおしまず、はたらきつづけたのです。
6. 【7】二
階は、
実験室です。おもな
機械や
実験器具はぜんぶここにあって、エジソンとその
助手たちが、朝はやくから夜おそくまで、ねっしんにしごとをしていました。
白熱電球が生まれたのも、この
実験室です。
7. 【8】一
階は、
試験室で、れんがづみの台があって、その上せいみつな
測定をする
電流計やてんびんなどがのせられています。
8. 一すみは、
化学実験室にしきられ、ハイドがその
係です。
9. 【9】
研究所のとなりのたてものが
機械工場で、ボイラー室とエンジン室があってエジソンの
設計するあらゆる
機械がつくられるので∵す。ドイツ生まれのクルージが
主任です。エジソンのさいしょの
蓄音機を、みごとにつくりあげた人です。【0】スイスでせいみつな
技術教育をうけたクルージは、エジソンにとって、かけがえのないだいじな人でした。
10. かけがえのない人といえば、数学
者のアプトンもそうです。プリンストン大学をでて、ドイツでゆうめいな
物理学者ヘルムホルツについて
勉強した人ですが、数学がにがてだったエジソンですから、この人にどれだけたすけられたかわかりません。
11. こうした
専門家たちが、それぞれに
助手をひきいてしごとをすすめたのです。
12.(「エジソン」
崎川範行著 講談社 火の鳥
伝記文庫より)
長文 12.2週
1. 【1】そこでエジソンは、とうとうかるい
蓄電池の
研究にとりかかることになりました。
2. さて、
研究に手をつけてみると、いままでだれも手をださなかったわけです。それは、おそろしくむずかしいしごとでした。【2】なまりいがいのあらゆる
金属をつかい、あらゆる
薬品をつかって、
実験をこころみてみましたが、どうしてもうまくいかないのです。
3. ある日、友人のビーチという人がやってきました。【3】この人はのちに、ゼネラル電気会社の電気
鉄道課のしごとをした人ですが、エジソンの
蓄電池の
研究のことをたずねて、
4.「おもいのほかむずかしい
問題らしいね。さすがのきみも、よわったろう。」
5.といいました。【4】すると、エジソンがこたえました。
6.「ビーチくん、わたしは、よい
蓄電池のひみつをあかしてくれないほど、
神さまはふしんせつじゃないとおもうね。」
7.「じゃあ、このひみつのかぎは、どうしたら見つかるというんだね。」
8.【5】「もうれつにかんがえたうえで、もうれつに
実験をやってみることさ。」
9. だが、エジソンの
研究も、しっぱいのれんぞくでした。月日はどんどんと、たっていきます。それでもエジソンは、気をおとしません。
10.【6】「きょうのしっぱいは、あすはとりかえせる。あすだめならあさってとりかえす……。」
11. いつも
希望をすてません。朝から
晩まで、
硫酸・
硝酸・
化成ソーダなどのつよい
薬品をいじるエジソンの手は、すっかりあれてしまいました。
12. 【7】
世界一の天才
発明家が、かんがえにかんがえぬき、たいへんな
熱心さで、しかも、だれもまねのできないほどのしんぼうづよさで
研究をつづけ、それで一年たっても二年たっても
発明できない、かるい
蓄電池。【8】そんな
研究は、はたの人々の目には、まったく
不可能なことととりくんでいるとしか見えなかったのもむりはあり∵ません。
13. エジソンといつもいっしょに
研究をつづけていた一人の
所員などは、
14.「この
研究は、エジソンがいままでやりとげたぜんぶの
研究をいっしょにしたのより、もっとたいへんだ。【9】しかもエジソンは、一つの
実験にしっぱいすると、『これで
成功に一歩ちかづいた。』というのだ。これほどの
努力には、いかなる
自然も、
根まけせずにはいられまい。
15. 【0】わたしは、エジソン
蓄電池がうまくいくかどうか知らないが、いずれにしても、もうエジソンは、
世界的発明家などというよりも、
世界の
偉人だという気がしてきた。」
16.と、しみじみいったものです。
17.(「エジソン」
崎川範行著 講談社 火の鳥
伝記文庫より)
長文 12.3週
1. 【1】エジソンの父の
時代にはアメリカ
独立戦争があり、
自身は
南北戦争のさいちゅうにそだち、
戦争のしげきをうけることもおおかったエジソンが、
兵器の
研究をしなかったということは、たいへんりっぱな
信念をもっていたことをしめすものといえるのです。
2. 【2】エジソンは、いろいろな
発明につよいきょうみをもち、また、
事業心もなかなかさかんでしたが、じぶんの
