1. 【1】いまから二千二百年ほどむかしの話です。中国に、
秦という国があって、
始皇帝という王様が、大きな
勢力をふるっていました。【2】その
宮殿は、中国の
歴史の中でこれほど大きなものはなかったと言われているほど、りっぱなものでした。【3】なにひとつ
不足のなかったこの
皇帝でも年をとるということだけはどうすることもできません。【4】「なんとかして年をとらない
方法はないだろうか」と考えた
皇帝はおしまいに家来に言いつけて、
仙人のところへ行って、
不老長生の薬、つまり年をとらないで、
永久に死なない薬を手に入れさせることにしました。【5】学者のことばによれば、東のほうの海に
蓬莱山という島がある。その山の中には
仙人が住んでいて、そのふしぎな薬を作っているのだということでした。【6】そこでたくさんの船が用意されて、どこかわからない
蓬莱の島をさがしに東へ東へと向かったのですが、その島はとうとう見つからず、その
仙人の薬も手にはいらなかったということです。その使いのひとりに
徐福という家来がいました。【7】その
徐福が日本に
渡ってきて死んだという
伝説が
残っています。和歌山県の
新宮市に、その
徐福の
墓と
伝えられているお
墓がありますが、ほんとうにその人の
墓かどうかわかりません。
2. 【8】これは中国の人々でさえ、まだ日本の島を知らなかった大むかしの話です。しかし中国では、太陽ののぼる東の海、その海の向こうに、ふしぎな力をもった
仙人の住む島があると考えられていたようです。
3. 【9】ところが大むかしの日本人は、反対に西の海の向こうに理想の国があるように考えていたのです。それは「
常夜の国」と
呼ばれていました。太陽が
沈んでしまう西の海の向こうですから、そこはいつも暗い夜の国なのです。【0】それでも日本人にとっては、いつも西の海をこえて行った
大陸が、あこがれの国だったようです。どうしてでしょうか。
4. こんなふうに考えてみることはできないでしょうか。太陽は東の∵海からのぼるとはいっても、その海はひろい太平洋で、いつも
荒波がうち
寄せています。小さな船では、遠く乗り出すことなどはとうていできません。しかも、遠くまで海がつづいているばかりで、島の
影も見えません。海の向こうから
敵のおそってくる心配も、まったくありません。ですから、東の海はただ
自然のおそろしさがあるばかりで、ほかのことなどは考えなかったのでしょう。
5. それにくらべて、西の海は波もおだやかです。船でこぎ出して行けば、
壱岐や対馬のような島々があり、その先には、もう
朝鮮半島の
山影が
浮かんでいるのが見えます。半島に
渡れば、そこには日本人の知らない高い文化がさかえていたのです。また、半島のほうから
渡って来る人々も多かったでしょう。その人々の生活や
風俗は、日本人にくらべてずっと高いものだったにちがいありません。そして、
大陸の
影響を受けて、日本の文化はいつも、西から東のほうへと進んでいきました。
土器の作り方にしても、農業の始まりにしても、また鉄の道具を使うことにしても、いつも文化の流れは、西から東へと流れていました。日本にとっては、文化の光は、太陽の光と反対に、いつも西の海の向こうから、かがやいてきたのです。そこで、日本人の理想の国は西の海の向こうにある、と考えられたのだと思われます。
6.「日本人のこころ」(
岡田章雄著 筑摩書房)より