a 長文 1.1週 te2
 メダカは長さが三、四センチしかない小さな魚で、わたしたちが子どものころはほんとうにどこにでもいました。あまりにありふれていたので、フナやコイなどとくらべると、子どもにとってあまり魅力みりょくのない、雑魚ざこの代表のような魚でした。
 ところが、このメダカがなんと「絶滅ぜつめつ危惧きぐしゅ」として絶滅ぜつめつを心配されているというニュースが流れたのです。一九九九年のことです。(中略ちゅうりゃく)その背景はいけいにはつぎのようなことがありました。
 かつて田んぼは用水路で水を引いていました。その用水路は田んぼとほぼ同じ高さにあり、微妙びみょうな高さの違いちが 利用りようして水の入り口と出口がつくられていました。ひとつの田んぼから出た水がとなりの田んぼに入る、という構造こうぞうになっているものもありました。そのような用水路は地形に応じおう て曲がっており、深さも一定でないので、水の流れにも微妙びみょう違いちが があり、それに応じおう 違うちが 植物が生えていました。昔の子どもが夢中むちゅうで魚とりをしたのは、このような用水路でした。秋になって田んぼから水が抜かぬ れても用水路には水が残っのこ ており、くぼみが「魚だまり」となって魚が生きていたのです。
 ところが、一九六〇年代からはじまった農業基本きほん整備せいび事業によって、自然しぜんの地形に応じおう てつくられていた田んぼに大きな変化へんかが生じました。かつて人力で営々えいえい築かきず れてきた田んぼは、大規模きぼな土木工事によって完全かんぜんにつくりかえられてしまったのです。田んぼの水が管理かんりしやすいように、用水路はU字かんというコンクリートのかんにされました。断面だんめんの形がU字がたなのでこう呼ばよ れます。U字かん機能きのうは水田に水を運ぶことですから、それ以外いがいのものは必要ひつようありません。その結果けっか、水を流すときは洪水こうずいのように大量たいりょうの水が勢いいきお よく流れます。
 魚が隠れるかく  ところもなければ、カエルがたまご産むう ところもありません。用水路は田んぼから効率こうりつてき排水はいすいするために、水田との高さのが大きくなるようにつくられました。このため、水を抜くぬ 
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田んぼは完全かんぜん干上がりひあ  ます。U字かんには魚だまりはありませんから、土の中にもぐって生きるドジョウや小さなメダカも生き延びるい の  ことはできません。その結果けっか、夏の「洪水こうずい」と冬の「砂漠さばく」がくりかえされることになります。これでは生きていける動物はいません。
 ところが、小動物に対する仕打ちはこれにとどまりませんでした。ちまちました小さな田んぼは農作業の効率こうりつが悪いことは確かたし です。そこで、「暗渠排水あんきょはいすい」といって、田んぼの地中にくだ埋めう 、水を集めて排水はいすいすることがすすめられたのです。こうすれば水路に使った土地も使えるし、細かなデコボコをなくすことができると考えたのです。こうなると動物には生活する場所がまったくなくなってしまいます。
 こうして、メダカに代表される無数むすうの小さな生きものたちは、田んぼから姿すがたを消していったのです。
 日本の農業は稲作いなさくが中心ですが、それは米を巨大きょだいなポットのようなところで効率こうりつてきにつくることだけではありませんでした。毎日の営みいとな の中で米づくりを中心におきながらも、家畜かちく飼いか 裏山うらやまから肥料ひりょうとなる枯れ葉か はを集め、ときどきドジョウやフナをとるなど、じつにさまざまな営みいとな の中でおこなわれたものでした。また、田植えのときには若いわか 女性じょせいが晴れ着を着て早苗さなえを植え、近所の人が助けあって田植えや稲刈りいねか をするという社会の営みいとな でもありました。そして先祖せんぞから引き継いひ つ だ土地に祈りいの をささげ、収穫しゅうかく物に感謝かんしゃをささげるという心に支えささ られたものだったはずです。それは工場で米という名の製品せいひんをつくるのとはほど遠い営みいとな でした。
 しかし、この土木工事はそのようなことをすべて無視むししたものでした。そのことの意味の深さをわたしたちは考えつづけなければならないと思います。

((高槻たかつき成紀せいき『野生動物と共存きょうぞんできるか−保全ほぜん生態学せいたいがく入門−』)
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a 長文 1.2週 te2
「つぎは、あかばね(赤羽)!」
 ヤッちゃんたちのうちは、あかばねにありましたから、竹ざお電車は、そこでストップです。あかばねのえきまえは、ヤッちゃんもよくしっています。
 ところが、あれっ? ……ぜんぜん見たことのないところにきていました。
 竹ざお電車はおばあちゃんのうちへむかって、ものすごいスピードで走りました。右へいったり、左へいったり、ぐるぐる走りまわりましたが、どうしても、おばあちゃんのうちへかえれません。ふたりとも、あせびっしょりでした。二十分も三十分も走りました。のどが、カラカラで、足もだるく、竹ざお電車は走ることができません。のろりのろりあるいていきました。
「にいちゃん、はやく、おばあちゃんのうちへかえろうよ。」
 しゃしょうさんのチイちゃんは、なんにも気がついていないようですが、うんてん手のヤッちゃんは、さっき、あかばねについたときから、これはたいへんなことになった、電車はまいごになったらしいとわかっていました。ですから、かなしくて、おそろしくて、くちびるをへの字にまげて、もうすこしでなきそうになるのをじっとがまんしていたのです。
「どうしたの?」
 竹ざお電車が、ぼんやりつったっていると、道ばたであそんでいた女の子が、よってきました。ヤッちゃんよりも小さい子でした。
「あんたたち、まいごなのね。」
 そういわれたとたん、ヤッちゃんは、パッとかけだしました。もうすこしでなきそうだったので、そんな小さい女の子とはなしをしたくなかったのです。走りながら、オックン、オックン、なきじゃくりました。
(もう、おばあちゃんのうちへはかえれないかもしれない。おかあさんにもあえなくなってしまうかもしれない。)
 そうおもうと、なみだがあふれてきて、ワァーンとなきだしてしまいました。
「おにいちゃん、なかないでよう。」
 しゃしょうさんは、ないていません。
「おにいちゃん、さがせば、きっと見つかるよ、おばあちゃんのうち。ね、だから、なかないでよう。」
 小さいのに、なんて、しっかりしたしゃしょうさんでしょう。
 ヤッちゃんがないているので、おまわりさんは、チイちゃんに、いろいろはなしをきいていましたが、さっぱりけんとうがつかないようすでした。
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「あのね、電車にのって走ったの。にっぽり(日暮里)のつぎは、たばた(田端)なの。あかばねでおりて、ここへきたの。これから、かんのんさまへいって、みつまめたべるの……。」
 十分くらいたったでしょうか、交番へ、おかあさんとおばあちゃんがかけこんできました。
 これで、まいごになった電車はぶじにうちへかえれたのですが、かえるとちゅうも、ヤッちゃんはなきつづけていました。
 なにがかなしくてないていたのでしょう?

