1. 【1】「
自然ってどんな色?」と聞かれたら、何と答えるだろう? たいていの人は、緑色と答えるにちがいないし、
実際みんなそう思っている。だから「水と緑の町づくり」などという
標語がそこらじゅうに
掲げられているのである。
2. 【2】目に入る「
自然」が
一望の
砂である
砂漠の国でも、水と緑はオアシスの
象徴であり、人々はそこに安らぎを感じる。だから水と緑は、人間という動物にもともとしっかり
結びついているものであるらしい。
3. 【3】たぶんそういう理由からだろう、かつてはずいぶんこっけいなこともおこなわれていた。道路を作るので、草木の緑におおわれた
丘に切り通しを作る。新しい道の
両側は、赤茶けた土そのままの
崖で、何ともうるおいがないし、
荒れた感じがする。【4】それにいつ土が
崩れてくるかもわからないから、がっちりとコンクリートでおおってしまう。そうなると、ますます味気ない。そこで、とにかく緑にしようということで、コンクリートを緑色に
塗ったのである。
4.
確かに少し遠くからは緑にみえる。【5】けれど、
所詮はペンキで緑色に
塗っただけである。人間の
感覚はこんなことでは
欺されないはずだ。
5. 昔、モンシロチョウで
実験してみたことがある。ケージの地面にいろいろな色の大きな紙を
敷き、チョウがどの色の紙の上をよく
飛ぶかを調べたのだ。【6】やはり緑色の紙の上を、もっとも
好んで
飛ぶようであった。なるほど、チョウは緑色であれば紙でもいいのだな、とぼくは思った。
6. けれどこれは、チョウチョにはたいへん
失礼な思いちがいであった。【7】ほんものの草を植えた
植木鉢をたくさん
並べたら、チョウは緑色の紙など見向きもせず、ほんものの草の上ばかりを
飛んだのである。
7. コンクリートを緑色に
塗るのはその後まもなくやめになった。やはりほんものの草でなければ、ということは
誰にでもすぐにわかっ∵たからだろう。
8. 【8】だが、それでどうなったか? 次の
方法は、道路わきの
斜面(
法面)に
牧草のたねを
播くことであった。こうして多くの高速道路の
両側が、外
国産の
牧草でおおわれる
始末となった。
9. それは見るからにモダンな、
最新のハイウェイという
印象を
与えたことはたしかだったが、人工の
産物であることも明らかであった。【9】それはどことなくよそよそしい、
疑似自然なのだ。
10. 同じような
擬似自然は、どこにでも見ることができる。
11. かつてアフリカのモンバサに行ったときもそうだった。いかにもモンバサらしい
熱帯の
風景の中で、ぼくはついに虫を一
匹も見ることはできなかった。【0】ホテルの人にたずねたら、たえず
殺虫剤を
撒いて、
蚊を
退治していますから、ということだった。
12. これも作られた
疑似自然である。昼になれば
時折どこからかチョウチョが
飛んでくるけれども、それも
偶然のことにすぎない。南の
色濃い植物たちがぼくらを
包んでいるけれども、それはあたかも
観葉植物園の中にいるのとほとんど同じことだ。
観光客たちはこういう場所にきて、
熱帯の気分を
満喫して帰る。もちろんそれはけっこうなことだけれど、なんだか
変である。
13. 水と緑のあるゆとりの町づくり、
自然とのふれあい、
自然との
共生……ことばはさまざまにあるが、意味しているところは同じである。美しく
管理され、
不愉快な「
雑草」もなく、いやな虫もいない、
疑似自然。それをところどころにとり
込んだ町。つまりそういう町を作ろうということである。
14. そこにあるのは「美しい
自然」「調和のある、やさしくてゆとりのある平和な緑」という
幻想だけだ。日本人は昔から
自然を
愛した、などという
誤った
思い込みに
陥らぬよう、もう少し
醒めた
認識が
必要なのではないか。
15. (日高
敏隆『春の数えかた』)