1. 【1】一万年あまり前、人間の前に、大きな
悲劇がせまってきました。運命が、はじめて、
人類に対して、
冷たく背をむけたのです。
2.
原因は、地球の
気候の
変化です。多くの地方で、温度がどんどんあがりはじめました。【2】
氷河は、
後退していきます。
気候の
変化は、植物に大きな
影響をあたえました。植物を食べて
暮らしている動物たちも、
当然、大きな
影響をうけます。
3. その
頃、地球上には、
約百万人の人間が
暮らしていたろう、と
推定する学者がいます。【3】今日の地球上の人口からみれば、五千分の一という数です。
4. しかし、
彼らは、
有能な
狩人でした。肉食を主にする生きものとしては、すでにその数は、他の肉食
獣に
比べ、
異常なほどに多くなりつつありました。
5. 【4】
彼らの
有能さの
秘密は、石
槍や
石斧、
棍棒などを使い、
集団で行動することでした。寒い草原にすむ大形の草食
獣、マンモスやトナカイに対して、とくにその
戦法が
有効だったのです。しかし、
狩猟の
方法が
発達するにつれて、マンモスたちは人間に
圧迫されていきます。【5】そこに
気候の
変化が
加われば、大形
獣はどんどん
姿を消していくのです。人間の
狩猟法はますます
有効になっていくのに、
頼りにしていた
獲物が、いなくなってしまいました。
6. 多くの人が
飢え死にしました。それでも、
人類は
滅びませんでした。【6】マンモスのように地球上から
消滅してしまう前に、新たな生きる道を見出していったのです。
7. 人間という生きものが、その内に
秘めている多様
性、それが、人間を
救いました。
8. 自分をとりまく
状態が
変われば、それに
応じて自分も
変わることができる。【7】いわば、何でも屋の人間のしぶとさです。
9. (
中略)
10. 多様な新しい
暮らし方のなかでも、とくに大切なのは、植物を食べる、という生き方でした。のちになって、人間の生活に大きな∵
革命をひきおこす
芽が、そのなかで育っていったからです。
11. 【8】もともと、人間は、肉を食べるあいまに、食べやすい木の実、
果実をつまんでいた、と思われます。しかし、肉がなかなか手に入りにくくなり、植物に
頼って生きていくというのは、さぞかし
大変なことだったにちがいありません。
12. 【9】葉を食べて
栄養とするのは、人間の身体にとって
無理でした。木の実や、木の根っこには、しばしば
毒がありました。草の実、
種は、かたい
殻におおわれていて、そのままでは食べても消化しません。
13. 【0】
私は、アフリカの
奥地で、
固くなったトウモロコシの
粒を、二つの石を使って
粉にして食べている人々の
暮らしを見ました。そのままではダメなものを、
粉に
変えて食べる。これも
大変な
知恵です。それにしても、
挽臼を知らない人々の
労働のなんとつらいことか。一食分のトウモロコシを
粉にするのに、
女性は一日の半分近くを使っていました。
14. 当時の人々の
遺体の多くは、やせていました。マンモスがいた
頃の人々の
遺体に、
栄養の取りすぎのあとがのこっているのとは、まさに正反対です。また、草の
種にふくまれている
糖分のせいでしょう。虫歯がふえてきました。
15. きびしい生活のなかで、人間の内に
秘めた研究心が活動しはじめます。かつて、マンモスの行動を
観察し、その弱点をついて
成功した人間が、今度は、食べられる植物に、
鋭い目をむけていきます。
16.
人類が、はじめて農業という新しい生活
方法をあみ出した西アジア、いわゆるオリエントには、ムギが野生していました。アジアの
山岳地帯では、イネの
祖先が、野生していました。そのほか、中国のアワ、
アメリカ大陸のイモやトウモロコシなど、まとまって
収穫することができ、
栄養が
豊富な野生の植物に、当時の人間は注目して行ったのです。
17. (
羽仁進『
羽仁進の世界
歴史物語』)