『はずかしかったものがたり』「まいごになった電車」(前川康男やすお)より
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a 長文 1.3週 te2
 わたしが一年生になったばかりのころのはなしです。そのころの小学校のつくえには、ひきだしがついていました。ふでいれかなにかをいれるための、はばが十センチもないような小さなひきだしです。とってのかわりに小さなあながあいていて、そこへゆびをとおしてひきだすようになっていました。
 ある日、わたしは先生のはなしをききながら、そのひきだしをだしたり、いれたりしてあそんでいました。
 ところが、たいへんなことになってしまったのです。というのは、右手の人さしゆびがひきだしのあなにはまったまま、ぬけなくなってしまったのです。
 ゆびはつけねまであなにはいってしまって、いくらぬこうとしても、かんせつがじゃまをして、どうにもなりません。
 わたしはあわてました。もう先生のはなしをきくどころではありません。ひきだしにいれてあったものを、ぜんぶつくえの上にとりだし、ひきだしをつくえからひっぱりだすと、ひざとひざにはさんで、ゆびをひきぬこうとしました。でも、だめでした。むりにひっぱろうものなら、ゆびがもぎとれそうなほどいたいのです。
 ひきだしをまわしながら、だましだまし、ひきぬこうとしましたが、それもだめでした。ゆびは赤くふくれあがり、びくともうごかないのです。まるでスッポンにかみつかれたみたいです。ひきだしのあなは、わたしのゆびにしっかりくいついて、もうぜったいにはなすまいとしているようです。そんなふうにひきだしとかくとうしているわたしを、先生が見つけないわけがありません。
長崎ながさき、なにをしてるんだ。」
 はなの下にりっぱなひげをたくわえた、中年の先生でした。
 先生は、きょうだんからおりてくると、わたしのそばへやってきました。
 わたしはなきべそをかいて、下をむいてしまいました。先生は、わたしの手くびをつかむと、ぐいともちあげました。わたしのかわいそうな人さしゆびは、ほそ長い小ひきだしをつるさげたまま、組じゅうの目にさらされたのです。
「なんだ、こりゃあ。」
 先生はあきれました。みんなはどっとわらいました。わたしは、はずかしさにほおをまっかにして、小さな声でいいました。
「ぬけなくなっちゃったんです。」
「じゅぎょう中にいたずらしてるから、こんなことになるんだ。ばかっ。」
 先生はにやにやしながら、わたしのおでこをこづきました。
 わたしの目にあふれていたなみだが、つーっとほおをながれお
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ちました。
 先生は、ひきだしをひっぱって、ぬこうとしました。だが、そうかんたんにぬけるはずがありません。
 そこで、先生はりょう手でひきだしをつかみ、
「いいか、ちょっとがまんせい。」
といって、おもいっきり、ぐんとひっぱりました。ところが、いたいのなんのって、とてもがまんなんかできません。
「いたたた……。」
 わたしはなきさけびながら、先生のほうへかけだしてしまいました。
 組の友だちは、たちあがったり、のびあがったりしながら見ていましたが、げらげらわらいました。
「しょうのないやつだ。」
 先生はしたうちすると、せいとたちに、
「みんな、すこしのあいだ、しずかに本を見ておれ。いいな。」
といって、わたしをうながしてきょうしつをでました。わたしは、組の友だちのあざわらう声をせにしながら、先生のあとについていきました。
 じゅぎょう時間ちゅうのろうかは、しーんとしずまりかえっていました。その長いろうかを、わたしはなきじゃくりながらあるいていきました。ひきだしをつるさげている人さしゆびが、やけつくようにあつく、ずっきん、ずっきんとみゃくうっていました。

『はずかしかったものがたり』「かなしいゆびわ」(長崎ながさき源之助げんのすけ)より
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a 長文 1.4週 te2
 一九六〇年代はじめ、アフリカの山野に分け入って、チンパンジーの行動を研究していた一研究者のある報告ほうこくは、当時大きな話題となった。その報告ほうこくによると、チンパンジーが道具を使ったというのである。道具の使用は、人間に特有とくゆうのことで、人間と他の動物を区別くべつする重要じゅうよう特徴とくちょうのひとつとされていただけに、この発見は、かく方面に大きな影響えいきょう与えあた たのだった。ある人は、これは人間と動物の間隙かんげきをうめる重要じゅうような発見だとして高く評価ひょうかし、ある人は、チンパンジーのその道具は、あまりにも原初げんしょてきで、それを道具と言うこと自体に問題がある、とした。
 アフリカの野生チンパンジーが用いたという道具とは、一本の細い草のくきである。このくきをチンパンジーは、シロアリを「釣るつ 」のに用いたのである。チンパンジーは、シロアリのつかのそばにしゃがむと、草のくきつかあなの中に深くさしこむ。そして、ちょっと間をおいてそれを引き出す。すると、そのくきには、何匹なんびきかのシロアリがくいついてくっついてくる。シロアリは、侵入しんにゅうしたてきに、攻撃こうげきのくらいつきを行なったのであろうが、それがあだになって、まんまと外に引き出されてしまうというわけだ。
 チンパンジーは、この草のくきにくっついてきたシロアリを、口でしごくようにして食べるのである。食べ終わると、チンパンジーは、また草のくきあなにさしこんで、シロアリを釣るつ 。こうしてチンパンジーは、しばらくの間アリを釣っつ ては食べる、ということをくり返す。
 注目すべきことは、チンパンジーは、道具というものが何であるかを知っているかも知れない、ということである。自分が何をどうする目的もくてきで、草のくきを手足の延長えんちょう、あるいは補助ほじょ器官きかんとして使っているのかを見通しているらしい。
 というのは、チンパンジーは、偶然ぐうぜんそばにあったくきをひろって使うのでなく、すこしはなれたところから草を手に入れ、それをシロアリつかまでもちはこぶからである。その上、チンパンジーは、草のくきについている葉や枝分かれえだわ  したくきなど、余分よぶんと思われるものを
