長文 9.2週
1. わたしがおもしろいとおもったのは、「テレビで、現実げんじつにはできない経験けいけんがあじわえるか」という質問しつもんにたいして、「そうおもう」があきらかに半数をこえ、「そうおもわない」のは四人に一人くらいでした。わたしたちが直接ちょくせつ体験たいけんできることは、かぎられているので、テレビがわたしたちにかわって体験たいけんさせてくれること、また、テレビが現実げんじつ以上いじょう現実げんじつ劇的げきてきにつくりあげて体験たいけんさせてしまうことに、人びとはおそらく気づいていて、このような回答がでてきているのだとおもいます。
2. しかし、「テレビがあることで、生きかたや行動の手本がえられる」とこたえた人は過半数かはんすうにとどかず、「そうおもわない」とこたえた人は三人に一人で、テレビで生きかたの手本をとかんがえているひとはおおいとはいっても二人に一人になりません。テレビを人の生きかたのうえでぜったいに重要じゅうようなものとはかんがえていないといえるかもしれません。
3. この点は、「テレビはひとことでいえば、どんな感じのものですか」という質問しつもんにたいして、「あれば便利べんりという程度ていどのもの」というこたえが過半数かはんすうをこえ、「なくてはならないもの」というこたえを二〇パーセントぐらいうわまわっていることからもこのことはうらづけされているようにおもわれます。
4. テレビの影響えいきょうについては人びとはどのように感じているのでしょうか。
5. テレビ、新聞、ラジオ、週刊しゅうかんなどをひっくるめて、マスコミというよびかたがされていますが、そのようなマスコミ全体のなかでテレビの影響えいきょうはどんな位置いちをしめているのでしょう?
6. まず、「衣食住いしょくじゅうなど、人びとの生活のしかたに、いちばん影響えいきょうをあたえているものは、どれだとおもいますか」という質問しつもんにたいしては、テレビをあげる人がまさに圧倒的あっとうてきにおおく、それぞれ十パーセント以下いかの新聞、週刊しゅうかん、ラジオをはるかにひきはなしています。ところが、「政治せいじや社会問題についての世論せろん」については、∵テレビとこたえるものがやく半数で、新聞とこたえるものとほとんどかわりません。この点では新聞の影響えいきょうもおおきいと感じられているわけです。なお、週刊しゅうかんとラジオはたった一パーセント台でした。
7. さらに「マスコミがつたえていることは、ほぼ事実どおりだとおもうか」という質問しつもんにたいして、「そうおもう」が「そうおもわない」よりすくなくなっています。マスコミへの不信ふしんがかなりおおくみられているわけです。この点は、「どちらかといえば、いろいろな情報じょうほうがありすぎて、まどわされることがおおい」という回答が三人に一人ぐらいはいるのと合致がっちしているようです。
8. マスコミの報道ほうどうがかならずしも事実をつたえていないとすれば、それにふりまわされるようなことがあってはならないということになります。いかがわしいとすれば、事実や真実をみきわめる必要ひつようがあります。
9. 人びとはマスコミへの不信ふしんをもちつつ、さらにそれにのせられる――うごかされる――ことに不安ふあんももっているのです。
10.「人びとの意見は、知らないうちにマスコミのいうとおりにうごかされていることがおおいか」という質問しつもんにたいして、「そうおもう」が四人に三人ぐらいで、「そうおもわない」をはるかにしのいでおおくのこたえをよせています。
11. 人びとがマスコミにたいして意外とおおく、批判ひはんてき意識いしきをもっていることがわかります。これはだいじにしなければならない意識いしきだとおもいます。
12. 近年、テレビの社会てき影響えいきょう力についての専門せんもんてきな研究の分野でも、テレビの影響えいきょうが「強力」であるということがほぼ定説ていせつとなってきています。わたしたちは、やはり、ひとりひとりがまず「テレビをみる目」をつくり、やしなうことが必要ひつようなのです。

13.(佐藤さとうたけし「テレビとわたしたち」)