1. 【1】なぞの女王ヒミコが使いをおくったのは、
黄河の
流域にあった
魏の国でした。そのころには、南の
揚子江の下流の地方に
呉の国があり、またその上流の、山の多い地方には
蜀の国がありました。この三つの国を三国といいます。
2. 【2】南の
呉の国は
魏の国をこまらせようとして、
南朝鮮の
韓国と手を
結んでいました。そこで
魏の国でもこれと
対抗するため、その
韓国の(海をこえて)向こうにあるヤマタイ国を味方につけておこうとしたのです。
3. 【3】漢
民族は、むかしから自分たちのいる地方を「
中華」と
呼び、自分たちがいちばんすぐれた
民族だとしていました。(
中華料理とか
中華そばとかいう時の、あの
中華です。)【4】そして、まわりの地方にいるほかの
民族をみんな
野蛮人あつかいして、それぞれ東は
東夷、北は
北荻、南は
南蛮、西は
西戎、とよんでいました。【5】日本
民族は、漢
民族から見れば
東夷、つまり東のほうの
野蛮人にあたるわけです。日本
民族はべつとして、ほかの
民族は、みんなひろい
大陸の、
陸続きの土地に住んでいます。【6】ですから漢
民族としては、
中華を
誇りにしてはいても、いつもまわりの地方にいる
野蛮人、つまり、ほかの
民族がこの
中華の土地に
攻めこんでくるのを
防ぐために、心を
悩まし、力を
尽くさなければならなかったのです。
4. 【7】三千年にわたる長い中国の
歴史は、また漢
民族と、まわりの
違った
民族との間のはげしい
争いの
歴史でした。【8】世界に名高い
万里の
長城は、あの
不老長生の薬を
求めたという
秦の
始皇帝が、
満州(中国の東北部)の地方にいた
匈奴という
野蛮人の
攻め寄せてくるのを
防ぐために、大がかりな土木工事を起こして
築いた
城壁なのです。
5. 【9】中国の
歴史を調べてみると、多くの王朝がさかえたり
滅びたり、また
分裂していくつかの王朝がたがいに
争ったりしています。∵【0】すぐれた王様によって国が
統一され、漢
民族の
勢いがさかんになると、大がかりないくさを起こして、進んで北や西のほかの
民族をおさえつけました。しかし王朝の
勢力がおとろえると、ほかの
民族が
攻めこんできて、漢
民族をおさえつけてしまいます。遠くヨーロッパまでその
勢力をのばした元の国や、
江戸時代から
明治のころにかけて中国にさかえていた
清の国などは、モンゴールや
満州の
民族が
支配していた国です。
6. 中国を中心にした東洋の
歴史を勉強するときに、いちばんわたしたちを
悩ますのは、こうした漢
民族とほかの
民族との
争いの問題ですが、
大陸でたえずこうした
民族の
争いがくりかえされていたことが、じつは日本の平和のために、かえってつごうのよいことだったと言うことができます。こうした中国での
争いの
影響を受けて、
陸続きの
朝鮮半島はたびたび平和を
乱され、時にはほかの
民族の
支配を受けたことさえありました。しかし、日本はそうした
不幸な目に会うこともなく、今日まで
独立の
歴史を守りつづけることができました。これはいうまでもなく、わたしたちの
祖先の大きな
努力によるものですが、同時に、地図の上で見られるように、日本の国の
位置ということにも
関係していることです。
7.「日本人のこころ」(
岡田章雄著 筑摩書房)より