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取り去って草を「加工かこう」しさえするのである。
 シロアリ釣りづ は、見よう見まねで他のチンパンジーにも広がる。子どものチンパンジーは、母親のそばでそのシロアリ釣りづ を見て、自分でもあれこれためす。そして、そのこつを取得しゅとくしていくという。これをもってして、チンパンジーには、シロアリ釣りづ の文化がある、と言う人もいる。
 チンパンジーは、水を飲むときにも、道具を使うことがある。チンパンジーは木のまたなどにたまった水などを飲むときに、木の葉をかんでやわらかくし、それを水にひたして水に含まふく せ、口に運んで水を吸っす て飲むという。かみくだいた木の葉を、いわばスポンジ代わりに使うのである。
 チンパンジーの道具で、最ももっと 道具らしい道具は、木の実を割るわ ための石の道具であろう。これは、比較的ひかくてき最近さいきんになってわかってきたことであるが、チンパンジーはアブラヤシなどの実を食べるときに、それを石の上において、もうひとつの石でたたいて割るわ 。このとき、台石となるのは、その目的もくてきにかなった、上面が比較的ひかくてき平たい石である。打ちつける石も、木の実がはじけ飛ばと ないよう、平たい面があるものが使われる傾向けいこうがあるらしい。
 研究者は、すでにかなりの回数「愛用あいよう」されてきたと思われる台石も発見している。それらの石は、平たい面の一部がくぼんでいて、そこに何度も木の実がすえおかれただろうことをものがたっていた。チンパンジーは、この道具についても、その目的もくてきを見通しているかのようである。ここから人間の祖先そせんが用いた石器せっきまでは、どれほどの道のりがあったのだろうか。
 チンパンジーの道具使用が、チンパンジーの食事事情じじょう貢献こうけんしていることは、疑問ぎもん余地よちがないと思われる。チンパンジーは、それなしで不可能ふかのうなシロアリを手に入れ、木の実をえさ資源しげんとして利用りようすることができるからだ。これが可能かのうなのは、チンパンジーが人間にもっとも近い動物で、したがって、人間を除くのぞ 動物の中で、もっと
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長文 1.4週 te2のつづき
もかしこいからにほかならない。道具の使用には、それだけの知能ちのう要求ようきゅうされるからである。

小原おばら嘉明よしあき『道具を使う動物たち』<PHP研究所>より)
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a 長文 2.1週 te2
 しゅうぎょうしきがおわりました。
 きょうしつへはいってから、つうちぼをもらうのです。
 ほそ長い、四かくなつうちぼを、りょう手を頭より高くさしあげて、うけとったとき、ぼくのしんぞうは、どきどきっどきどきっ、となりました。
 そのどきどきは、ぼくがせきについて、人に見られないように、はおりでかくしながらつうちぼをひらいて見るまでつづきました。
 つうちぼのせいせきのところに、むずかしい字が六つと、やさしい字が三つ、ついていました。やさしい字はおつでした。どうしたわけか、おつの字は、いつのまにか、おぼえていたのです。けれども、むずかしい六つの字はわかりません。
「なあんだ、むずかしい字ばっかしで、わからんなあ。」
 ほくは、ひとりごとをいいました。すると、となりのなおみちゃんが、
「のんちゃん! むずかしい字があるの。そいじゃあ、きっとゆうだもの。」
と、小さい声で、こっそりおしえてくれたのです。
(そうか、ゆうなのかあ、よかったあ。)
 ぼくは、もううれしくて、むちゅうでした。
 だから、「ふところに、ちゃんとしまうんよ」と、でがけにいわれたかあさんのいいつけなど、すっかりわすれてしまいました。校門をでると、つうちぼを、わざと左手で、人に見えるように高くもちあげてあるきました。
 いちばんはじめに、となりのおじさんにあいました。おじさんは、ぼくがおもったとおり、
「戸中谷(とちゅうや)のぼうか。どら、おじさんに見せてくれるか。」
といいました。ぼくは、
「はい。」
と、にこにこしながら、むねをはって、このすばらしいつうちぼをおじさんにさしだしたのです。すると、おじさんは、
「ほう。」
と、かんしんしてから、
「ぼうは、よくできるなあ。」
と、頭をなぜながらほめてくれました。ぼくは、もう、ますますうれしくて、おどりあるきたいくらいでした。
 それからは、どうろであう人には、こちらから、
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「おじさん、おじさん、ほら、ぼくのつうちぼだに。」
といって、だれにでも見せました。すると、
「ほう、よくできるなあ!」
と、みんなほめてくれるのです。うれしくなったぼくは、はたけではたらいている人にまで、かけていって、わざわざ、見せてやったのです。
「かあちゃん、ほらつうちぼもらった。みんな、よくできるってほめてくれた。」
 ぼくは、元気いっぱいにさけんで、かあさんにつうちぼをさしだしました。かあさんは、ふしぎそうに、
「ええっ! みんなに、見せたのかえ。」
といいながら、いそいで見はじめました。
 すると、どうでしょう。かあさんの目から、なみだがはらはらとながれだしたのです。
「のんちゃん。どうして人に見せたの。」
 かあさんは、きびしくいいました。
「だって、おつのほかは、むずかしい字だから、ゆうだと、なおみちゃんがおしえてくれたん。」
「まあ、あきれた。これは、へいといって、できないというしるしなんよ。」
 かあさんの声は、かなしそうな、ふるえただみ声でした。
(なあんだ、へいだったのか。)
 ぼくは、もう、かあさんの顔を見ることができません。おもわず、だだだっと、かけだしていたのです。
「ちくしょう、ちくしょう、うそつきのおとなのばかやろう! ばか、ばか!」
 人けのないくわばたけのかげで、おもいっきり土をたたきながら、ぼくは、声をころして、いつまでも、いつまでも、ないていました。

『はずかしかったものがたり』「つうしんぼ」(代田のぼる)より
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a 長文 2.2週 te2
