長文集  7月3週  ★いまから二千二百年ほどむかしの(感)  ti2-07-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】いまから二千二百年ほどむかしの話
です。中国に、秦(しん)という国があって
、始皇帝という王様が、大きな勢力をふるっ
ていました。【2】その宮殿は、中国の歴史
の中でこれほど大きなものはなかったと言わ
れているほど、りっぱなものでした。【3】
なにひとつ不足のなかったこの皇帝でも年を
とるということだけはどうすることもできま
せん。【4】「なんとかして年をとらない方
法はないだろうか」と考えた皇帝はおしまい
に家来に言いつけて、仙人のところへ行って
、不老長生(ふろうちょうせい)の薬、つま
り年をとらないで、永久に死なない薬を手に
入れさせることにしました。【5】学者のこ
とばによれば、東のほうの海に蓬莱山という
島がある。その山の中には仙人が住んでいて
、そのふしぎな薬を作っているのだというこ
とでした。【6】そこでたくさんの船が用意
されて、どこかわからない蓬莱の島をさがし
に東へ東へと向かったのですが、その島はと
うとう見つからず、その仙人の薬も手にはい
らなかったということです。その使いのひと
りに徐福という家来がいました。【7】その
徐福が日本に渡ってきて死んだという伝説が
残っています。和歌山県の新宮(しんぐう)
市に、その徐福の墓と伝えられているお墓が
ありますが、ほんとうにその人の墓かどうか
わかりません。
 【8】これは中国の人々でさえ、まだ日本
の島を知らなかった大むかしの話です。しか
し中国では、太陽ののぼる東の海、その海の
向こうに、ふしぎな力をもった仙人の住む島
があると考えられていたようです。
 【9】ところが大むかしの日本人は、反対
に西の海の向こうに理想の国があるように考
えていたのです。それは「常夜(とこよ)の
国」と呼ばれていました。太陽が沈んでしま
う西の海の向こうですから、そこはいつも暗
い夜の国なのです。【0】それでも日本人に
とっては、いつも西の海をこえて行った大陸
が、あこがれの国だったようです。どうして
でしょうか。
 こんなふうに考えてみることはできないで
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しょうか。太陽は東の∵海からのぼるとはい
っても、その海はひろい太平洋で、いつも荒
波がうち寄せています。小さな船では、遠く
乗り出すことなどはとうていできません。し
かも、遠くまで海がつづいているばかりで、
島の影も見えません。海の向こうから敵のお
そってくる心配も、まったくありません。で
すから、東の海はただ自然のおそろしさがあ
るばかりで、ほかのことなどは考えなかった
のでしょう。
 それにくらべて、西の海は波もおだやかで
す。船でこぎ出して行けば、壱岐や対馬のよ
うな島々があり、その先には、もう朝鮮半島
の山影が浮かんでいるのが見えます。半島に
渡れば、そこには日本人の知らない高い文化
がさかえていたのです。また、半島のほうか
ら渡って来る人々も多かったでしょう。その
人々の生活や風俗は、日本人にくらべてずっ
と高いものだったにちがいありません。そし
て、大陸の影響を受けて、日本の文化はいつ
も、西から東のほうへと進んでいきました。
土器の作り方にしても、農業の始まりにして
も、また鉄の道具を使うことにしても、いつ
も文化の流れは、西から東へと流れていまし
た。日本にとっては、文化の光は、太陽の光
と反対に、いつも西の海の向こうから、かが
やいてきたのです。そこで、日本人の理想の
国は西の海の向こうにある、と考えられたの
だと思われます。

「日本人のこころ」(岡田章雄著 筑摩書房
)より