発明は、あくまで「
人類のためにある」、という
精神をすてなかったのです。【3】また、その
信念があればこそ、むずかしい
研究に、あれだけの
努力もはらえたのでしょう。
3. エジソンはほんとうに
平和を
愛する人でした。そうして
戦争をきらっていました。
4. 【4】エジソンは、いろいろなべんりな
発明で、
世界の国々がゆたかになれば、
戦争などはなくなるものだ、というかんがえをもっていました。
電灯・
蓄音機・
映画などといった
発明には、そのことがよくあらわれています。
5. 【5】一九一四年の七月に、ヨーロッパで
第一
次世界大戦がはじまりました。
6. そのころ、科学や
工業の
研究では、
世界でドイツがいちばんすすんでいました。ことに
化学製品は、ほかのどの国より、とくにすぐれていました。【6】ドイツの
染料・
医薬・ガラス、マグネシウムなどの
金属類、そういったものを、アメリカの
産業界では、ドイツからたくさん
輸入していました。
7. それが、
戦争がはじまると同時に、ぴったりはいってこなくなったのです。【7】アメリカはまだ、ドイツと
戦争はしていなかったのですが、イギリスの
海軍がドイツを
封鎖して、ドイツの
商船のうごきをとめてしまったからです。
8. アメリカの
工業界は、たいへんこまりました。【8】ことにおりもの
業やそめもの
業は、ドイツの
染料がはいらなくなっては、どう∵しようもありません。そこでなんとかして、アメリカでその
原料をつくろうと、大いそぎで
研究しはじめたのです。
9. 【9】しかし、おいそれと、すぐにはとてもまにあいません。ことに、エジソンの
蓄音機工場では、レコードの
原料につかう
石炭酸が、ぜひ
必要なのですが、ほうぼうの
薬品会社に
注文してみましても、これから
研究して
製造をはじめるのだから、すくなくとも一年ぐらいたたなければできないというへんじです。
10. 【0】そこでエジソンは、
11.「よし、それなら、われわれの手でひとつつくってみることにしよう。」
12.というわけで、すぐ、
蓄電池のニッケルをつくっていたシルバーレークの
化学工場をひろげて、その
研究にとりかかりました。
研究所の人たちは、はりきって、二十四時間三こうたいで、ぶっつづけのしごとととりくみました。その
努力のけっか、それから二十日めには、はやくも
石炭酸がとれるようになりました。
13.(「エジソン」
崎川範行著 講談社 火の鳥
伝記文庫より)
長文 12.4週
1. 【1】二十
世紀の
終わりごろ、マダガスカルで、
約七〇〇〇万年前のものと思われるカエルの
化石が
発見されました。その
化石は、南米にいるツノガエルによく
似ていて、しかも体長が五〇センチ、
体重は四・五キロもあったと思われる大きなものでした。
2. 【2】
現在生息している
世界最大のカエルは、アフリカに
棲むゴライアスガエルです。「ゴライアス」というのは、
旧約聖書に出てくる
巨人、「ゴリアテ」の
英語風の読み方です。【3】ゴライアスガエルは、
種類によっては、体長が三〇センチメートルくらい、
体重は三キログラム近くになります。
3. 【4】日本の
水族館では、ゴライアスガエルに、
餌としてハツカネズミを
与えていますが、一
飲みで食べてしまいます。このカエルは、
現地では
貴重なタンパク
源として食用になっていますが、つかまえるのは
大変そうです。
4. 【5】さて、新しく見つかった
巨大な
化石のカエルには、「
悪魔のカエル」という
意味の名前がつけられました。この「
悪魔のカエル」は、
歯や
丈夫なあごを
持っていました。【6】これによく
似たツノガエルが、大きな口で自分の体の半分ほどもあるネズミを
飲み込むこともあることから、このカエルもかなり大きめの
生き物をエサとしていたのではないかと考えられています。
5. 【7】
約七〇〇〇万年前の
地球は、白
亜紀でした。ティラノサウルスやトリケラトプスといった
恐竜たちが、
我が物顔に歩き回っていた
時代です。
小型の
恐竜の赤ちゃんなら、このカエルに食べられてしまったかもしれません。
6. 【8】このカエルが生きていた
時代、まだ
人類は
出現していませんでしたが、もしもいたとしたら、人がカエルに
襲われる、などということもあったかもしれません。【9】それとも、
知恵があって何でも食用にしてしまう人間のことですから、
逆においしく、「
悪魔のカエル」をいただいていたのでしょうか。【0】
7.
言葉の森長文
作成委員会 τ