 わたしの「そり」は、ケッサクだというので、うしろのけいじばんにはりだされました。わたしは、うれしいような、こそばいいような気もちで、ときどきうしろをながめます。毎朝学校へくるのが、なんだかよけいうれしくなりました。
「ケッサクがうまれたら、『そり』とはりかえることにしよう。」
 ある日、先生がそういわれたので、それからというものは、作文についてのねつがいっそうあがりました。みんな、手につばするようないきおいで、もりもり作文を書きました。
 つぎつぎと、ケッサクがうまれました。
 なかでも、中石タツエという女の子の作文は、なんかいもはりだされました。
「まどからふいてきた風が、わたしのよみかけの本のベージを、ポイポイめくる。」
などという書きぶりには、先生も一字一字に赤マルをつけ、すばらしいといって、くびをかたげてほめます。わたしも、気のきいた書きぶりに、すっかりかんしんしました。
 しかし、いくらがんばっても「そり」からあと、わたしにはケッサクがでないのです。
 わたしは、だんだんあせってきました。
 やっと、わたしに二かいめのケッサクがうまれました。それは、冬休みのしゅくだいに書いた「はつゆめ」という作文です。
 わたしののったそりが、そのまま、川をこえ、山をこえ、空にのぼり、おとぎの国をつぎつぎと見てまわる。そのうちに、どうしたことか、コマのようにまいはじめ、キリキリまいおちると目がさめた――というゆめのおはなしです。
 先生は、
「男の子らしいいさましいゆめを見たね。ことにおわりのほうの書きぶりはすばらしいよ。」
と、赤ペンでひひょうを書いてくれました。
 でも、これはまったくのうそなのです。
 正月一日のばん、しゅくだいの「はつゆめ」のことをおもいだし、ようしとおもってねたのですが、朝、目をさましてみると、なんにも見ていません。ひとばんじゅうさむかったような気がしましたが、これも、ねぐるいして、ふとんからとびだしていたからでしょう。はつゆめ」なんて気のきいたものは、いくら頭をひねくってみてもおもいだしません。
 しかし、ケッサクを書いてはりだしてほしかったわたしは、いか
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にもすばらしいゆめを見たように、うそを書いたのです。「キリキリコマのようにまいおちる」というのも、いつかどこかのザッシで見たよその子の作文を、まねして書いたのです。
 先生は、みごとにだまされました。
 友だちも、どうやらだまされたようです。
 でも、じぶんは、だますわけにはいきません。
「このまえの詩といい、こんどの作文といい、きしくんは『そり』ばかり書くね。きみは『そり』がすきだから、ケッサクがうまれるんだ。」
 そういってほめる先生のことばを、わたしは顔をうつむけてきいていました。
 きっと、耳のつけねまで赤くなっていたでしょう。

 そのあくる日のことです。
 じゅぎょうがおわって、うちへかえろうとカバンをしまっていると、中石タツエがそっとそばへよってきました。
「あの『はつゆめ』のことやけど、あんたほんとにあんなゆめを見たの?」
 ドキンとしたわたしは、タツエの顔をにらみつけました。
「見たさ。見たから書いたんや。」
「そんならいいけど……。」
 タツエは、あっさりくびをふると、きょうしつからでていこうとしました。
「なんや、タツエ、はっきりいえ。」
「いえ、もういいの。……ただ、なんやしらんつくったようなおはなしやとおもっただけ……。」
「なに、つくったはなし? すると、おれがうそを書いたというんやな!」
「うそとまではいわんけど……。」
「いや、たしかにうそといった。おれも男や、そんなわる口いわれて、だまってはおれん。……ようし!」
 わたしは、けいじばんの作文をもぎとると、いきなりビリビリとやぶりました。
 びっくりしたタツエは、青くなってわたしになんべんもあやまりました。
 わたしは、なんにもいわず、二つにさいた作文を、さらにこまかくこまかく、やぶりすてました。

『はずかしかったものがたり』「うその作文」(岸武雄たけお)より
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a 長文 2.3週 te2
 元日からふりつづいた雪がやんで、けさは上天気です。のきのつららが朝日をうけて、キラキラ光っています。きょうから三がっき、雪にうずもれたかきねのむこうを、学校へいそぐ男の子や女の子の声が、にぎやかにとおりすぎていきます。
「ねえ、いつまでそこにたっているの。はやくいかないと、学校おくれるよ。」
 朝ごはんのあとかたづけをしながら、かあさんが大声でしかります。それなのに、一年生のわたしは、くらい土間のところで、さっきからもじもじしていました。学校がいやなのではないけれど、きょうきていく、黒いマントのことで、ちょっぴりすねていたのです。
 このあいだから、かあさんが夜なべで、したてなおしてくれた、矢がすりのわたいればおり、モンペの上にはいた、エビちゃ色のはかま、赤い毛糸の手ぶくろもショールも、ねえさんのおさがりだけど、がまんできます。でも、その上にきせられた、だぶだぶの、黒いマントがこまるんです。
 それは、むかし、とうさんが北海道で、おまわりさんをしていたときにきていたものでした。明治めいじもおわりのころのことですから、黒いせいふくに金すじのはいったけんしょうをつけ、長いサーベルをさげていました。わかいくせに、八の字ひげなんかはやし、「オイ、コラ」なんていばっていたのかもしれません。そのマントは、かたまでの、みじかいものでしたから、たけは、一年生のわたしのひざぐらいですが、はばが、すごくだぶだぶなんです。
 こんなマックロケの、だぶだぶマントなんかきていったら、また男の子たちにいじめられるでしょう。そのまえに、大山さんの秋田犬のシロがほえてとびかかってくるかもしれません。それなのに、かあさんは、いうのです。
「たけもちょうどいいし、ゆったりしてあったかいし、こんなじょうとうのラシャなんて、いまどき、どこをさがしたってないんだよ。」
 かあさんの声には、きていかなかったら、ぜったいゆるさないという、ひびきが、こもっています。
 そのころ、日本はすごいふけいきで、米のねだんが高く、年よりと子ども六人もかかえた、とうさんとかあさんは、ともばたらきしても、おいつかなかったのでしょう。でも、小さいわたしは、うちがこまっているなんて、しらなかったのです。
