長文 1.3週
1. 【1】わたしが一年生になったばかりのころのはなしです。そのころの小学校のつくえには、ひきだしがついていました。ふでいれかなにかをいれるための、はばが十センチもないような小さなひきだしです。【2】とってのかわりに小さなあながあいていて、そこへゆびをとおしてひきだすようになっていました。
2. ある日、わたしは先生のはなしをききながら、そのひきだしをだしたり、いれたりしてあそんでいました。
3. ところが、たいへんなことになってしまったのです。【3】というのは、右手の人さしゆびがひきだしのあなにはまったまま、ぬけなくなってしまったのです。
4. ゆびはつけねまであなにはいってしまって、いくらぬこうとしても、かんせつがじゃまをして、どうにもなりません。
5. 【4】わたしはあわてました。もう先生のはなしをきくどころではありません。ひきだしにいれてあったものを、ぜんぶつくえの上にとりだし、ひきだしをつくえからひっぱりだすと、ひざとひざにはさんで、ゆびをひきぬこうとしました。【5】でも、だめでした。むりにひっぱろうものなら、ゆびがもぎとれそうなほどいたいのです。
6. ひきだしをまわしながら、だましだまし、ひきぬこうとしましたが、それもだめでした。ゆびは赤くふくれあがり、びくともうごかないのです。【6】まるでスッポンにかみつかれたみたいです。ひきだしのあなは、わたしのゆびにしっかりくいついて、もうぜったいにはなすまいとしているようです。そんなふうにひきだしとかくとうしているわたしを、先生が見つけないわけがありません。
7.【7】「長崎ながさき、なにをしてるんだ。」
8. はなの下にりっぱなひげをたくわえた、中年の先生でした。
9. 先生は、きょうだんからおりてくると、わたしのそばへやってきました。
10. わたしはなきべそをかいて、下をむいてしまいました。【8】先生は、わたしの手くびをつかむと、ぐいともちあげました。わたしのかわいそうな人さしゆびは、ほそ長い小ひきだしをつるさげたまま、組じゅうの目にさらされたのです。
11.「なんだ、こりゃあ。」
12. 先生はあきれました。みんなはどっとわらいました。【9】わたしは、はずかしさにほおをまっかにして、小さな声でいいました。
13.「ぬけなくなっちゃったんです。」
14.「じゅぎょう中にいたずらしてるから、こんなことになるんだ。ばかっ。」
15. 先生はにやにやしながら、わたしのおでこをこづきました。
16. 【0】わたしの目にあふれていたなみだが、つーっとほおをながれお∵ちました。
17. 先生は、ひきだしをひっぱって、ぬこうとしました。だが、そうかんたんにぬけるはずがありません。
18. そこで、先生はりょう手でひきだしをつかみ、
19.「いいか、ちょっとがまんせい。」
20.といって、おもいっきり、ぐんとひっぱりました。ところが、いたいのなんのって、とてもがまんなんかできません。
21.「いたたた……。」
22. わたしはなきさけびながら、先生のほうへかけだしてしまいました。
23. 組の友だちは、たちあがったり、のびあがったりしながら見ていましたが、げらげらわらいました。
24.「しょうのないやつだ。」
25. 先生はしたうちすると、せいとたちに、
26.「みんな、すこしのあいだ、しずかに本を見ておれ。いいな。」
27.といって、わたしをうながしてきょうしつをでました。わたしは、組の友だちのあざわらう声をせにしながら、先生のあとについていきました。
28. じゅぎょう時間ちゅうのろうかは、しーんとしずまりかえっていました。その長いろうかを、わたしはなきじゃくりながらあるいていきました。ひきだしをつるさげている人さしゆびが、やけつくようにあつく、ずっきん、ずっきんとみゃくうっていました。

29.『はずかしかったものがたり』「かなしいゆびわ」(長崎ながさき源之助げんのすけ)より