1. 【1】言葉は
風景のようなものだ。いや、山や野に
咲く生きた
花畠のような気もする。
種子は同じでも、時と場所によって、
咲かせる花は
違う。
2. たとえば今、東京・新宿には
高層ビルが林立して、まるで二十一
世紀の
未来都市のように見える。【2】
戦後、新宿西口がまだ
闇市の時代に、
私は、フランス文学科の学生だったが、駅前マーケットの間を詩を書こうとしてほっつき歩いていたから、今日の
街の
風景を見ると、まったく
隔世の感がある。
3. 【3】本当にバラック
建築つづきの
ごった煮の
街で、
混乱をきわめていたが、しかし
一種の活気があった。
戦争の暗い時代から
解放されたということで、文学や
芸術、自由が
沸騰していた。【4】しかも、アメリカ
軍の
占領下にあって、言葉には米語スラングが
氾濫していた。
4. そうした
混乱の一時期ののち、
朝鮮戦争を
境に、また、だんだん世の中が
静まり、しだいに日本の社会も
姿を整えていった。
5. 【5】かくて今や、新宿の空を見上げれば、
忽然として
夢のような東京
都庁をはじめ
超高層ビルが立ちならび、ビルの谷間を、
朝晩通勤の人々の列が
埋めている。【6】まことに、
夢か
現かという想いがする。
6. その間に
私たちの日本語も
変わった。これは
当然のことだ。世の中が
変わり都市ができれば、文明の、こうした
風景が
出現する。人間の生活も
変わる。【7】ビル
街ができれば歩き方も
違ってくるし、ファッションも
変わるというものだろう。人間の生活が
変われば言葉も
変わる。
当然話し方も
違ってくる。人それぞれの考え方も、
環境によって
変わっていくことであろう。
7. 【8】このごろ、日本語が
乱れている、
敬語が目茶苦茶だ、外来語の∵カタカナが多すぎる、
若者の
変な
造語がさっぱりわからない、日本語はこの先どうなるんだと、よく話題になる。たしかにそういう気がしないわけでもない。だが、本当にそうだろうか。
8. 【9】ここで、正しい言葉とは一体何だろうと、もう一度考えてみる
必要がある。もし正しい言葉というものが、一つだけはっきり定まっているのであれば、たしかに、
皆がそれだけを使えば用は足りることになる。
9. 【0】たとえば水を飲みたいということを言いたいとき、意味が
伝わりさえすればいいのであれば、「水が飲みたい」という言い方が一つあれば
充分だ。しかし、
現実はどうだろうか。そんな
簡単なものではない。
10. 人間の生活や心は
限りなく
豊かだ。そこで言葉にもひねりをかけようとする。「ああ、水が飲みてぇな」とか「
喉がからっからだ」とか、なぜか一本調子の言い方から外してみたくなる。
11.
特に、
若者は言葉の
冒険をすることで
自己主張をしたり、目立ちたがる。また、自分たちの遊び心や、グループの
仲間意識などを
満足させようとする。
12.
若者ばかりでない。
職人さんなども、自分たちの
職業の
特色を表わすために、言葉にひねりをかけることがある。
13. 正しい言葉というものは、たしかにある。しかし、
実際に生活のなかで言葉が活きているのは、ひねりをかけて、そこからちょっと外した
姿である。だから、
逆に活きている言葉は、正しい言葉の
外側にあるともいえる。
14.(
栗田 勇『日本文化のキーワード――七つのやまと言葉でその
宝庫を開く』(
祥伝社))