長文集  7月4週  ○言葉は風景のようなものだ  ti2-07-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2011/05/23 11:01:40
 【1】言葉は風景のようなものだ。いや、
山や野に咲く生きた花畠のような気もする。
種子は同じでも、時と場所によって、咲かせ
る花は違う。
 たとえば今、東京・新宿には高層ビルが林
立して、まるで二十一世紀の未来都市のよう
に見える。【2】戦後、新宿西口がまだ闇市
の時代に、私は、フランス文学科の学生だっ
たが、駅前マーケットの間を詩を書こうとし
てほっつき歩いていたから、今日の街の風景
を見ると、まったく隔世の感がある。
 【3】本当にバラック建築つづきのごった
煮の街で、混乱をきわめていたが、しかし一
種の活気があった。戦争の暗い時代から解放
されたということで、文学や芸術、自由が沸
騰していた。【4】しかも、アメリカ軍の占
領下にあって、言葉には米語スラングが氾濫
していた。
 そうした混乱の一時期ののち、朝鮮戦争を
境に、また、だんだん世の中が静まり、しだ
いに日本の社会も姿を整えていった。
 【5】かくて今や、新宿の空を見上げれば
、忽然として夢のような東京都庁をはじめ超
高層ビルが立ちならび、ビルの谷間を、朝晩
通勤の人々の列が埋めている。【6】まこと
に、夢か現(うつつ)かという想いがする。
 その間に私たちの日本語も変わった。これ
は当然のことだ。世の中が変わり都市ができ
れば、文明の、こうした風景が出現する。人
間の生活も変わる。【7】ビル街ができれば
歩き方も違ってくる し、ファッションも変
わるというものだろう。人間の生活が変われ
ば言葉も変わる。当然話し方も違ってくる。
人それぞれの考え方 も、環境によって変わ
っていくことであろう。
 【8】このごろ、日本語が乱れている、敬
語が目茶苦茶だ、外来語の∵カタカナが多す
ぎる、若者の変な造語がさっぱりわからな 
い、日本語はこの先どうなるんだと、よく話
題になる。たしかにそういう気がしないわけ
でもない。だが、本当にそうだろうか。
 【9】ここで、正しい言葉とは一体何だろ
うと、もう一度考えてみる必要がある。もし
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正しい言葉というものが、一つだけはっきり
定まっているのであれば、たしかに、皆がそ
れだけを使えば用は足りることになる。
 【0】たとえば水を飲みたいということを
言いたいとき、意味が伝わりさえすればいい
のであれば、「水が飲みたい」という言い方
が一つあれば充分だ。しかし、現実はどうだ
ろうか。そんな簡単なものではない。
 人間の生活や心は限りなく豊かだ。そこで
言葉にもひねりをかけようとする。「ああ、
水が飲みてぇな」とか「喉がからっからだ」
とか、なぜか一本調子の言い方から外してみ
たくなる。
 特に、若者は言葉の冒険をすることで自己
主張をしたり、目立ちたがる。また、自分た
ちの遊び心や、グループの仲間意識などを満
足させようとする。
 若者ばかりでない。職人さんなども、自分
たちの職業の特色を表わすために、言葉にひ
ねりをかけることがある。
 正しい言葉というものは、たしかにある。
しかし、実際に生活のなかで言葉が活きてい
るのは、ひねりをかけて、そこからちょっと
外した姿である。だから、逆に活きている言
葉は、正しい言葉の外側にあるともいえる。

(栗田 勇『日本文化のキーワード――七つ
のやまと言葉でその宝庫を開く』(祥伝社)