長文集  6月3週  ★おまいりの道(感)  ta2-06-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 おまいりの道
 【1】日光へのおまいりの道は豪華そのも
のでした。日光の東照宮には徳川家康がまつ
られています。毎年、春の家康の命日(めい
にち)にはお祭りがおこなわれ、京都からも
天皇のお使いが、はるばるおまいりにいきま
した。【2】ふつうの人たちも、みんな、で
かけていったので、そうでなくとも日光街道
はにぎやかになりました。しかも江戸の将軍
家にとっては、ご先祖さまをまつったお宮で
す。ですから幕府は全精力をかたむけて、り
っぱな大名行列をおこないました。【3】江
戸時代、将軍の日光まいりは十九回おこなわ
れていますが、さいしょのころは、それでも
しっそなものでした。ところがだんだんぜい
たくになり、たとえば十代将軍家治(いえは
る)のときには、行列のウマの数だけでも三
十五万頭でした。【4】江戸から日光まで武
士・足軽(あしがる)・人夫など人とウマと
が、ひとつづきにつづいたといわれています

 このような大がかりな行列のためには、沿
道の人たちは、五年も六年もまえから準備を
かさねなければなりませんでした。【5】江
戸から日光まで三日かかりましたが、将軍の
宿にあてられた埼玉県の岩槻や、茨城県の古
河や、栃木県の宇都宮のお城では、そのため
にお城を修理したりしなければなりませんで
した。
 【6】利根川をわたるために、利根川には
船橋もつくられまし た。船橋とは、船をつ
なぎあわせてつくる、水にういた橋のことで
す。船を五十そうも六十そうもくさりで横に
つないで、川はばいっぱいにわたします。【
7】その上に、あつさ十センチもある大きな
板をのせて、はば十五メートルほどの道をこ
しらえました。板の上にはさらにむしろをあ
つくしいていきました。その上に土をかぶせ
ていきました。土の上にはすなをのせました

 【8】このようにして、りっぱな道が水の
上につくられたのでした。道の両側には、は
ば数十センチほど、みどりのシバを植えまし
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
た。ふとくて青いタケも植え、小さなマツも
植えていきました。
 なんとみごとな道だったことでしょう。【
9】それが、あの大きな利根川をわたる、水
にういたうき橋だったのです。
 橋が水に流されたり、ごみがひっかかった
りしないように、上流∵にももう一つ、船を
つないだ船橋をつくりました。そこで、川の
流れをかんししたり、ごみをひろいあげまし
た。
 【0】橋をつくった人たちは、行列がおわ
るまで、どんなにか、はらはらしたことでし
ょう。それは、いのちがけの思いだったこと
でしょう。この利根川の船橋は、三年がかり
の大工事のすえ、ようやくつくりあげたもの
でした。しかしせっかくつくりあげた船橋 
も、行列がおわるとまた、とりはずされまし
た。
 みなさんの中には夏休みに、日光へいく人
もあるでしょう。日光街道や例幣使(れいへ
いし)街道(天皇のお使いがおまいりにとお
った道)には、いまも一万四千本のみごとな
スギ並木がのこされています。そのスギ並木
を見たら、むかしその下を将軍たちの行列 
が、ぞろぞろととおっていったことを思いう
かべてみてください。
 
 「道は生きている」(富山和子)講談社青
い鳥文庫より