 ものをだいじにし、むだづかいしないのは、うちのどうとくだとおしえられ、一年生の頭でそれをしんじていました。このマントも、にいさんたちのうまれるまえからですから、もう十五年いじょ
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うも、だいじにしまってあったのでしょう。
「とうさんはね、むかし、このマントをきて、はん人をごそうしていったこともあるんだよ。」
 きのう、かあさんは、わたしをそばにすわらせ、いつになくしみじみ、はなしてくれたのでした。
「いまとちがって、まだ汽車もバスもなかったむかしのこと、冬は馬車もとおれない雪の山道を、くしろからあばしりのけいむしょまで、とうさん、手じょうをかけたはん人とたったふたりきりで、なん日もかかって山ごえしていったんだと。冬山はなれた人でもこわいというのに、はん人を道づれの山おくで、もうふぶきにあったもんだから、とうとう、ほうがくを見うしなってしまったんだとさ。
 いけどもいけども道はなし。はげしいうえとさむさのため、このままではふたりとも死ぬよりほかない。そのときとうさんは、はん人だけでもなんとかたすけたいとおもったんだね。そこで、はん人にいったんだと。『この手じょうはずすから、すきなようにしてくれ』って。とうさん、手じょうをはずしたんだって。ところがはん人はにげるどころか、かんげきして、『だんな、あんたはほかのおまわりとちがう。人間を人間としてあつかうことをしってる人だ。わしはにげないよ』って、町へたどりつくまで、とうさんをまもりとおして、じぶんは、ちゃんと、ろうやへはいったんだとさ。むかしの人は、ものがたかったんだね。」
 こんなわけで、わたしはどうしても、そのマントを学校へきていかなくてはならなかったのでした。でも、そんなにだいじなマントなら、なおのこと、みんなのさらしものになって、わらわれるのがいやでした。小さい頭でかんがえて、
(そうだ、学校へいったら、まっさきに、なかよしのカツさんにわけをはなし、みかたになってもらおう。)
と、おもいつくと、やっとあんしんして家をでました。

『はずかしかったものがたり』「黒いマントのおもいで」(増村ますむら王子)より
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a 長文 2.4週 te2
 モンシロチョウの幼虫ようちゅうである青虫はアブラナ科の植物しか食べることができない。そこでモンシロチョウは、幼虫ようちゅうが路頭に迷うまよ ことのないように、足の先端せんたんでアブラナ科から出る物質ぶっしつ確認かくにんし、幼虫ようちゅうが食べることができる植物かどうかを判断はんだんするのである。この行動は「ドラミング」と呼ばよ れている。だから産卵さんらんするモンシロチョウは、葉っぱを足でさわって確かめたし  ながら、アブラナ科の植物を求めもと て、葉から葉へとひらひらと飛びまわると    のである。
 しかし、こうして目的もくてきの葉にたどりついても終わりではない。ヵ所かしょにすべてのたまご産んう でしまうと、幼虫ようちゅうの数が多すぎてえさの葉っぱが足りなくなってしまう。そのためモンシロチョウは、葉のうらに小さなたまごを一つぶだけ産みつけるう    。そして、つぎのたまご産むう ために新たな葉を求めもと て、葉から葉へと飛びまわると    のである。まさに「ちょうちょう」の原型げんけいとなったわらべうたのとおりだ。
 それにしても、どうしてモンシロチョウの幼虫ようちゅうは、親にこんな苦労くろうをかけてまでアブラナ科の植物しか食べないのだろう。何という極端きょくたん偏食へんしょくえり好み  ごの せずに、いろいろな植物を食べたほうが、もっと生存せいぞんの場所も広がるし、何より親のチョウだってたまご産むう のがずっと楽ではないか。
 もちろん、青虫だってほかの葉っぱを食べられるものなら、そうしたいだろう。しかし、そうもいかない理由がある。
 植物にとって、旺盛おうせい食欲しょくよくで葉をむさぼり食う昆虫こんちゅう大敵たいてきである。そのため、多くの植物は昆虫こんちゅうからの食害しょくがい防ぐふせ ためにさまざまな忌避きひ物質ぶっしつ有毒ゆうどく物質ぶっしつを体内に用意して、昆虫こんちゅうに対する防御ぼうぎょさくをとっているのである。
 一方の昆虫こんちゅうにしてみれば、葉っぱを食べなければ餓死がししてしまう。そこで、毒性どくせい物質ぶっしつ分解ぶんかいして無毒むどく化するなどの対策たいさく講じこう て、植物の防御ぼうぎょさく打ち破るう やぶ 方法ほうほう発達はったつさせているのだ。ところ
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が、植物の毒性どくせい物質ぶっしつ種類しゅるいによって違うちが から、どんな植物の毒性どくせい物質ぶっしつをも打ち破るう やぶ 万能ばんのうさくというのは難しいむずか  。そこで、ターゲットを定めて、対象たいしょうとなる植物の防御ぼうぎょさく破るやぶ 方法ほうほうを身につけるのである。一方、植物も負けられないから、防御ぼうぎょさく破っやぶ てきとなる昆虫こんちゅうから身を守るために新たな防御ぼうぎょ物質ぶっしつを作り出す。すると昆虫こんちゅうもさらにその防御ぼうぎょ物質ぶっしつ打ち破るう やぶ 方法ほうほうを身につける。
 こうなると一対一の、意地の張り合いは あ のようなものだ。さりとて、植物も昆虫こんちゅうも自分の生存せいぞんがかかっているから、どちらも負けるわけにはいかない。この両者の軍拡ぐんかく競争きょうそうによって特殊とくしゅ防御ぼうぎょ物質ぶっしつを作り出す植物と、その防御ぼうぎょさく打ち破るう やぶ ことができる昆虫こんちゅうという組み合わせが作られるのである。特定とくてい種類しゅるいの植物しか食べない狭食性きょうしょくせい昆虫こんちゅうが多いのはそういうわけなのだ。こうして、モンシロチョウとアブラナ科植物とは好敵手こうてきしゅとして、共にとも 進化を遂げと てきたのである。もはやモンシロチョウの幼虫ようちゅうは、好むこの このまざるにかかわらず、アブラナ科の植物を食い続けるつづ  しかない。こうなると、もう切っても切れない密接みっせつ間柄あいだがらである。
