長文集  3月4週  ○わたくしたちは、「美しい」  te-03-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/12/14 12:51:36
 美しい景色をみて思わず、「きれいね」と
口にでて、たのしい思いになる、それでもう
十分とも思いますが、そのたのしい思いにさ
せてくれるものの姿を、たしかめてみましょ
う。
 美しいものと、美しくないものと、わたく
しはいま自分の部屋を見まわして、よりわけ
てみました。
 机の上のペン皿にあるえんぴつ、何本かの
えんぴつの中で美しく目にうつるのは、けず
りたてのえんぴつです。シンがまるくなった
り、折れたままのは美しいとは思えません。
 お皿に盛ったバナナは、あざやかな黄の色
をしていて美しい。でも実をたべてしまった
皮は、皮になった瞬間に、もう美しいとは思
えませんし、色もまたたちまち黒ずんできた
なくなってしまいま す。
 けずりたてのえんぴつが美しく目にうつる
のは、「どうぞ、いつでもすぐに使えますよ
。」と、すぐに役にたつ姿を見せてくれてい
るからでしょう。
 バナナの皮も、中に実をつつんでいるとい
う、使命をもっているときは美しいのですが
、その使命が終わって皮だけになった瞬間に
美しくなくなります。
 こうしたことを思うと、人に心よい感動を
あたえる美しさとは、そのものが役にたつと
いう姿を見せているところにあるのではない
かと思われます。
 花が美しい、木々が美しいというのは、そ
の命の美しさを感じるところにあります。命
とは活動することであって、つまり、役目を
はたしている姿です。花も木も、せいいっぱ
いに生き、そして自分たちの子孫を永続させ
るために、花を咲かせ、実をならし、その命
を充実させて、活動しているのです。
 わたくしたちは働く人を美しいと見ます。
どんなにどろんこで も、汗みどろでも、働
く姿は美しい。どろんこも、汗も、働く姿の
美しさを引きたてます。これは、働くという
行為が、活動そのものであり、役だつ使命を
はたすことであり、汗もどろんこもまた、そ
のためにあるからです。
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
 でも、働くことをやめて、食卓にむかった
ときの、汗みどろ、∵どろんこは、きたない
、もう美しくは目にうつりません。このとき
の、どろんこや汗は、労働という中味をとっ
てしまったあとの残りもの、バナナの皮みた
いな存在になってしまったからでしょう。食
事をするという行為に、どろんこは不要です
。そこで、きれいにさっぱりと洗いおとさな
ければなりません。
 ですから、同じものでも、そのものが、そ
のものとして役にたたない場所にあるときは
、美しく目にうつりません。
 髪の毛は、髪にあるから美しい。ぬけおち
た髪の毛が、食物の中にでもはいっていたら
、とてもゆううつです。
 ショーウィンドーの商品がみな美しく見え
るのは、「このとお り、役にたちますよ」
と、マネキンに着せてみせたりして、たのし
く、わかりやすく飾られてあるからでしょう

 わたくしたちのおしゃれや、動作、マナー
なども、その場にふさわしく、役にたつかた
ちであるとき、美しく見えるのです。
 急ぐときは、きびきびした動作が美しく、
人にものをたずねるときは、その人に教わる
という気持ちをあらわすのに必要な謙虚な動
作、教えるときは相手によくわかるようにす
る動作が、気持ちよく美しくうつります。
 ここでひとこと、気づいたことをいいそえ
ますと、必要と実用とは少しちがいます。
 たとえば道を教わるとき、わたくしたちは
、「すみませんが」ということばをそえます
が、実用という面からいうと、このことばは
なくてもよいわけです。「東京駅はどっちで
すか?」といえば、用はたせます。でも、そ
れではぶっきらぼうです。「すみませんが」
といいそえることで、心のあたたかみが伝わ
ります。「どうぞお茶をお飲みください」の
ときの「どうぞ」も同じで、こうしたやさし
さがあって、ことばも、動作も美しくなりま
す。
 「必要」と「実用」とを、どうぞ、まちが
えないでください。
 わたくしたちが生きてゆく上では、実用的
な衣(い)・食・住のほかに、遊ぶことも、
たのしむことも、安らぐことも必要です。そ
うした精神的に必要なものとして、やさしさ
や美がつくりだされています。
(高田敏子「詩の世界」)