長文 1.1週
1. 【1】メダカは長さが三、四センチしかない小さな魚で、わたしたちが子どものころはほんとうにどこにでもいました。あまりにありふれていたので、フナやコイなどとくらべると、子どもにとってあまり魅力みりょくのない、雑魚ざこの代表のような魚でした。
2. 【2】ところが、このメダカがなんと「絶滅ぜつめつ危惧きぐしゅ」として絶滅ぜつめつを心配されているというニュースが流れたのです。一九九九年のことです。(中略ちゅうりゃく)その背景はいけいにはつぎのようなことがありました。
3. 【3】かつて田んぼは用水路で水を引いていました。その用水路は田んぼとほぼ同じ高さにあり、微妙びみょうな高さの違いちが 利用りようして水の入り口と出口がつくられていました。ひとつの田んぼから出た水がとなりの田んぼに入る、という構造こうぞうになっているものもありました。【4】そのような用水路は地形に応じおう て曲がっており、深さも一定でないので、水の流れにも微妙びみょう違いちが があり、それに応じおう 違うちが 植物が生えていました。昔の子どもが夢中むちゅうで魚とりをしたのは、このような用水路でした。【5】秋になって田んぼから水が抜かぬ れても用水路には水が残っのこ ており、くぼみが「魚だまり」となって魚が生きていたのです。
4. ところが、一九六〇年代からはじまった農業基本きほん整備せいび事業によって、自然しぜんの地形に応じおう てつくられていた田んぼに大きな変化へんかが生じました。【6】かつて人力で営々えいえい築かきず れてきた田んぼは、大規模きぼな土木工事によって完全かんぜんにつくりかえられてしまったのです。田んぼの水が管理かんりしやすいように、用水路はU字かんというコンクリートのかんにされました。断面だんめんの形がU字がたなのでこう呼ばよ れます。【7】U字かん機能きのうは水田に水を運ぶことですから、それ以外いがいのものは必要ひつようありません。その結果けっか、水を流すときは洪水こうずいのように大量たいりょうの水が勢いいきお よく流れます。
5. 魚が隠れるかく  ところもなければ、カエルがたまご産むう ところもありません。【8】用水路は田んぼから効率こうりつてき排水はいすいするために、水田との高さのが大きくなるようにつくられました。このため、水を抜くぬ と∵田んぼは完全かんぜん干上がりひあ  ます。U字かんには魚だまりはありませんから、土の中にもぐって生きるドジョウや小さなメダカも生き延びるい の  ことはできません。【9】その結果けっか、夏の「洪水こうずい」と冬の「砂漠さばく」がくりかえされることになります。これでは生きていける動物はいません。
6. ところが、小動物に対する仕打ちはこれにとどまりませんでした。ちまちました小さな田んぼは農作業の効率こうりつが悪いことは確かたし です。【0】そこで、「暗渠排水あんきょはいすい」といって、田んぼの地中にくだ埋めう 、水を集めて排水はいすいすることがすすめられたのです。こうすれば水路に使った土地も使えるし、細かなデコボコをなくすことができると考えたのです。こうなると動物には生活する場所がまったくなくなってしまいます。
7. こうして、メダカに代表される無数むすうの小さな生きものたちは、田んぼから姿すがたを消していったのです。
8. 日本の農業は稲作いなさくが中心ですが、それは米を巨大きょだいなポットのようなところで効率こうりつてきにつくることだけではありませんでした。毎日の営みいとな の中で米づくりを中心におきながらも、家畜かちく飼いか 裏山うらやまから肥料ひりょうとなる枯れ葉か はを集め、ときどきドジョウやフナをとるなど、じつにさまざまな営みいとな の中でおこなわれたものでした。また、田植えのときには若いわか 女性じょせいが晴れ着を着て早苗さなえを植え、近所の人が助けあって田植えや稲刈りいねか をするという社会の営みいとな でもありました。そして先祖せんぞから引き継いひ つ だ土地に祈りいの をささげ、収穫しゅうかく物に感謝かんしゃをささげるという心に支えささ られたものだったはずです。それは工場で米という名の製品せいひんをつくるのとはほど遠い営みいとな でした。
9. しかし、この土木工事はそのようなことをすべて無視むししたものでした。そのことの意味の深さをわたしたちは考えつづけなければならないと思います。

10.((高槻たかつき成紀せいき『野生動物と共存きょうぞんできるか−保全ほぜん生態学せいたいがく入門−』)