 アブラナ科植物の防御ぼうぎょ物質ぶっしつはカラシ油配糖体あぶらはいとうたいである。たとえば、ワサビやカラシナの辛味からみのもとになるのもシニグリンと呼ばよ れるカラシ油配糖体あぶらはいとうたいである。わたしたちが嗜好しこうするアブラナ科の野菜やさい独特どくとく辛味からみも、本来は昆虫こんちゅうに対する防御ぼうぎょ物質ぶっしつなのだ。
 しかし、モンシロチョウの幼虫ようちゅうである青虫は、すでにアブラナ科植物の防御ぼうぎょ物質ぶっしつ打ち破るう やぶ すべを身につけている。だから青虫はカラシ油配糖体あぶらはいとうたい含んふく でいる葉っぱしか食べないのだ。カラシ油配糖体あぶらはいとうたいを持たないアブラナ科以外いがいの植物を食べてもよさそうな気がするが、ほかの植物は、カラシ油配糖体あぶらはいとうたい以外いがい毒性どくせい物質ぶっしつを持っている可能かのうせいが高いので、むしろ危険きけんである。
 さらに、モンシロチョウは、カラシ油配糖体あぶらはいとうたい利用りようしている。葉
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長文 2.4週 te2のつづき
から葉へと飛びまわると    モンシロチョウは、じつは足の先でアブラナ科植物のカラシ油配糖体あぶらはいとうたい探しさが ながら、産卵さんらんする植物を決めているのだ。昆虫こんちゅう追い払うお はら はずの物質ぶっしつが、あろうことかモンシロチョウを呼ぶよ 目印めじるしになってしまっているのである。昆虫こんちゅう食害しょくがい防ぐふせ ためにと、せっかく防御ぼうぎょ物質ぶっしつを作り出したのに、モンシロチョウにはいいように利用りようされている。菜の花な はなにとっては、ずいぶんとやりきれない話だ。

稲垣いながき栄洋ひでひろ蝶々ちょうちょうはなぜの葉にとまるのか−日本人の暮らしく  と身近な植物』草思社より)
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a 長文 3.1週 te2
 わたしはニックを見あげました。小さいわたしにとって、ニックは見あげねばならぬくらい、せの高い男の子におもえました。まっ白いシャツにかいボタンが光っていました。目と目がぶつかると、ニックはちょっとまばたきをし、それからおどけたわらいかたでわらいました。まつげが金いろでした。
 この子といっしょにあそべる、ずっと、毎日あそべる、とおもうと、わたしは目のまえの空にうかびあがっていくような、ふうわりとした気もちになりました。しかも一ぽうでは、きゅうにいきがつまり、ひやっこい風がゆびさきからしのびよる気もちも、あじわっていました。ほんとにへんな気もちでした。
 とにかくうまれてはじめての、ふしぎなうずまきにつつまれたのです。
 ええ、いいわ、友だちになる。はやく、そうこたえなくては、とおもうのに、なにもいえずに、そのときは、ただつったっていました。

 けれど、ニックとあそびはじめると、もうあのへんな気もちはきえてしまい、すぐに友だちになれました。
 「へえ――、ことばがつうじるのかねえ。」
 ふたりが大げさな声をあげて、なみのちらしあいっこなどをしていると、海がんをとおりかかったホテルの人が足をとめ、ふしぎそうにいったりしました。ことばはつうじなくても、ふたりにはちゃんとわかるきごうのようなさけびあいを、すぐに見つけていたのです。そしてふたりは、およぎやセミとりよりももっとおもしろい、気にいったあそびをおもいつきました。それは、すなのとうづくりです。
 大元(おおもと)こうえんのずっとおくの山から、海にむかってすいしょう川という小さい谷川が、ながれていました。ながれはつめたくて、そのあたりの木ぎまでひえびえとしめっています。そのせいか、川の上にひろがるえだもすきとおるうすみどりで、風にゆれるたびに空がちらちらのぞきます。すいしょう川はまったくべっせかいでした。
 ニックとわたしは、ながれの中ですなをすくっては、ちゅういぶかく、高く、高くつみあげます。ようやくとうになった、とおもって、ちょっとゆだんすると、そこのほうからながれにすうっとおしくずされてしまうのです。ながされないうちに、そこを小石でかためねばなりません。
「ほら、はやく、石、石。」「あっ、くずれるよう。」
というつもりのおしゃべりを、わたしたちだけにつうじるきごうでさけびました。
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 ふたりはそのうちに、とうづくりのコツをおぼえ、まる一日くらいはくずれないすなのとうを、ながれのまん中にたてることができるようになりました。
 ある朝、いつもとすこしもかわらない青い海に、ランチがうかんでいました。でかける父を見おくりがてら、さんばしまできたときです。
「ほう、ニックたちもかえるのか。」
と、父がいいました。
 おどろいてふりむくと、ホテルのほうから外人たちがやってき、その中にニックもいます。いつものあそびぎではなくて、まっ白いシャツでした。
 ニックがいってしまう。
 わたしはたちすくみました。いってしまうのはわかりきったことなのに、そんなこと、いまのいままでかんがえてもみなかったのです。
 とおい外国に、かえりっきりにかえってしまう。ニックがいってしまう。それはもう、どうすることもできないほんとのこととなって、わたしの目のまえに、ニックがちかづいてきました。
 ニックはまじめくさった、おこっているような顔で、手をさしだしました。
 ふたりはむきあって、にらめっこのようにたち、あくしゅをしようとしたのです。
 そのときです。
 ああ、ほんとに、なんとしたことでしょう。あのうらめしい音が、あくしゅをさえぎってしまったのです。
 そばにいた父が、ごくあたりまえの顔つきで、オナラをしたのです。
「人のまえでオナラをするのは、すこしもはずかしいことではない。」
と、日ごろからいっている父としては、じつになんでもないことだったのです。けれど、わたしは、そのしゅんかん、からだじゅうをはずかしさがつきぬけて、たおれそうになりました。
 気がついたとき、わたしは、はじきとばされたように走って、走って、いきもつかずに走って、すいしょう川にとびこんでいました。そして、きのうせっかくつみあげたすなのとうを、ぐざぐざにくずして、すなだらけのびしょぬれになっていました。

『はずかしかったものがたり』「すなのとう」(山口勇子ゆうこ)より
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a 長文 3.2週 te2
