1. 【1】母屋はもうひっそり
寝しずまっていた。牛小屋もしずかだった。しずかだといって、牛は
眠っているかめざめているかわかったもんじゃない。牛は起きていても
寝ていてもしずかなものだから。【2】もっとも牛が
眼をさましていたって、火をつけるにはいっこうさしつかえないわけだけれども。
2.
巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん使われていた火打ちの道具を持ってきた。【3】家を出るとき、かまどのあたりでマッチを
探したが、どうしたわけかなかなか見つからないので、手にあたったのをさいわい、火打ちの道具を持ってきたのだった。
3.
巳之助は火打ちで火を切りはじめた。【4】火花は
飛んだが、
火口がしめっているのか、ちっとも
燃えあがらないのであった。
巳之助は、火打ちというものは、あまり
便利なものではないと思った。火が出ないくせにカチカチと大きな音ばかりして、これでは
寝ている人が
眼をさましてしまうのである。
4. 【5】「ちぇッ」と
巳之助は
舌打ちしていった。「マッチを持ってくりゃよかった。こげな火打ちみてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア。」
5. そういってしまって
巳之助は、ふと自分の言葉をききとがめた。
6.【6】「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」
7. ちょうど月が出て空が明るくなるように、
巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明るく晴れてきた。
8. 【7】
巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ランプはもはや古い道具になったのである。
電灯という新しいいっそう
便利な道具の世の中になったのである。【8】それだけ世の中がひらけたのである。文明開化が進んだのである。
巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを
喜んでいいはずなのだ。【9】古い自分のしょうばいがうしなわれるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、なんのうらみも∵ない人をうらんで火をつけようとしたのは、男としてなんという見苦しいざまであったことか。【0】世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは
棄てて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。
9.
巳之助はすぐ家へとってかえした。
10.(新美
南吉著 「おじいさんのランプ」より)