1. 【1】モンシロチョウの
幼虫である青虫はアブラナ科の植物しか食べることができない。そこでモンシロチョウは、
幼虫が路頭に
迷うことのないように、足の
先端でアブラナ科から出る
物質を
確認し、
幼虫が食べることができる植物かどうかを
判断するのである。【2】この行動は「ドラミング」と
呼ばれている。だから
産卵するモンシロチョウは、葉っぱを足でさわって
確かめながら、アブラナ科の植物を
求めて、葉から葉へとひらひらと
飛びまわるのである。
2. しかし、こうして
目的の
菜の葉にたどりついても終わりではない。【3】一
ヵ所にすべての
卵を
産んでしまうと、
幼虫の数が多すぎて
餌の葉っぱが足りなくなってしまう。そのためモンシロチョウは、葉の
裏に小さな
卵を一
粒だけ
産みつける。そして、つぎの
卵を
産むために新たな葉を
求めて、葉から葉へと
飛びまわるのである。【4】まさに「ちょうちょう」の
原型となったわらべ
唄のとおりだ。
3. それにしても、どうしてモンシロチョウの
幼虫は、親にこんな
苦労をかけてまでアブラナ科の植物しか食べないのだろう。【5】何という
極端な
偏食。
えり好みせずに、いろいろな植物を食べたほうが、もっと
生存の場所も広がるし、何より親のチョウだって
卵を
産むのがずっと楽ではないか。
4. もちろん、青虫だってほかの葉っぱを食べられるものなら、そうしたいだろう。【6】しかし、そうもいかない理由がある。
5. 植物にとって、
旺盛な
食欲で葉をむさぼり食う
昆虫は
大敵である。そのため、多くの植物は
昆虫からの
食害を
防ぐためにさまざまな
忌避物質や
有毒物質を体内に用意して、
昆虫に対する
防御策をとっているのである。
6. 【7】一方の
昆虫にしてみれば、葉っぱを食べなければ
餓死してしまう。そこで、
毒性物質を
分解して
無毒化するなどの
対策を
講じて、植物の
防御策を
打ち破る方法を
発達させているのだ。【8】ところ∵が、植物の
毒性物質は
種類によって
違うから、どんな植物の
毒性物質をも
打ち破る万能な
策というのは
難しい。そこで、ターゲットを定めて、
対象となる植物の
防御策を
破る方法を身につけるのである。【9】一方、植物も負けられないから、
防御策を
破った
敵となる
昆虫から身を守るために新たな
防御物質を作り出す。すると
昆虫もさらにその
防御物質を
打ち破る方法を身につける。
7. こうなると一対一の、意地の
張り合いのようなものだ。【0】さりとて、植物も
昆虫も自分の
生存がかかっているから、どちらも負けるわけにはいかない。この両者の
軍拡競争によって
特殊な
防御物質を作り出す植物と、その
防御策を
打ち破ることができる
昆虫という組み合わせが作られるのである。
特定の
種類の植物しか食べない
狭食性の
昆虫が多いのはそういうわけなのだ。こうして、モンシロチョウとアブラナ科植物とは
好敵手として、
共に進化を
遂げてきたのである。もはやモンシロチョウの
幼虫は、
好むと
好まざるにかかわらず、アブラナ科の植物を食い
続けるしかない。こうなると、もう切っても切れない
密接な
間柄である。
8. アブラナ科植物の
防御物質はカラシ
油配糖体である。たとえば、ワサビやカラシナの
辛味のもとになるのもシニグリンと
呼ばれるカラシ
油配糖体である。
私たちが
嗜好するアブラナ科の
野菜独特の
辛味も、本来は
昆虫に対する
防御物質なのだ。
9. しかし、モンシロチョウの
幼虫である青虫は、すでにアブラナ科植物の
防御物質を
打ち破る術を身につけている。だから青虫はカラシ
油配糖体を
含んでいる葉っぱしか食べないのだ。カラシ
油配糖体を持たないアブラナ科
以外の植物を食べてもよさそうな気がするが、ほかの植物は、カラシ
油配糖体以外の
毒性物質を持っている
可能性が高いので、むしろ
危険である。
10. さらに、モンシロチョウは、カラシ
油配糖体を
利用している。葉∵から葉へと
飛びまわるモンシロチョウは、じつは足の先でアブラナ科植物のカラシ
油配糖体を
探しながら、
産卵する植物を決めているのだ。
昆虫を
追い払うはずの
物質が、あろうことかモンシロチョウを
呼ぶ目印になってしまっているのである。
昆虫の
食害を
防ぐためにと、せっかく
防御物質を作り出したのに、モンシロチョウにはいいように
利用されている。
菜の花にとっては、ずいぶんとやりきれない話だ。
11.(
稲垣栄洋『
蝶々はなぜ
菜の葉にとまるのか−日本人の
暮らしと身近な植物』草思社より)