 母のよくしてくれたはなしは、ヨーロッパからアメリカヘ、さいしょにいみん(移民)した人たちのはなしでした。母が女学校のときに、アメリカ人のせんきょうしの先生からきいたというはなしでした。ほろ馬車にのって、いく日走っても町も村も、山もない平原を、いく組もの家ぞくがすすんでいくのです。子どもが病気になっても、もちろんおいしゃさんもありません。子どもが死ぬと、馬車をとめ、道ばたにあなをほってうめ、木をきって十字架じゅうじかをたて、みんなでおいのりをして、すぐまた馬車は走りつづけるというのです。わたしはそんなはなしをいつもなみだをためてききました。
 ですから、わたしは「いみん」ということばも、小学生になるまえからしっていたのです。
 その「いみん」を、わたしの一家がするかもしれないというはなしがおこったのです。いいえ、わたしは一家が、あすにもいみんにでかけることになったとしんじてしまったのです。ねてもおきても学校にいっても、わたしはそのことで頭がいっぱいになってしまったのです。
 ――ブラジルにいって、ほろ馬車にのっていたら、ぼくが病気になって死ぬかもしれない。そしたら、ぼくは土にうめられ、おとうさんやおかあさんが十字架じゅうじかをたてておいのりをするだろう。
 わたしは夜、とこの中にはいると、そんなことまでかんがえるのです。そして、そんなじぶんがかわいそうで、しまいにはしくしくなきだすしまつです。
 それほど、わたしにとってはじゅうだいじだったものですから、これをどうして、じぶんひとりでだまっていることができるでしょう。わたしは、友だちにはなしてしまったのです。
 すると、友だちは、あくる日すぐにほかの友だちにそれをしゃべり、とうとう先生にまでしれてしまったのです。
「おまえ、ブラジルへいくんだって?」
「はい。」
「そりゃたいへんだな。でもうらやましいよ。先生もいけるものならブラジルなんかへいってみたいな。」
 先生はそんなことをおっしゃいました。
 つぎの日、先生は、さいしょの一時間めのべんきょうのときに、べんきょうをやめて、わたしがブラジルへいくはなしと、南アメリカやブラジルがどんな国であるか、いろいろはなしてくださいました。
 わたしはうれしいやら、はずかしいやら、へんな気もちで先生のはなしをききました。
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 ところが、家にかえってみると、ブラジルにいみんするというのに、父も母もいつもとすこしもかわったところがないのです。あにやあねたちも、ブラジルのはなしなど、すこしもしないのです。
 わたしは、だんだんしんぱいになってきました。とうとう夜になって、台所をかたづけている母にたずねました。
「いつ、うちはブラジルヘひっこすの。」
「えっ、ブラジル、ブラジルなんかへ、だれもいきませんよ。どうしたの?」
 母はいともかんたんにいうのです。わたしは目さきがまっくらになりました。みんな、わたしひとりのはやがてんだったのです。
 友だちにも、先生にもはなしてしまったのです。どうしていまさら、とりやめになっただなんて、いえるでしょう。
 わたしはその夜、どうしても、じぶんひとりででもブラジルへいくんだとないていいはりました。そして、とうとうあまりうるさくわたしがダダをこねるので、父や母をおこらせてしまいました。
 あくる日から二日間、わたしは学校を休みました。とてもはずかしくて、友だちや先生に、顔をあわせられません。
 二日め、とうとう母が学校にいって、すべてを先生にはなしてくれました。

『はずかしかったものがたり』「わたしのブラジルいみん」(今西祐行)より
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a 長文 3.3週 te2
 やれやれ、と、ほっとした母は一どにつかれがでたのでしょう。その日は朝から、おきてきませんでした。
「きょう一日、休ましてもらうべえ。あしたっからは、また正月のしたくにかからねえばなんねえから――。」
と、いいわけでもするように、ふとんの中でいっていました。
 父とあには、どこかへでかけていたのでしょうか。家には、母とわたしのふたりだけしかいませんでした。
 ひるちかくになったら、ねどこの中から、母がわたしをよびました。
「あついにこみうどんがくいてえが、ひろにできべえかなあ。」
やってみてくれやい、というようにいったのです。
「ああ、おらが、うんまくつくってやるよ。」
 わたしは、はずんでこたえました。
 いままででも、手つだいなら、よくしていました。それでも、じぶんだけでなにかをつくってみたことは、まだ一どもありません。わたしは、きゅうにおねえさんにでもなれたような気がして、うれしくなっていました。
 戸だなの中には、母がゆうべつくった、うどんの玉がいくつかのこっていました。おつゆをこしらえて、にるだけでいいわけです。
「かつぶしをかくのは、あぶねえから、けずりぶしでいいぜ。たんといれてなあ、うんまくつくってくれやい。」
 母は、ねたままでさしずをしました。
「だまっていてもいいよ。つくりかた、しってるもん。」
 わたしは、おしえてもらいたくなかったのです。じぶんだけでやって、「できたよー」と、いってみたかったからです。
 いちばん小さいなべに、水をいれると、じざいかぎにかけて、いろりの火をかきたてました。
 だしはうまくとれたのです。いよいよあじつけです。ながしだいの下に、ぶどうしゅのあきびんにつめたおしょうゆが、三本ならんでいました。いちばんてまえのレッテルのあたらしいびんが、つかいかけのようです。それをもってきて、おたまに一つだけ、いれてみました。
 そして、小ざらにとって、あじをみました。まだまだ、うすくてちっともきいていません。
 こんどは、二ついれました。からくしすぎたかな――。しんぱいしながら、またあじをみました。まだ、だめです。
 おかしいなあ……。でも、おたまの中へでてくるいろは、たしかに、おしょうゆです。
 ことしは、できがわるかったのかなあー。そうおもいながら、またおしょうゆをたしました。それから、あじをみました。
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 なんかいあじをみたでしょう。あじをみながら、四合びんに、はんぶんいじょうもあったおしょうゆを、みんないれてしまったのです。
 おつゆは、だんだん、きみょうなあじになっていきました。そしてわたしは、なんだか、からだがだるくなってきたのです。頭がおもいような、ねむいような、おかしな気ぶんになってきました。
 いったい、このおつゆは、どうなってしまったのでしょう。しんぱいになってきました。
 そのとき、
「どうだ、できそうか。」
と、おかあさんが、声をかけてきました。台所があんまりしずかなので、だまっていられなくなったのでしょう。
「ことしのおしょうゆは、おかしいよ。いくらいれたって、いっこうしょっぱくならねえだもの。」
 もう、しかたなしに、わたしはからっぽになったびんをもって、見せにいこうとしました。
 たちあがると、なんだか、目がまわって、よろよろしました。
「ああ、うちがまわる。」
 わたしは、ざしきの入り口で、うずくまりました。おどろいた母が、とびおきてきました。
 それから、気がついたときは、母のふとんの中で、目をさましていました。
 おしょうゆとおもいこんだ、あたらしいレッテルのそのびんだけは、まだほんもののぶどうしゅがはいっていたのだというのです。

『はずかしかったものがたり』「うちがまわるはなし」(宮川ひろ)より
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a 長文 3.4週 te2
 日本人が外国に行っておみやげのなさの悲哀ひあいを味わうのとぎゃくに、日本に来た外国人はおみやげの安価あんかさと豊富ほうふさに驚きおどろ 、かつ喜ぶよろこ 舞子まいこ描いえが たハンカチから、扇子せんす版画はんが各種かくしゅ製品せいひんにいたるまで、持って帰って喜ばよろこ れることうけあい、恰好かっこうなおみやげはいくらでもある。絵葉書一つとってみても、白黒のやらカラーのものやらいろいろで、その組み合わせ方もヴァラエティーに富んと でおり、風景ふうけいべつとか史蹟しせきべつのシリーズふうにもなっている。
 旅先から絵葉書を出すことは、異境いきょうでの経験けいけん共有きょうゆうしようというおみやげ精神せいしん現われあら  の一つである。厳島いつくしま参詣さんけいすると、おしゃもじが葉書の代用として売られているが、これなどは絵葉書とおみやげ品とをたくみにミックスしたものだ。アジアの各地かくちを旅行して気がつくことは、タイで売っている絵葉書は、紙質かみしつといい色彩しきさいといい、かなり上等だが、インドのはまことにお粗末 そまつ。絵葉書に象徴しょうちょうされるおみやげ感覚かんかく相違そうい示すしめ ものとして、それはその国における日本文化の浸透しんとう度を物語るバロメーターたりうるかもしれぬ。
 一般いっぱんに、日本人のおみやげ感覚かんかくは、外国人にはまだよく理解りかいされていない。西洋人はおみやげをもらうと、その場ですぐ中身をあけてみる。それがまた、当然とうぜんのエチケットとされている。ところが日本では、そんなことをしたら失礼しつれいになる。経験けいけん共有きょうゆうがおみやげの精神せいしんなのだから、おみやげは持って帰って相手に分かち与えるあた  ことそれ自身に意味があるので、中身は第二義だいにぎなのだ。おみやげをもらうことがうれしいのであって、どんなものをおみやげにもらったかはになる。つまり、日本人がおみやげのもつ象徴しょうちょうてきな意味を重視じゅうしするのに対し、西洋人はおみやげの中身とそこに現われあら  実質じっしつせい尊重そんちょうする。
 だいたい日本人のおみやげ精神せいしんには、この人にはあれを、あの人にはこれを、と相手の人柄ひとがら境遇きょうぐうをいちいちおもんぱかって選択せんたくするというふうな、個性こせいへの忠誠ちゅうせい意識いしき稀薄きはくである。あの人に
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はどんなものをあげれば喜ばよろこ れるだろうかということより、なにかをあげること自身が大切なのだ。西洋では贈り物おく もの選択せんたく購入こうにゅうに相手の事情じじょうを考えた真情しんじょうのこもっていることが必要ひつようである。つまり真情しんじょう実質じっしつ不可分ふかぶんのものとしてきり離すはな ことはできないわけだ。しかし、真情しんじょうがこもらなければ実質じっしつてきなやりとりができないとは、なんとシンドイことであるか。おみやげを含めふく て、一般いっぱんに日本での贈答ぞうとうは、基本きほんてきには社会生活をなめらかに進行させるための社交手段しゅだんである。今日百貨店ひゃっかてんでの歳暮せいぼ・中元の贈答ぞうとう品といえば、会社が日頃ひごろお得意さん とくい  に配る品物が主になっているのは、社交としてのおみやげ感覚かんかくがそのまま現代げんだい状況じょうきょうのなかで活かされ、適用てきようされていることを示すしめ ものだ。真情しんじょう主義しゅぎ基本きほんとする西洋では、近代社会の社交としての贈答ぞうとう形成けいせいされていない。
 贈り物おく ものがシンボルである場合なら、中身はどうでもいいではないかというのが、真情しんじょう実質じっしつ、シンボルそく中身でなければならぬと一本で考える西洋の論理ろんりに対する、日本の贈答ぞうとう論理ろんりなのである。シンボルと中身とが、場合によっては、一致いっちする必要ひつようはないのだから、見ばえが肝心かんじんということになる。中身は少なくても、容器ようきは大きいほうがいい。旅先でのおみやげに「上げ底あ ぞこ」の品物が多いとよく非難ひなんされるが、日本人のおみやげかんにひそむ象徴しょうちょうてきな意味を十分計算に入れてやられているものとしたら、一方てき排撃はいげきすべきものでもなかろう。たとえば、大きいのが二〇〇円で、小さいのが三〇〇円というまんじゅうがある。また、二〇〇円と三〇〇円の品物の容器ようきの大きさが、まったく同じになっている洋風ケーキもある。つまりそこでは、その品物をシンボルとしてのおみやげに使うのか、それとも自家消費しょうひないし実質じっしつてき贈り物おく ものにするのか、用途ようとによって製品せいひんしつ包装ほうそうが分けられているのだ。
 日本人は、ことおみやげにかけては高度に洗練せんれんされた技能ぎのう保持ほじ者である。
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